第5話 綻び始めた日常

◇◆◇


パーティー会場での大醜聞から一夜。

高橋勇樹の日常は、音を立てて崩れ去った。


「高橋、君は自宅待機だ。コンプライアンス委員会が動いている。

 横領と贈賄の疑いが晴れるまで、一歩も外に出るな」


上司からの冷淡な宣告。昨日まで「次期部長」と持て囃されていた男に向けられる目は、もはや汚物を見るそれと同じだった。


勇樹は逃げるように帰宅したが、

そこにあるはずの「安らぎ」も、すでに毒に侵されていた。



◇◆◇


「麻衣! 説明してくれ!

 昨日のパーティーであんな騒ぎを起こして……亮介と連絡を取っているのか!?」


勇樹がリビングに踏み込むと、麻衣は無表情にスマートフォンの画面を眺めていた。彼女の傍らには、すでにパンパンに膨らんだスーツケースが置かれている。


「……亮介くんはね、私を助けてくれたのよ。

 あなたが外で女遊びをしている間、私の話を聞いてくれたのは彼だけだった」


「あいつは俺を陥れようとしてるんだぞ! 昔の逆恨みで!」


「逆恨み? ……違うわ。自業自得よ」


麻衣は立ち上がり、離婚届をテーブルに叩きつけた。


「家、車、預金。全部いただくわ。あなたの不倫の証拠、亮介くんがプロの調査員を使って集めてくれたから。弁護士も彼が紹介してくれた凄腕の人よ」


「なっ……! 待て、麻衣!

 俺にはもう、仕事しかないんだ! お前を失ったら……!」


「仕事? それももう無理でしょ。……じゃあね、勇樹。

 10年前、あなたを選んだのが私の人生最大の汚点だったわ」


ドアが閉まる音。

10年かけて築いた「幸せな家庭」が、ものの数分で消滅した。



◇◆◇


一人残された勇樹に、追い打ちをかけるように電話が鳴る。

知らない番号。だが、彼は縋るように出た。


「……もしもし」


『高橋。まだ生きてるか?』


亮介の声だった。

10年前の穏やかだった声とは違う、低く、魂を削り取るような冷徹な響き。


「亮介……貴様! どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ!」


『馬鹿にする? 違うな。

 これは「清算」だよ。……お前、闇金から連絡が来てないか?』


「闇金……? 何のことだ!」


勇樹が慌ててポストを確認すると、

そこには心当たりのない「借用書」のコピーが何枚も投函されていた。


俺が仕組んだ、彼名義の偽造書類。彼が「接待費」としてサインした書類のいくつかに、巧妙に金銭貸借の条項を紛れ込ませておいたのだ。


『お前がプロジェクトで動かした「裏の金」あれの一部は、俺の息がかかった組織から出ている。会社が横領を認めれば、その借金はお前の個人債務になるように組んである』


「……そんな、デタラメだ! 警察に行くぞ!」


『行けばいい。地権者への贈賄を自供することになるがな。

 ……高橋、お前にはもう、逃げ場なんてないんだよ』



◇◆◇


電話が切れ、部屋に静寂が戻る。

勇樹は震える手でアルコールを口に運ぶが、味などしない。


窓の外を見れば、彼がかつて見下していた街並みが広がっている。

かつて彼は「俺は選ばれた人間だ」と信じて疑わなかった。だが今、彼は自分を「陥れるプロジェクト」の真っ只中にいることに気づき始めた。


(亮介……あいつ、10年間ずっと、この時を待っていたのか?)


勇樹の脳裏に、10年前の亮介の顔が浮かぶ。

恋人を奪われ、親友に裏切られ、雨の中で立ち尽くしていた男。

あの時の亮介の絶望が、10倍の質量を持って自分に降りかかってきている。


「う、うあああああ!」


勇樹は叫び、ガラスのテーブルを殴りつけた。

だが、その叫びを聞いてくれる人間は、もうこの世界に一人もいなかった。

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