第3話 英雄願望は、槍より脆い

城壁の外が、黒くうねっていた。


魔王軍。


日暮れ前の霧を裂いて、隊列が進む。

旗が立つ。甲冑が鳴る。角笛が割れる。


城塞都市は、眠れない。


上からの命令は短い。


――Aランク以上、遊撃に出ろ。

――主力は城壁で持ちこたえる。

――外から叩いて、足を止めろ。


酒場で笑っていた連中が、鎧を着る。


《黒鉄の牙》も、当然そこにいた。


オルグはバトルアックスを肩に担ぎ、にやりと笑う。


「見てろよ。今夜、俺が“英雄”になる」


返るのは乾いた笑いだけ。

誰も否定しない。誰も乗らない。


ダリオが横で小さく息を吐く。


「余計なこと言うなよ。面倒くさくなる」


ヴァルクは何も言わない。

盾のベルトを締める。

指が、無駄なく動く。


城門前にAランク以上のパーティが集められていた。


鎧が軋む。

馬が鼻を鳴らす。

張りつめた空気。


ダリオが周囲を見回す。


「……お、いるじゃん」


指差す先。


「ミレア、アルビン、バルタサール、ベンヤミン、シグリッド」


《群青の砦》の元メンバーたちだ。


もう同じ隊列ではない。

だが、それぞれ別のパーティに所属している。


「散り散りになっても、戦場には出てくるか」


ダリオが苦笑する。


「挨拶してくるわ。ヴァルクも来る?」


「行かない」


即答。


ダリオは肩をすくめる。


「冷たいな」


ヴァルクは視線を外さない。


「レオンは?」


「あー……」


ダリオが少し言い淀む。


「中央の騎士団に志願したらしい」


ヴァルクは短く返す。


「生きているなら、それでいい」


ダリオが笑う。


「ほんと、お前ってやつは」


角笛が鳴る。


門が軋む。


遊撃隊、前へ。


重い音と共に、城門が開いた。


城壁の陰から外へ。


霧の中へ。


魔王軍の側面へ回る。


遊撃の役目は一つ。

攻城兵器の破壊。


あれが動く限り、城は削られる。


最初の接触は早かった。


オーク戦士の群れが守りを固める。


分厚い盾。

唸る斧。


矢が飛ぶ。

剣が光る。


女剣士シグリッドが前に出た。


迷いがない。


一閃。


オーク戦士の首が宙を舞う。


血が霧に溶ける。


歓声が上がる。


「道を開けろ!」


オルグが踏み込む。


巨大な戦斧が唸りを上げる。


「スキル――神聖斧術 第二式 《破壊の強断》!」


振り下ろされた刃が、


攻城兵器の車軸を断ち切った。


木材が裂け、鉄が弾け、

巨体が横倒しになる。


爆ぜる音。


歓声。


「ははは! これが英雄の働き――」


言い終える前に。


空気が、変わった。


霧の向こう。

歩いてくる。


騎士。


黒い甲冑。

長い槍。

背には、羽根のような影。


顔は見えない。

だが、見えなくても分かる。


――“格”が違う。


誰かが、呟いた。


「……サキュバス騎士」


その名で、隊列が揺れた。


魔王軍の英雄。


砦を落とし、都市を沈め、名を消した女。


“誘惑”で殺す騎士。


霧の向こうに、ひとり立っている。


黒い甲冑。

細身の槍。

角の生えた兜の奥で、瞳だけが光る。


「逃げろ! サキュバス騎士だ!」


Aランクパーティのリーダーが叫ぶ。


だが、オルグは鼻で笑った。


「はっ。女かよ」


その瞬間。

騎士の槍先が、軽く揺れた。


ただ、それだけ。


なのに――


遊撃隊の男たちの目が、揺れた。


「……あ」


Aランクの槍兵が、立ち止まる。

剣士も止まる。

弓兵の手も止まる。


そして、全員が“同じ方向”を見る。


霧の中に、何かが見えている。


サキュバス騎士の声が、薄く響いた。


「選び直せるのに」

「まだ、間に合うのに」


男たちの喉が動く。


「俺は……」


「俺は本当は……」


言葉が漏れる。


誰かが笑い出す。

笑いながら、泣いている。


「俺、英雄になるはずだったんだ」


「村を守って……褒められて……」


「母ちゃんが……笑って……」


膝が落ちる。


