文化祭一ヶ月前に「軽音部No.1バンドに行く」と幼馴染に捨てられた僕。屋上で拾ってくれたギャルと組んだバンドが最強すぎて、幼馴染が後悔してももう遅い

いろは杏⛄️

第1話 文化祭一ヶ月前、僕は幼馴染に捨てられた

 午後四時の第二音楽室には、独特の匂いが漂っている。


 埃っぽいカーテンの匂いと、床ワックスの匂い。そして何より、僕が一番落ち着く、指板潤滑剤とレモンオイルの混ざり合った匂いだ。


 僕は愛機であるフェンダー・ジャズベースをクロスで丁寧に磨き上げながら、はやる気持ちを抑えていた。


 ボディの曲線、少し錆びかけたブリッジ、そして何よりこのネックの握り心地。どれをとっても最高だ。僕の生活費の全ては、この四本の弦と機材に消えていると言っても過言ではない。


 ガララ――と引き戸が開く音がした。

 入ってきたのは、幼馴染であり、僕にとって唯一のバンドメンバー、小日向美咲こひなたみさきだ。


「ごめん、みなと。待たせたね」


「ううん、大丈夫だよ。機材のセッティングもちょうど終わったところだし」


 僕はアンプのスイッチを入れようと立ち上がる。

 高校生活最後の文化祭。僕たち軽音部にとっては、三年間の集大成とも言えるステージだ。


 僕と美咲は、中学の頃からずっと一緒にやってきた。彼女の少しハスキーで、でも伸びやかな歌声を一番輝かせるのは、僕のベースだと自負していた。


 今回のために書き下ろした新曲だってある。彼女の音域を完全に解析し、ブレスの位置まで計算し尽くした自信作だ。


 けれど、美咲は楽器ケースを置こうともしなかった。

 入り口に立ったまま、気まずそうに視線を泳がせている。


「……あのさ、湊。いきなりで悪いんだけど」


「ん? 何?」


「今回の文化祭、あんたとは出られない」


 アンプのスイッチを入れる指が止まった。

 真空管が温まる微かなノイズだけが、静寂の中に響く。


「……えっと、どういうこと?」


「違うよ。誘われたの。『クリムゾン』に」


 ――クリムゾン。


 その名前を聞いた瞬間、喉の奥が引きつった。

 軽音部内でもトップの実力と人気を誇る、いわゆるのバンドグループだ。メンバー全員が派手で、スクールカーストの上位層。僕のような地味な生徒とは住む世界が違う連中だ。


「ボーカルの子、喉やっちゃったんだって。で、代わりを探してたところに、私が声かけられたの」


「で、でもっ!」


 僕は慌てて食い下がる。


「僕たちの曲はどうするんだよ? アレンジだって昨日の夜、やっと完成して……Bメロのコード進行、美咲が歌いやすいようにテンションノート減らして、ルート弾き主体に変えたんだよ? それに――」


