第4話 英雄を罠にかける夜

城壁の上。


霧がまだ薄く残っている。


遊撃壊滅から一夜。

城塞都市は、異様な静けさに包まれていた。


広間には重苦しい空気が満ちている。


連隊長。

各隊長。

そして、対サキュバス騎士部隊候補。


ミレア。

シグリッド。

ヴァルク。


その隣に、銀髪の女が立つ。


眼鏡越しの瞳は冷静だ。


セレーネ・セルシア。

中央貴族家系。連隊長補佐官。


理論家。


連隊長が口を開いた。


「状況は最悪だ」


地図に赤駒が置かれる。


「攻城兵器は修復された。今日、門が削られる」


沈黙。


セレーネが一歩前へ。


「サキュバス騎士は“優位”を確認してから前に出ます」


ざわめき。


「自軍が勝っていると確信した瞬間、彼女は現れる」


連隊長。


「つまり?」


セレーネは淡々と言った。


「英雄として“壊した実感”が欲しいのです」


静寂。


ヴァルクが地図の外門を指す。


「なら、壊れたように見せる」


短い一言。


それだけ。


隊長が怒鳴る。


「正気か!」


ヴァルクは視線を動かさない。


「外門だけだ。内門で閉じる」


セレーネが続ける。


「では男兵士は住民避難へ回しましょう」


空気が止まる。


「陽動か?」と連隊長。


「本気です」


セレーネの声は揺れない。


「戦えない者を戦場に置く理由はありません」


だからこそ罠になる。


セレーネは静かに締めた。


「“英雄が来たから崩れた”という物語を完成させます」


連隊長は目を閉じ、そして開く。


「採用する」


「第一門を囮とする」


「対サキュバス騎士部隊、準備」


城門前。


男兵士たちが市民を誘導する。


子供の泣き声。

荷車の軋み。

恐怖に濁る目。


第一門が砕ける。


轟音。


土煙。


魔王軍侵入。


歓声。


そして――


霧の奥。


サキュバス騎士が歩いてくる。


黒い甲冑が揺れる。


「素敵」


甘い声。


「ちゃんと壊れているわ」


彼女が一歩踏み出した瞬間。


セレーネが冷静に告げる。


「優位性錯覚、成立」


内門が落ちる。


鉄柵が閉じる。


罠が完成する。


サキュバス騎士の瞳が細まった。


「……あら?」


その時。


シグリッドが疾風のように踏み込む。


「神聖剣術 第五式 《暴風の剣舞》!」


刃が重装オーク兵を切り裂く。


間髪入れず、ミレアが詠唱を終える。


「神聖法術 《爆炎の天雨》!」


炎が降る。


重装オーク兵が吹き飛ぶ。


だが、それで終わらない。


女兵士たちが、躊躇なく踏み込む。


誰も目を逸らさない。


誰も笑わない。


誰も泣かない。


霧を見ても、足が止まらない。


サキュバス騎士の瞳が、わずかに揺れる。


「……そう」


セレーネが後方で術式を展開する。


幾何学的な光が広がる。


「精神波形、安定。幻視反応なし」


冷たい声。


「対サキュバス騎士部隊――機能しています」


ヴァルクが前に出る。


盾を構える。


女たちが自然に背中へ収まる。


隊列が、完成する。


サキュバス騎士が微笑んだ。


「待っていたわ」


ヴァルクは一歩踏み込む。


「今度は、壊されない」


霧が歪む。


サキュバス騎士の声が甘く響く。


「欲しいわ、あなた」


ヴァルクは盾を前に出す。


「復讐の方が強い」


次の瞬間。


槍が消えた。


金属音。


衝撃。


盾越しに、骨が軋む。


霧が弾ける。


背後でシグリッドが吠える。


「右から来る!」


刃が走る。


重装オークの喉が裂ける。


ミレアの術式が炸裂する。


炎が霧を押し返す。


周囲の重装オーク兵が一体、また一体と倒れる。


空間が開く。


霧の中心。


戦場の中央に、空白ができた。


そこに、彼女だけが立っている。


槍を、ゆっくりと持ち上げる。


「……なるほど」


瞳が細まる。


甲冑の奥で、笑う気配。


「男だけでは足りないのね」


槍の穂先が地面を軽く叩く。


乾いた音。


霧の色が変わる。


甘い香りが、腐る。


空気が重く沈む。


「第二段階 《テンプテーション:リバース》」


視界が反転した。


■ ヴァルク


暗い部屋。


カーテンは閉じたまま。


スマホの光だけが顔を照らす。


机の上には、未提出の課題。


通知はゼロ。


「頑張ったね」


聞いたことのない声。


母の顔は思い出せない。


父の背中も、曖昧だ。


あるのは、


無言。


沈黙。


息苦しさ。


サキュバス騎士の声が甘く響く。


「戻れるわよ」

「失敗していない人生に」

「誰にも傷つけられない部屋に」


ヴァルクは、鼻で笑う。


「……いらない」


霧が揺れる。


サキュバス騎士が目を細める。


「後悔、ないの?」


「ある」


即答。


「だが、あれは未来じゃない」


拳を握る。


「ゴミだ」


空気が凍る。


サキュバス騎士が、くすりと笑う。


「面白い記憶ね」

「未練にすらならないなんて」


ヴァルクは言う。


「俺は、あそこを捨てた」

「だから今、ここにいる」


盾を叩きつける。


「戻る場所じゃない」

「捨てた場所だ」


霧が裂ける。


目は、開いている。


■ ミレア


幻の中。


小さな家。


