爛漫の春

櫻庭ぬる

梅の宴

「『爛漫の春』を描いて欲しい」


 それが二つ返事で受けた今回の依頼だった。『爛漫の春』というイメージはすぐに湧いた。だから難しくないと思ったのだ。だが今、それが描けなくて難儀している。


 細かい指定はないが、絵の中に美しい女性を入れて欲しいとのことだった。


 爛漫のイメージは既に頭の中で満開の桜の姿をとっていた。花吹雪の中、桜の精のような美しく儚げな女性が佇む──。


 そうイメージはできているのに、自分で満足できるものにならない。


 今までに十分すぎるほど見た桜。桜を描いたこともたくさんある。記憶と写真を頼りに何度か頭の中にある『爛漫の春』をちょっと描いてみたりもしたが、“いかにも”というだけのどこか陳腐なものになった。完成まで描き続ける気にならなかった。


『爛漫の春』というからには、この目で花が咲き誇る様を見た時のような、自分自身の心が動くようなものでなくてはならない。そんな思いがあった。


 かといって、納期は迫っている。桜が咲いてからでは遅い。今回は依頼自体がつい先日来たのだ。急ぐ分、料金は上乗せしてもらっているが。


 煮詰まったときの習性で、ふらりと外に出た。御苑ぎょえんの辺りにでも行ってみるかと、行先に見当をつけて歩き始める。


──もうひと月もすれば、鴨川沿いに並んだ桜も、川を覗き込むように身を乗り出して、風に満開の花々を揺らすんだがな。


 そんなことを想いながら橋を渡って、鴨川の西方向に向かった。


 京都御苑の中に入ると、まだ桜が咲く前の時期で人もまばらだった。気候が良く、散歩にはとてもいい。これから咲くのであろう木々は小さな蕾を付け始めているが、まだ開きそうにはない。御苑内の南西の辺りに梅の木が集まっていたことを思い出し、行ってみることにした。


 たどり着くと、すでに白や薄桃色、濃紅色や黄色の梅が咲き誇っていた。桜はまだといっても、こんなに色とりどりの花が開く季節が来ていたのか。甘くやわらかな香りが辺りに漂う。メジロが数羽やってきて、梅の木の枝から枝へとぴょんと飛んだり羽ばたいたりして移動していた。


 これは良い。とても良い。

 

 早速写真を撮り、少し離れた松の根元に腰を下ろして、スケッチブックを開いて描き始めてみた。家で作業していた時よりも、描きたいものに近づいた気がする。しかし、肝心の女のイメージが固まらなかった。


 やがて、華やかな一群がやってきた。白や薄桃色の着物を着た女たちが華やかに笑っている。中には黄色や濃紅色の者もいてなんとも色鮮やかである。何かの会でもあったのだろうか。


 通り過ぎるとき、ふわりと甘い匂いが鼻を掠めた。


 女の一行を眺めていると、

「良い陽気ですねぇ」

と、横で声がした。


 声の主は若草色の着物を着た小柄な少女だった。


「10日ほど前には雪を被っておりましたが、今ではそれが嘘のように暖かくて気持ちが良いです。今日は御常おつねの紅梅さまが花開くというので、皆浮き立っているのでございます。さぁさ、こちらへ」


「なんだっていうんだ、一体」


 戸惑うわたしをよそに、少女はわたしの服を掴むとぐいぐいと引っ張り、一行に追いついた。甘い匂いが一層強くなった。


「女性ばかりの中に入ると、どうにも落ち着かんな」

 

 わたしがそう言うと、


「なぁに、女の形をとっておられるだけでございますよ。中には男の形をとって女の成りをしていらっしゃる方もございます。あの方々はどちらでもございますので、どちらだって良いのです。思い思いに華やかにされているのでございます」