一人、また一人。

武器が落ちる。

隊列が死ぬ。


ダリオが歯を噛んだ。


「……くそ」


オルグは顔を真っ赤にして叫ぶ。


「おい! 立て! 遊撃だぞ!」


誰も動かない。


サキュバス騎士は、槍を前に出した。


「望んだ未来を、あげる」


その言葉で、男たちの目が完全に死んだ。


ヴァルクだけが、動いた。


盾を前に出す。


「スキル――呪符盾術 第一式 《不動の防壁》」


淡い紋様が走る。


サキュバス騎士の槍が、盾に触れる。


――押していない。

――叩いていない。


なのに、胸の奥が冷える。


“見せられている”。


ヴァルクの視界の端に、青い海がよぎる。


燃える村。

赤い水面。

マレア村。


誰かの背中。


父の背中。

母の背中。

笑っていた日。


胸が、重くなる。


だが、ヴァルクは目を逸らさない。


「見ない」


言葉にして切る。


サキュバス騎士が、初めて首を傾げた。


「……未練がないの?」


ヴァルクは短く返す。


「ある」


「だから、壊す」


盾を踏み込ませる。


「呪符盾術 第二式 《強襲の楯撃》」


衝撃が走る。

霧が割れる。


サキュバス騎士は、後退した。


一歩。


それだけ。


周囲がどよめく。


「押した……?」


「今の、押し返したの……?」


霧の向こうで、女が笑う。


「面白い」


甲冑の奥の瞳が細まる。


「私の《テンプテーション:レクイエム》に逆らえる男がいるなんて」


甘く、低い声。


「欲しい」


戦場が凍る。


視線が、ヴァルクに集まる。


サキュバス騎士が槍を下げた。


「あなた、名前は?」


「ヴァルク」


「そう……ヴァルク」


舌で転がすように、名を呼ぶ。


「私の従騎士になりなさい」


霧が甘く香る。


脳が痺れる。


だが――


ヴァルクは一歩も動かない。


「断る」


即答。


空気が裂ける。


サキュバス騎士が笑った。


「では――」


槍を持ち直す。


「力ずくで、あなたを奪うわ」


霧が爆発的に広がる。


視界が白く閉じる。


ヴァルクは追わない。


今、必要なのは――隊列。


後ろを振り向く。


オルグが、膝をついていた。


――霧の中で、笑っている。


見えている。


王城。

勲章。

歓声。


「英雄オルグ様!」


オルグの目から涙が落ちる。


「……はは……」

「やっと……来た……」


ヴァルクは一歩で掴む。


オルグの手首。


骨が鳴るほど強く。


「戻れ」


オルグが睨む。


「うるさい……!」

「朴念仁!」

「邪魔すんな! 今、俺は……!」


ヴァルクは低く言う。


「お前が止めろ」

「リーダーだろ」


オルグの唇が震える。


「俺は……英雄だ……!」


振り払おうとする。

だが、振り払えない。


苛立ちが顔に出る。


「放せ!」


ヴァルクは言う。


「放さない」

「今ここで崩れたら全滅だ」


オルグの目が、ぐにゃりと歪む。


幻の中で、歓声が上がる。


「英雄! 英雄!」


オルグが叫ぶ。


「黙れえええええ!」


その瞬間――


ヴァルクの手を、オルグが叩き落とした。


「お前は追放だ!」


反射で、手が離れる。


うっかり。


ほんの一瞬。


その隙を、オーク戦士が逃さない。


槍が一直線に走った。


胸。


貫通。


オルグの身体が、跳ねる。


血が、霧に散る。


「……あ……?」


サキュバス騎士の霧が、揺らぐ。


オルグの瞳から、光が消えていく。


歓声が消える。

王城が消える。

勲章が消える。


残ったのは、霧と、鉄と、血だけ。


ヴァルクはオークの首を叩き潰しながら振り返る。


目が、やっと現実を映した。


「……お前……」


唇が震える。


「……見えないのか?」


ヴァルクは言う。


「見ない」


オルグが、泣きながら笑った。


「……そうか……」


喉が鳴る。

血が泡立つ。


「やっぱり……お前の方が……」


「……英雄だ……」


ヴァルクは目を細めない。