暖炉の火。


食卓。


向かいに、ヴァルクが座っている。


傷がない。

血もない。


穏やかな目。


「……戻ろう」


低い声。


「復讐は終わりにしよう」


ミレアの指に、指輪がはまっている。


その手を、ヴァルクが包む。


「俺は、お前を選ぶ」


心臓が止まりかける。


欲しかった。


ずっと。


選ばれたかった。


戦場よりも、

背中よりも、


隣に立ちたかった。


涙が落ちる。


「……やっと」


その時。


違和感。


このヴァルクは、


自分を捨てている。


復讐をやめたヴァルクは、

ヴァルクじゃない。


ミレアは、ゆっくり手を引く。


指輪が、砕ける。


「あなたは」

「私を選ばない」


炎が走る。


家が崩れる。


幻のヴァルクが歪む。


「それでもいい」


ミレアは前を向く。


「私は、あなたの背中に立つと決めた」


幻の中のヴァルクは、

最後まで、ミレアを見ていなかった。


魔力が爆ぜる。


幻が砕け散る。


■ 現実


サキュバス騎士が、初めて目を細めた。


「……二人?」


霧の中で立っているのは、


ヴァルク。

ミレア。


他は、いない。


霧が再び濃くなる。


サキュバス騎士の槍が円を描く。


甘い圧が押し寄せる。


「恋をしているでしょう?」


「している」


即答。


ミレアが隣に立つ。


震えている。

だが、退かない。


「ヴァルク」


「分かってる」


槍が閃く。


ヴァルクが盾で受ける。


衝撃。


骨が軋む。


ミレアが横へ滑り込む。


「神聖法術 《断罪の光槍》!」


光が槍となって放たれる。


サキュバス騎士が回避。


「素敵」


彼女が笑う。


「二人で壊れないのね」


霧が渦巻く。


ミレアの視界が歪む。


暖炉の火。

穏やかな家。

ヴァルクと並んで食卓に座っている。


「もう戦わなくていい」


甘い未来。


喉が鳴る。


だが――


ミレアは目を閉じる。


「違う」


一歩前に出る。


「私は、あなたの背中に立つと決めた」


幻を踏み抜く。


霧が揺れる。


サキュバス騎士の眉が僅かに動く。


「……女まで?」


ヴァルクが踏み込む。


盾撃。


サキュバス騎士が槍で受ける。


火花。


ミレアが回り込む。


「神聖法術 《縛鎖の光環》!」


光の鎖がサキュバス騎士の足に絡む。


一瞬。


その一瞬で十分。


ヴァルクがショートソードを抜く。


踏み込み。


横薙ぎ。


甲冑に傷が走る。


血が散る。


サキュバス騎士が距離を取る。


霧が爆ぜる。


「あなたたち、危険ね」


甘い声が低くなる。


「恋を切り捨てないのに、支配もされない」


ヴァルク。


「利用される気はない」


ミレア。


「私たちは、自分で選ぶ」


再び激突。


槍がミレアへ向く。


ヴァルクが割り込む。


盾が裂ける。


衝撃で地面に叩きつけられる。


サキュバス騎士が槍を振り上げる。


「終わりよ」


その瞬間。


ミレアが叫ぶ。


「ヴァルク!」


その声で、


ヴァルクは笑う。


「選ばないって言っただろ」


盾を踏み込み台にして跳ねる。


ショートソードが突き上がる。


サキュバス騎士が槍で逸らと

ヴァルクの体勢が崩れる。


そこへ――


霧が裂けた。


セレーネだ。


セレーネの術式が、音もなく崩壊点を暴く。


「干渉成功――術式、部分解除!」


霧が“逆回転”した。


空気が軋む。


魔力が収束する。


セレーネの足元の魔法陣が歪む。


「――逆流!?」


光が反転する。


爆ぜた。


轟音。


衝撃波が霧を吹き飛ばす。


地面が抉れ、城壁が軋む。


セレーネの身体が宙を舞う。


血が、夜に散った。


「セレーネ!」


ミレアが叫ぶ。


その瞬間――


霧が消えた。


完全に。


甘い匂いが消える。


圧が消える。


幻が、消える。


膝をついていた女兵士たちの目が開く。


混濁が晴れる。


剣を握り直す。


一人。


また一人。


静かに立ち上がる。


戦場の中央。


月光が落ちる。


そこに――


サキュバス騎士が立っている。


黒い甲冑が月を映す。


霧はない。


逃げ場もない。


彼女は、ゆっくりと周囲を見渡した。


円陣。


女兵士。


ヴァルク。


血を流すセレーネ。


そして、静かな笑み。


「……数で押すの?」


静かな挑発。


その声は、もう甘くない。


ヴァルクが立ち上がる。


盾はひび割れている。


右腕が震えている。


それでも前に出る。


「違う」


一歩。


「ここからは――」


血が地面に落ちる。


「俺だ」


サキュバス騎士の瞳が細まる。


「ようやく、英雄ごっこ?」


ヴァルクは答えない。


ショートソードを抜く。


夜気が震える。


円陣が、静かに開く。


シグリッドが低く言う。


「包囲維持」


誰も動かない。


風が吹く。


瓦礫が転がる。


サキュバス騎士が槍を構える。


「いいわ」


月光が、刃を照らす。


「最後まで拒絶しなさい」


二人の距離が、消える。


次に倒れるのは、どちらか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る