コンシーラーはその野性愛を隠せない

壱単位

第1話 物語のはじまり


 「チーフぅ……もう、無理ですぅ……」


 ビル群に赤い夕陽が沈んでいく。

 その残照に影を刻みだされながら備品の間に死屍累々と転がっているのは、わが社の誇るビューティアドバイザーたちだ。


 「……足が……棒を超えて丸太……」

 「きょう、お店とバック、何往復したんだろ……百……いや二百……」


 美容部員の控室。長椅子に突っ伏しているのは、入社三年目のサトミ。パイプ椅子でクラゲのようになって天井を仰いでいるのは二年目のエリ。華やかな売り場では完璧な笑顔とメイクで武装している彼女たちも、バックに戻ればただの疲れ切った女子だ。

 そして、その中心で眉間のシワを指で伸ばしているのが、このチーム、老舗デパートの売り場チーフであるわたし、桑原柚月くわばら ゆづき


 「こら、だらけない。制服がシワになるから」

 「だってぇ」

 「しょうがないでしょ。既存のラインで勝負できないなら、わたしたちが新しいイメージを作らなきゃいけないの。空き時間はバックでお互いにアイデアを出し合ってタッチアップ練習。みんなで決めたことじゃない」

 「……だけどちょっと、酷すぎません……?」


 サトミが恨めしそうに上体を起こす。


 「目標未達なら、チーム解体って。しかも全員、地方へドナドナ。聞きました? なんか北海道の東の果てに出店計画あるって」

 「らしいわね」

 「あたし、嫌ですよぉ。生まれも育ちも都内なのに、カニとかクマに囲まれてお仕事とかぁ」

 「カニもクマも店舗には棲息してない。お店がどこにあろうと仕事はおなじ」


 わたしは眉を寄せ、ふうとため息をついた。ペットボトルのぬるいお茶を呷る。

 三日前のミーティングで、本社のエリアマネージャが言い放った言葉を反芻する。


 『君たちの班の売り上げはエリア最下位だ。次の四半期決算、三ヶ月後にV字回復できていなければ、この班は解体する。君たちには地方店舗の活性化にあたってもらうことになる』


 要するに、左遷だ。

 わたしたちのブランド『白峯』は老舗だ。高級路線だし、「メイクは魔法」というわたしの基本姿勢もあって、ずうっと技術偏重でやってきた。しばらくはよかった。でもここ数年、外国のコスメやプチプラ勢に顧客を奪われ、数字は右肩下がりなのだ。


 わたしは高校生の頃から決めていた。この会社に入り、このブランドのために力を尽くそうって。

 当時、いろいろなことで悩んでいたわたしを救ってくれた色。ぜんぶ投げ出して消えてしまいたいって思っていたわたしに、母を待つあいだにタッチアップをしてくれた白峯のお姉さんの微笑みは、わたしの人生を変えることになった。

 アルバイトしながら短大を出て、希望どおりにアドバイザとして入社し、猛勉強と猛特訓の末に身に着けた技術。社内競技会でも三回連続、優秀賞に輝いた。

 でも……そんな技術も、数字という暴力の前では無力。


 「チーフ、なんか起死回生のアイデアないんですかぁ?」

 「そうですよ、桑原さんのゴッドハンドでなんとかなりません?」


 縋るような視線が痛い。

 わたしだって、なんとかしたい。でも、今のわたしにあるのは、ぱんぱんにむくんだ足と、折れかけた心だけだ。


 「……あるわけないでしょ。魔法使いじゃないんだから」


 魔法。エリアマネージャの言葉が甦る。


 『君の技術は本物だ。誰よりもお客さまを見ている。お顔も、肌も。だが、メイクは技術だけで成り立つものじゃない。魔法じゃないんだ。美しさは、押し付けるものじゃない。お客さまが求めておられるのは、物語だ』