「はぁ……」


 美咲が、大きなため息をついた。

 その瞳には、僕が見たこともない冷ややかな色が宿っていた。


「そういうとこ」


「え?」


「湊のそういう理屈っぽいところ、重いんだよね」


 ガツン、と頭を殴られたような気がした。


「湊のベースってさ、確かに上手いよ? 譜面通り完璧だし、ミスもない。でもさ……なんか暗いんだよ。地味っていうか、華がないっていうか」


「……地味、って」


「クリムゾンの演奏は違うの。もっとこう、キラキラしてて、ステージの真ん中が似合う感じ。私はあっちで歌いたいの。オタクのあんたの横じゃなくて」


 彼女はそこまで言うと、「じゃあね」と背を向けた。

 長い髪がふわりと揺れる。

 それは、僕が何年も見続けてきた幼馴染の背中ではなく、全く知らない他人のものに見えた。


「悪いけど、機材片付けといてね。裏方作業の方が、あんたには似合ってると思うし」


 引き戸が閉まる。

 残されたのは、僕と、重たいベースだけだった。



     * * *



 放課後の廊下は、文化祭準備の熱気に包まれていた。

 クラスメイトたちが段ボールを抱えて走り回り、どこかの教室からは演劇の練習をする声が聞こえてくる。


 その喧騒の中を、僕は巨大な棺桶のようなベースケースを背負って歩いていた。


 ――重い。


 いつもなら誇らしく感じるこの重みが、今はただの鉛の塊のように肩に食い込む。


 美咲の言葉が、脳内でリフレインする。


 ――地味。暗い。華がない。


 分かっていた。自分でも分かっていたことだ。

 僕は人付き合いが苦手だし、ファッションにも疎い。好きなことと言えば、部屋にこもって機材の周波数特性を調べたり、エフェクターの配線を自作したりすることくらいだ。


 それでも、音楽だけは裏切らないと思っていた。

 ボトムを支えるベースラインさえしっかりしていれば、バンドは輝くと信じていた。


 でも、それは僕の独りよがりだったのか。

 気がつくと、僕は北校舎の屋上への階段を登っていた。立ち入り禁止の札がかかっているが、鍵が壊れていることを僕は知っている。


 ――ここなら、誰も来ない。


 屋上の扉を開けると、夕焼けの朱色が視界いっぱいに広がった。


 秋風が頬を撫でる。僕は給水塔の裏側、死角になる場所に座り込み、ケースからベースを取り出した。


 アンプには繋がない。生音アンプラグドだ。

 ジャズベースの冷ややかなボディを抱え込むと、それだけで少し呼吸が楽になる。


 指が勝手に動いた。

 弾いたのは、美咲のために書いた曲の、サビのライン。


 ベンッ、ブゥゥン……。


 アンプを通していないから、音は小さい。弦がフレットに当たる金属音と、ボディが共振する低い唸りだけが聞こえる。


(クソッ……!)


 悔しさが指先ににじむ。

 本来なら、ここはもっとメロディアスに動くはずだった。でも美咲が「歌いにくい」と言うから、あえて音数を減らしたのだ。


 ――誰のために。

 そう、彼女のために削ぎ落とした音だった。


 ベンッ、ベケッ、ブーン。


 感情を叩きつけるように、弦を弾く。

 丁寧な指弾きから、荒々しいスラップへ。親指で弦を叩き、人差し指で引き上げる。

 バチッ、バチッというパーカッシブな音が、静かな屋上に弾ける。


 理屈なんてどうでもいい。

 コード理論も、スケールも関係ない。

 ただ、胸の奥に溜まったドロドロとしたものを、吐き出したかった。


「……っ、ふぅ……」


 息を切らして、最後の開放弦を鳴らした、その時だった。


「へぇ。オタクくん、意外とイイ指してんじゃん」


 不意に、甘ったるいバニラの香りが鼻腔をくすぐった。


 心臓が跳ね上がる。

 慌てて顔を上げると、そこに異物が立っていた。


 短いスカートから伸びた健康的な脚。

 着崩したシャツの襟元。

 そして、夕日を反射して輝く金髪と、派手なピアス。


「き、如月きさらぎ……さん……!?」


 声が裏返った。

 如月玲奈きさらぎれな


 僕と同じクラスにして、スクールカーストの頂点に君臨するギャルだ。席が離れているから話したこともないし、正直言って一番苦手なタイプの人種だ。


 なんでこんな所にいるんだ?