「俺は復讐者だ」


オルグが、息を吸う。


最後の力で、ヴァルクの襟を掴んだ。


「だったら……」


「英雄を……ぶっ壊せ……」


指が落ちる。


オルグの身体が、力を失った。


重い音を立てて地面に崩れる。


霧は、まだ甘い。


男たちは、霧へ消える。


「ダリオ!」


返事はない。


残っているのは――

女だけだ。


霧の中、揺れる影。


シグリッドが剣を振り、近づくオークの喉を裂く。


ミレアが後方で術式を展開する。


「……効いていない」


低く呟く。


女たちは、立っている。


男は、いない。


ヴァルクは叫ぶ。


「撤退する!」


迷いはない。


命令に、シグリッドが即座に動く。


「前を切り開く!」


ミレアが叫ぶ。


「後方援護、任せて!」


ヴァルクは盾を上げる。


「俺が背中を守る!」


霧を裂きながら走る。


後ろで、男たちの悲鳴が消える。


振り返らない。


振り返れば、止まる。


止まれば、全滅だ。


霧の中を駆け抜ける。


生きているのは、女と――


復讐者だけ。



霧の中、残った遊撃隊を引き連れて走る。


背中に、城壁の灯りが近づく。


後ろで、角笛が悲鳴に変わる。


《黒鉄の牙》は、もう終わった。


城門が見えた。


ヴァルクが門へ向けて怒鳴る。


「開けろ!」


兵が一瞬躊躇う。


「遊撃隊が――」

「壊滅した!」


言い切ると、門が開く。


遊撃隊の生き残りが帰還する。


門が閉まる。


鉄が噛み合う音が、やけに大きい。


城内の通路。


ミレアが息を整えながら言った。


「……何をされたの?」

「男の人たちが、全部、折れた」


ヴァルクは歩きながら答える。


「未練を見せられた」

「恋だの」

「夢だの」

「褒められたいだの、の幻想だ」


ミレアが唾を飲む。


「じゃあ……どうするの?」


ヴァルクは止まらない。


「次は“折れない”のだけで組む」

「数は減る」



城壁の上。


夜霧の向こうで、炎が揺れている。


城門前広場には、連隊長以下、各隊の隊長が集められていた。


鎧に泥と血が付いたまま。


伝令が膝をつき、声を震わせる。


「報告――遊撃隊、壊滅」


沈黙。


「魔王軍幹部、“サキュバス騎士”確認」


ざわめきが広がる。


連隊長が低く問う。


「生存は?」


「……少数。女兵と、数名のみ」


空気が重く沈む。


「対策は」


誰も答えない。


沈黙が続いた、その時。


「対策はあります」


声は澄んでいた。


ミレアが一歩前に出る。


連隊長の視線が向く。


「根拠は?」


「サキュバス騎士の術は、“欲望を増幅する”術式です」


周囲が顔を上げる。


「未練、後悔、憧れ――それを幻に変える」

「男は、抗えない」


一瞬、ヴァルクを見る。


「ですが」


声は揺れない。


「女には効いていません」

「そして――」

「欲望より強い“目的”を持つ男にも、効きません」


連隊長の目が細くなる。


例はあるのか。


「ヴァルクです」


視線が集まる。


「彼は未練を抱えている」

「それでも折れていない」


「戦えるのか」


「はい」


風が鳴る。


沈黙。


やがて連隊長が言う。


「女兵と、折れない男で組め」


兵が走る。


命令が伝令に渡る。


ミレアは振り返る。


ヴァルクを見る。


笑わない。


揺れない。


「ヴァルク」


一歩、近づく。


「私は、あなたの背中に立つ」


宣言。


ヴァルクの喉が僅かに動く。


「……勝手にしろ」


拒絶ではない。


許可でもない。


ミレアは頷く。


「うん。勝手にする」


城外。


霧の向こうで、サキュバス騎士が城壁を見上げている。


まだ来る。


次も来る。


ヴァルクは盾を握る。


戦場だけが現実だ。


恋は利用する。


だが――


復讐者に、甘い未来は要らない。

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