 「……もの、がたり……」


 思わず独り言ちた言葉にエリが反応する。


 「なんすか、物語って」

 「……ん、エリアマネージャが言ってたんだ。お客さまが求めるのは物語だ、って」

 「売り場に絵本でも置けばいいってこと?」

 「メイクしながらなんか読み聞かせとかすればいいのかな」


 部下たちの的はずれな会話を聞きながら、わたしはメイクボックスを握りしめた。

 物語。そんなもの、どこに落ちているというの。


 「……帰ろっか」


 ◇


 ヒールの音が夜の路地裏に虚しく響く。バッグに加えて自宅で練習をしようと持ち歩いているメイクボックスが手のひらに重く食い込んでくる。

 表通りの華やかさが嘘のような、ビルの谷間。駅までの近道なのだ。自販機の寒々しい明かりが足元を照らしている。

 昏い空を仰いで足を速めた、そのとき。


 「ねえ、おねーさん」


 粘着質な声が背中を撫でた。びくりと肩が跳ねる。

 振り返ると、そこには三人の男が立っていた。安っぽいジャージやダボついたスウェット。いわゆる半グレだ。嫌悪感が背筋を走る。


 「デパートのひと? 俺らと遊ぼうよ。いい店、知ってるよ」

 「……急いでますので」

 「つれないなぁ」


 男のひとりが、わたしの腕を掴んだ。痛い。振り解けない。


 「離してっ……!」


 抵抗も虚しく、男たちの包囲網が狭まる。

 誰か……っ。叫ぼうとして、喉がひきつった。

 と、そのとき。


 「……失せろ」


 右手の闇の向こうから鋭利な刃物のような声が投げられた。

 空気が凍りついた。男たちの動きが止まる。

 闇の底から、ひとりの男が歩み出てきた。

 宵闇そのものを縫製したような漆黒のスーツ。顔の半分を覆う黒いマスク。

 暗がりのなかでもその眼光の鋭さがみてとれた。やや灰色がかった瞳。複数の男たちを前にして、だけど、優位に立つものの余裕と不快なものを目に入れた苛立ちとが浮かんでいる。


 「あ? なんだてめぇ」

 「女ひとりを囲んで粋がるとはな。吐き気がする」


 低く、地を這うような声。

 と、半グレのひとりが胸元からなにか金属のものを取り出した。ものも言わずに飛びかかる。

 ひっ、とわたしが目を閉じた瞬間、ざっと踏み切る音、そしてどずん、という鈍く重い音が立て続けに聴こえた。

 目を開けると、半グレの男は地面に転がり、その背にスーツの男が膝を載せて押さえつけていた。相手が手に持っていたナイフのようなものをつまらなさそうに手のひらで弄び、自分の胸元にすっと差し込んだ。


 「……俺はこのまま動かねえから、襲ってみろ。背中から、よ」


 その声に、ちくしょう、と呟いてわずかに踏み出した二人だったが、スーツの男が向けた視線にそれ以上うごけずにいる。男がふうと息を吐いて立ち上がると、そのまま蜘蛛の子を散らすように逃げていった。転がっていた男も後を追う。


 静寂が戻る。

 残されたのは、へたり込んだわたしと、異様な威圧感を放つ彼だけ。

 彼はわたしに目もくれず、ふん、と鼻を鳴らして踵を返そうとした。


 その横顔に、街灯の光がわずかに差す。

 マスクの上、こめかみのあたりにわずかに血が滲んでいるのが見て取れた。先ほどの男ともみ合った際についた、かすり傷だろうか。


 「あ……血、が」


 職業病とも言える反射神経が恐怖を上書きした。傷ついた皮膚を放置したくない。 わたしは転がっていたメイクボックスから清潔なコットンを取り出し、彼に駆け寄った。


 「動かないで!」

 「あ? なんだ、てめ……」


 彼は振り返って避けようとしたが、わたしの手が早かった。伊達に十年、売り場に立ち続け、逃げようとするお客さまを捕まえてタッチアップしてきたわけではない。

 彼の黒いマスクに手をかけ、引き下げる。


 瞬間。

 街灯の淡い光が、露わになった彼の素顔を照らし出した。

 時が、止まった。呼吸も忘れ、魅入られたように彼の横顔を見つめる。

 

 奇跡的な均衡を保つ骨格。陶磁器のような肌。すっと通った鼻筋と、憂いを帯びた唇のライン。闇のなかに無造作に放り出された、最高級の宝石がわたしの目の前にあったのだ。

 モデル? アイドル? いや……そんなレベルじゃない。神様が気まぐれで作り出した芸術品。


 「……綺麗」


 吐息と共に、言葉がこぼれ落ちる。

 それは異性への憧憬ではない。枯渇していた井戸に水が溢れ出すような感覚。アーティストとしての魂が、激しく火花を散らす音。

 見つけた。

 わたしの、起死回生の答え。

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