〈完結済〉最強くノ一、色香だけは修行中
みにとまと
第1話 最強くノ一、色香だけ足りません
朝靄が、里をやさしく包んでいた。
木々の間を縫うように張られた渡り縄、低く沈んだ瓦屋根、足音ひとつ立てずに行き交う影。
ここは女忍の里――外の世界から切り離された、くノ一だけの場所。
その屋根の上に、霧生鈴香はいた。
膝を折り、背筋を伸ばし、息は限りなく浅く。
風が流れ、布がわずかに揺れても、彼女の輪郭は景色の一部のように溶け込んでいる。
次の瞬間。
鈴香の姿が、消えた。
否。
消えたように「見えた」だけだ。
地面に降り立つ音もなく、気配も残さず、彼女は既に別の屋根の陰にいる。
手にしていた苦無が、ひとつ、ふたつ。
投げた覚えはないのに、訓練用の標的には正確に突き立っていた。
「……相変わらず、見事ね」
木陰から、年嵩のくノ一が静かに声をかける。
里の長――皆がそう呼ぶ女は、感情を表に出さず、鈴香を見ていた。
「ありがとうございます」
鈴香は一礼する。
その動きに、無駄は一切ない。
歩き方、目線、指先の角度まで、すべてが整っている。
潜入、暗殺、護衛、情報の回収。
鈴香はどの任でも失敗したことがなかった。
敵に気取られず入り、気付かれぬまま終わらせる。
忍として、これ以上ない完成度だ。
――ただひとつを除いて。
「霧生鈴香」
里長の声が、少しだけ低くなる。
「お前を、男忍の里へ送る」
一瞬。
鈴香の表情は、まったく変わらなかった。
「女遁の術の訓練を受けなさい」
「……承知しました」
声も、完璧。
凛と澄み、迷いの欠片もない。
けれど。
(ぜっっっったい無理ぃぃぃ……!!)
胸の奥で、悲鳴が上がった。
(男の忍……? 近づく……? 女遁って、色香で男を惑わすやつ……?
む、無理無理無理無理! 目、合わないし! 声、震えるし!
何なら心臓が先に死ぬ!!)
外から見れば、出来上がったくノ一。
美しく、静かで、冷静沈着。
その内側で、鈴香は必死に叫んでいた。
女遁の術。
姿形や気配ではなく、心を揺らし、色香で油断を誘う忍の技。
――それだけが、どうしてもできない。
「出立は三日後」
里長は淡々と告げる。
「お前に足りない最後の一手だ。逃げ道はない」
「……はい」
鈴香は深く頭を下げた。
完璧な所作のまま。
乙女の悲鳴を、胸に押し込めながら。
本作のイメージイラストが近況ノートにあります。そちらもご覧いただけると嬉しいです。
https://kakuyomu.jp/users/minitomato1023/news/822139844687055284
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