 如月さんは、怯える僕のことなんてお構いなしに、ズカズカと歩み寄ってきた。


 ――近い。香水の匂いが濃くなる。


「ねえ、今の曲ナニ? なんかさー、お腹の底に『ズンッ』て来る感じで、超ヤバかったんだけど」


「え、あ、いや……ただの、手癖というか……」


「ふーん? 手癖でアレなんだ。ウケる」


 彼女はニカリと笑うと、なんと僕の隣に――汚れたコンクリートの上に、直に座り込んだ。


 スカートの中が見えそうで、僕は慌てて視線を逸らす。


「で? なんでオタクくんがこんなとこで黄昏れたそがれてんの? 準備サボり?」


「ち、違います……。その……」


 彼女の大きな瞳に見つめられると、嘘がつけない。

 というより、彼女の纏う空気に圧倒されて、思考回路がショートしそうだ。


 僕は蚊の鳴くような声で、事の顛末を話した。


 幼馴染とバンドを組んでいたこと。

 今日、一方的に解散を告げられたこと。

 地味で暗いと言われたこと。


 如月さんは、長いネイルがついた爪で、カンカンとコンクリートを叩きながら聞いていた。

 そして、僕が話し終えると、大きく息を吐き出した。


「はぁー……」


 やっぱり、呆れられたか。

 こんなウジウジした話、ギャルの彼女にとっては退屈でしかなかっただろう。


 そう思った、次の瞬間だ。


 ドゴォッ!!


「ひいっ!?」


 如月さんが、履いていたローファーで、目の前のフェンスを蹴り飛ばした。金網が悲鳴を上げ、僕も悲鳴を上げる。


「な、何して……」


「ムカつく。何その女」


 如月さんは、僕の方を向いて目を吊り上げていた。

 その瞳には、明確な怒りの色が灯っていた。


「センスなさすぎでしょ。あんたのベース、全然地味じゃないし。むしろ……」


「む、むしろ?」


「超エロかったし!」


「ぶっ!?」


 予想外すぎる単語に、僕は吹き出しそうになった。

 音楽的な評価で「エロい」と言われたのは初めてだ。グルーヴィーだとか、ドライブ感があるとか、そういう表現なら分かるが。


「あんたの音聞いてたらさ、なんかゾクゾクしたんだよね。言葉より、ずっとうるさく叫んでるっていうか。……あーし、そういうの嫌いじゃないよ」


 彼女はそう言うと、僕の持っているベースのボディを、指先でツツッと撫でた。まるで、傷ついた生き物を労わるように。


「……あ、ありがとう……ございます」


「敬語キモい。同じクラスなんだから、タメ語でいいじゃん――」


 如月さんはすっくと立ち上がった。


 夕日を背負った彼女の姿は、逆光で表情が見えない。

 けれど、その佇まいは、まるでステージ上のロックスターのように堂々としていた。


「ねえ、オタクくん――あんた、悔しくないわけ?」


「……悔しい、よ。そりゃあ」


「だったらさ」


 彼女は僕の胸ぐらを掴むと、強引に顔を近づけてきた。

 整った顔立ちが、目の前にある。長いまつ毛の隙間から、射抜くような強い視線が僕を貫いた。


「決まり。あんた、あーしと組みなよ」


「……はい?」


 思考が追いつかない。

 組む? 何を?


「バンドだよ、バ・ン・ド! あーしが歌ってあげるって言ってんの!」


「いやいやいや! 無理だよ! だって如月さん、軽音部じゃないでしょ!? それに楽器は!?」


「歌には自信あるし! 楽器とか細かいことは後で考えればいいじゃん!」


 無茶苦茶だ。論理もへったくれもない。


 ――でも。


 不思議と、嫌な気分ではなかった。


「見返してやろうよ。その見る目のない元相方をさ」


 彼女はニカっと、太陽のように笑った。

 その笑顔は、僕が抱えていた鉛のような重さを、一瞬で吹き飛ばしてしまうようなエネルギーに満ちていた。


「あんたのその『重い音』、あーしなら乗りこなせるからさ。……ね?」


 差し出された手。

 その爪は派手なピンク色に塗られていて、僕の地味な指先とは正反対だ。


 けれど、僕は吸い寄せられるように、その手を握り返していた。


「……うん。やろう、バンド」


 これが、僕と彼女の――リベンジの始まりだった。

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