第2話 獲物の背中を追って
◇◆◇
帝都不動産の本社ビル、32階。
全面ガラス張りの会議室に足を踏み入れると、
そこには懐かしい、そして吐き気のする顔があった。
「はじめまして。今回、御社の『湾岸エリア再開発プロジェクト』の外部コンサルタントとして招聘されました、佐川です」
俺は完璧なビジネススマイルを浮かべ、差し出した名刺には「佐川陵」と記した。
本名の「亮介」から全く違う印象を鋭くした偽名だ。
「ああ、佐川さん! 噂はかねがね。
若くして数々の難事業を成功させてきた『再生の魔術師』だと伺っていますよ」
声を上げて立ち上がったのは、高橋勇樹だった。
10年前の爽やかな面影は、不摂生と慢心によって薄っすらと脂ぎっている。仕立ての良いスーツを纏ってはいるが、その内側にある空虚さを俺は見逃さなかった。
「……? 失礼ですが、どこかでお会いしましたかな?
なんだか、懐かしい感覚がしまして」
勇樹が目を細め、俺の顔を覗き込む。
心臓がわずかに跳ねたが、表情一つ変えずに応じる。
「いえ、初めてですよ。
業界が狭いので、どこかですれ違っていたのかもしれませんね。高橋次長」
「ははは、そうかもしれませんな! いやあ、心強い。このプロジェクトが成功すれば、俺の部長昇進は確実なんです。ぜひ、力になってくださいよ」
勇樹は、彼がかつて裏切った「亮介」だとは微塵も疑っていない。彼にとって、奪った過去の友人など、使い捨てたティッシュと同じ程度の記憶なのだろう。
◇◆◇
会議が始まると、俺は用意していた緻密な戦略図を広げた。
「今回の再開発、懸念点は用地買収の遅れですね。ですが、私のルートを使えば、反対派の地権者を一気に黙らせるスキームが組めます」
俺が提示したのは、一見すると合理的だが、
その実、法的グレーゾーンを極限まで攻めたスキームだった。
もちろん、今の勇樹にはその「毒」は見えない。
見えるのは、圧倒的な利益と、自分の手柄になる輝かしい未来だけだ。
「素晴らしい……! 佐川さん、
これなら予定より半年前倒しで着工できるじゃないか!」
「ええ。ただし、これには『特例』の処理が必要です。
高橋次長のハンコ一つで、全てが動き出します」
俺は、彼に「全権」を握らせるように誘導した。
失敗した時の責任を全て彼が負い、成功した時の果実を彼が独り占めできる仕組み。プライドが高く、手柄に飢えている勇樹が食いつかないはずがなかった。
「任せてください。社内調整は俺の仕事だ。君は、この通りに進めてくれ」
勇樹は高笑いしながら、俺の肩を叩いた。
10年前、彼女を寝取った時と同じ、無神経で暴力的な叩き方だ。
◇◆◇
その夜。
俺は勇樹に誘われ、銀座の高級クラブへ足を運んだ。
接待という名の、彼の自慢話を聞かされる時間だ。
「佐川さん、実はね。俺の妻も、このプロジェクトを応援してくれてるんですよ。
学生時代からの付き合いでね。あいつ、俺がいないと何もできない女なんですわ」
酒が進んだ勇樹が、スマートフォンの画面を見せてきた。
そこには、かつての俺の恋人、麻衣がいた。
10年前の清楚な面影は消え、派手なブランド品に身を包んだ、
どこか疲れの見える「トロフィーワイフ」としての彼女。
その瞳には、かつて俺に向けていたような純粋な輝きはなかった。
「……素敵な奥様ですね」
「まあね。でも最近は、金、金ってうるさくて。
俺がこれだけ稼いでやってるのに、感謝が足りないんですよ。
だから俺も、外でちょっとした『息抜き』が必要でしてね」
勇樹は下衆めいた笑みを浮かべ、近くにいたホステスの腰に手を回した。
麻衣を寝取った男が、今やその麻衣を蔑ろにし、不倫を平然と口にしている。
(救いようがないな、お前は)
俺は冷めた目で、シャンパングラスの泡を見つめた。
麻衣も、そしてこの勇樹も。俺が愛した女と、信じた親友は、10年前のあの日、死んだのだ。今ここにいるのは、ただの「排除すべき障害物」に過ぎない。
◇◆◇
数日後、俺は勇樹の妻、麻衣に接触した。
勇樹が仕事で不在にしている午後、彼女が通う高級エステの帰り道を狙った。
「失礼、落とし物ですよ」
俺は、彼女がわざと落とすように仕向けたハンカチを拾い上げた。
振り返った麻衣が、俺の顔を見て凍りつく。
「え……? 亮……介……くん?」
声が震えていた。
10年経っても、彼女は俺の声を、俺の気配を忘れていなかったらしい。
「お久しぶりです、高橋夫人。……いえ、麻衣さん」
俺は、かつて彼女が大好きだと言っていた、優しい微笑みを浮かべた。
「少し、お話ししませんか? 勇樹には内緒で」
復讐のプロジェクト、第2フェーズ。
まずは、彼の「城」の内側から、崩壊の種を植え付ける。
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