文字無き世界の図書館司書、燃え残りに火を灯す

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第1話

 村の広場の焚き火に、かつて『夏目漱石全集』だった紙束を投げ入れた。


 漱石の作品は大好きだった。「日本」と呼ばれていた国の文豪。その歴史に残すべき作品たちが、俺の手によって、この世から失われてゆく。それは村人たちに暖をもたらす火となり、煙は空へと立ち昇る。それはやがて、真っ白な灰となるのだろう。


 本を燃やすのは、まるで火葬だ。文字が読めない者ばかりとなったこの世界で、書物は死んだように意味を失っている。

 本を燃やす火と煙は、いつだって思い出させる。数年前に亡き人となった母を、荼毘に付した日を。


 十人ほどの老若男女が、焚き火を囲んでいた。俺の感傷とは真逆に、村の子供達の表情は明るい。


「うわぁ、あったかいねぇ」


 焚き火の暖かさに、村の子供達の表情が緩んだ。この冬は一段と寒さが厳しい。一方、暖を取るための薪や枯れ枝は、冬を乗り切るには些か心許ないように見えた。


「サトシさん、いつもありがとう。おかげで子供達も凍えなくて済みそうだ。少ないが、お礼の品だ。受け取ってくれ」


 村の男が、ずしりと重い麻袋を差し出した。中を見ると、小麦を挽いた粉だった。

 

「……こちらこそ。お陰様で、俺も当分は飢えなくて済みそうです」


「今年の冬は厳しそうだ。……だが、僕の妻は出産が近い。身重の体を冷やしたくないんだ。出来る限りのお礼はするから、その『よく燃えるもの』をたくさん持ってきてくれないか」


「……ええ、わかりました」


 字の読めない村人たちにとって、本は燃料に過ぎない。俺は籠を背負うと、自宅へ戻る準備を始めた。その籠は数十冊分の紙束を運んできて、今は麻袋いっぱいの小麦粉を運ぼうとしている。


「サトシさん、もう帰るのか? よかったら泊まっていけ。寒くて暗い夜道を歩くのは辛いだろう」


「お気遣いありがとうございます。……でも、あまり棲家を空けたくないので。それに、今夜は満月ですし」


 男の善良さを体現するような申し出を辞して、俺は帰路についた。


 日は落ちていたが、満月と星々が照らす道は明るかった。緩やかな坂を昇り、丘の上の廃墟へと向かう。亡き母が言うには、その廃墟はかつて「図書館」と呼ばれていたらしい。


 坂を歩く道すがら、亡き母の言葉が思い出された。母も、母の父からの又聞きらしいが。


 ――百年近く前、知識を紙に記録するのは非効率だと思われていたの。代わりに、雲の向こう側の機械にあらゆる情報を記憶させていた。本に記すのは無駄だと思われて、物好きの趣味になった。そして、機械と脳が直接繋がって、文字を学ぶ必要すら無くなった。


 ――でも、それらは皆失われてしまった。異常気象。大規模な太陽フレアが何年も続いて、全ての機械が動かなくなった。……そして、数え切れない人が命を落とした。


 ――私たちが住んでいるのは、かつて「図書館」だった場所よ。それは、人間の知恵を書物にして残すための場所。

 

 やがて、かつて「図書館」と呼ばれていた俺の住処についた。その外見は苔むしていて、ガラス窓は割れ、コンクリートの壁が崩れて鉄骨の骨格が剥き出しになっている。


 俺は建物の中に入ると、階段を下へ下へと降り始めた。地下4階まで降って扉を開けると、むわりとした匂いが鼻をつく。古い紙と、インクの匂い。俺の住処の匂いだ。手がかじかむ様な寒さは地下深くには届かないようで、寒さを感じない。だだっ広い空間に、ぎっちりと本棚が並んでいる。その無数の本棚の1つ1つに、旧時代から受け継がれた書物たちが整然と並んでいた。


 母に読み書きを教わって、俺も数えきれない本を読んだ。しかし、生涯をかけても、この全てを読み終えることはないだろう。

 設えた寝床に横たわっても、寝付けなかった。明朝は気の進まない作業が待っている。本を「燃料」に変える作業だ。


 ***


「ん……」


 俺の意識は、まどろみの底から緩やかに浮上した。身体が鉛のように重い。先ほどまで見ていた夢が原因だろう。昨夜の帰り道、母のことを思い出していた所為か、夢の中でも母が現れた。


 夢の中で、俺はまだ子供だった。あの日のことは、今でも忘れられない。祖父の過去を語り、俺の名の由来を教えてくれた、あの日を夢に見たのだ。


 ――私のお父さんはね、かつてこの「図書館」の司書だったらしいわ。「書を司る」と書いて、司書。こんな風になってしまった世の中だからこそ、きっと本が役に立つ日が来る。いつも、そう話していた。

 

 ――サトシ。貴方の名は、漢字で『智史』と書くの。歴史の叡智を受け継いで欲しい、って願いからなの。だからどうか、サトシにはこの本たちを守って欲しい。役立てて欲しい。


 そう言って、母は俺をぎゅっと抱きしめたのだ。あの切なくて息苦しいような暖かさは、今でも忘れられない。


 だからこそ俺は今、自虐と自責で埋め尽くされている。確かに、本は村人の役に立っている。しかし、知識や知恵は何一つ伝えていない。ただ「燃料」として、身体を暖めるためだけに役立っているのだ。手の施しようがない倦怠感の中、俺は身体を起こした。この身を生き長らえさせるためには、「作業」を行わねばならない。


 だだっ広い空間を埋め尽くす書物を物色した。母が言うには、かつて数百万冊もの書物が保管されていたらしい。虫食いや劣化がひどい本から「燃料」にすると決めている。そうして選定した本を裁断し、燃えやすく、使いやすい形にする。


 今日「燃料」に変えたのは、農業関連の実用書と、土木工事の専門書。数十冊はあった。どれも表紙はボロボロで、ページの半分くらいは読めない代物だ。しかし、読めるページは全て読み終えている。本が教えてくれたのは、栽培が易しい野菜の育て方、土壌改良の技法。崩れにくい建物の作り方。


 「燃料」にすべく裁断する前、俺はもう一度だけ読み返す様にしている。その本に何が書かれていたのか、少しでも忘れないようにするためだ。

 それらは皆、遠くない未来、灰になるのだから。


 出来上がった「燃料」を籠に入れ、背負った。あの村へと届けるのだ。生きるための糧と交換するために。

 それが俺の日常だった。ずっとこんな日々を続けるしかないと、半ば諦めかけていた。


 あの、セナという女と出会うまでは。

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