と少女が答えた。


「あの人たちはなんなんだ」

と訊くと、

「もちろん、梅でございます」

と答えた。


「君もそうなのかい」


 そう訊くと、少女は首を振り、

「メジロの身では、そうはいきません」

と、答えた。


 一行は京都御所ごしょの中に入っていった。京都御所は京都御苑の中にある。そこは宮内庁が管理しており、通常は警備がいるのだが、今はどこにも見当たらなかった。


 梅の一行はそんなことを気にも止めず、楽し気に会話をしながら、どんどんと奥に進んでいった。ようやく足を止めたのは御常御殿おつねごてんの前だった。


 御常御殿は豊臣秀吉の時代に建てられ、以来明治天皇までが生活をした場所らしい。その御殿の前には、向かって右に白梅、左に紅梅があった。


 白梅はすでに満開を迎えていた。対する紅梅はまだ蕾である。


「こちらのお二方は、なかなか時を同じくしては咲かないのですが、今日はどうやら白梅さまが満開の中、紅梅さまがお咲きになるらしい。それでみんな祝いに来たのです」


 メジロが改めてそう説明してくれた。


「そうは言っても、まだ蕾じゃないか。今すぐにポンとは咲かんだろう」


「時が来れば咲くものです。あ、ほら。御覧ください」


 言われて見ると、紅梅の蕾達がゆっくりと開き始め、みるみるうちに満開となった。


 梅の一同が色めき立った。


 すると、白梅がさわさわと花を揺らし、花々からゆらゆらと霧のようなものが立ち上がると、それは次第に人の形をとった。白い衣装を着た美しい人だった。男でも女でもあるような、不思議な気配を纏っていた。


 すると、紅梅の方も花を揺らし始め、同じように霧が立ち上ったかと思うと、人の形をとった。こちらは華やかな紅色の衣装を纏っていた。目元の涼やかな、美しい女性だった。ふと、紅梅と目が合った。その瞬間、鼓動が強く打ったような感覚を覚えた。


「めでたや」

「めでたや」


 梅たちが口々にそう言った。満開の紅梅と白梅を前に、梅たちはいつの間にか敷いていた敷物の上で、宴を始めていた。どこから持ち出したのか、箏や笛を奏でる者が現れ、酒を飲み、いよいよ賑やかになった。華やかな梅の色をした着物の梅たちの中で、紅梅と白梅は静かに微笑んでいた。


「ささ、貴方さまもこちらへ」


 メジロに言われるまま敷物の上に座ると、酒器を渡された。さらに別の手が出てきて、わたしの器に酒を注いだ。見ると先ほどの紅梅であった。紅梅は近くに居ると目が離せなくなるほど美しかった。紅梅の手が、器を持つわたしの手にそっと触れた。わたしは顔が熱くなるのを感じた。紅梅と目が合うと、目を逸らすことができなくなった。


「どうぞ、お飲みになってください」


 紅梅が云った。わたしがあまりに見とれるものだから、紅梅は目を伏せ、恥ずかし気にした。わたしは云われるまま、ぐいと飲んだ。


「梅の香に心が酔って、こちらに来てしまったのでしょう」


「そういうことがあるのですか」


「珍しいことですが、時折は。ほどほどにせねば戻れなくなります。その酒の酔いが回った頃に戻れましょう」


 やがて紅梅と白梅が舞を披露してくれることになった。その舞は、今が盛りとばかりに咲き誇り、輝く花々を祝福するかのような舞だった。


 あぁ、これだ。これがわたしが探していたものだ。紅梅を、あのひとを描きたい。そう強く思った。

 

 いや、描きたいだけではない。本当は紅梅を自分のものにしたかった。


 酔いが回ってきたようで、頭がぼぅとしてきた。わたしはふらふらとしながら、咲き誇る紅梅の枝に手をかけた。これを手折れば、紅梅が自分のものになる気がした。


その瞬間、わたしの手に細い白い手が触れた。紅梅だった。


「なりません」


 紅梅が言った。


「人の手で手折ってよいものではございません。戻れなくなりますよ」


「戻れなくなるならば望むところだ。ここであなたと共に居られるなら‥‥‥」


 そう言うと、紅梅は静かに首を振った。


「わたくしもやがては散る身でございます」


 そして紅い梅の花をひとつ、わたしの手に乗せた。


 その時、ぐらりと視界が歪んだ。強く甘い、梅の香りが辺りを包み、そこで意識がぷつりと切れた。




 わたしは梅林近くの松の根元で目を覚ました。


 目を開けた時、わたしの膝のところにメジロが乗っていた。メジロは梅の花を咥えていた。わたしが少し動いた拍子に、花をぽろりと落として飛んでいった。


 それは見事に紅い、梅の花であった。

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爛漫の春 櫻庭ぬる @sakuraba_null_shi

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