衆院選を目前にして「ドタキャン」が俄然ネット界隈で話題を呼んでいます。
病気、怪我、障害、そして妊娠……適切な休養の保障、負荷軽減、経済的支援など、合理的配慮を受けることは人権の一部です。
同時に、合理的配慮の下に参加できる部分については、積極的に参加していくことも求められるところです。オンライン参加など、党首討論会に参加できる手立てを整えることが、すなわち合理的配慮です。
誰かの「ドタキャン」が認められて他の人のそれがバッシングの対象になるとしたらそれは論外ですが、合理的配慮があれば十分に職責を果たせる部分まで権勢を背景に「逃げて」しまわれるとしたら、それは同じ病気とともに生きている人々の足を引っ張るのと変わらない行為です。
「今の自分」以外に向ける視野のない選択は、自分も、そして社会全体をもだめにしてしまうと感じます。
そのためにも、この一文を、選挙に行かれる前に、ぜひ、ご一読されることをお勧めします。
そりゃあ大前提として、健康であることに越したことはありません。
手があって足があって、目が見えて、耳が聞こえて、怪我や病気などで痛みがないというのは、とてもいいことだとは思います。
基本的に世の中というのはそういう「健常者」であることが基本とされ、様々なものが設計されていますからね。
つまり、どこかしら不自由だと、色んな部分で不便が生じてしまうわけです。
そんな「病気や怪我などで生じた不便」を埋めて、健常者並みの自由な生活を試みようとするためには、様々な努力やサポートが必要になってくるわけです。
そういう部分に目を向ければ、病気や怪我を揶揄って笑うことなど、出来ないはずなんです。
だってそうでしょう?
そう言った病気や怪我というものは、ある日突然なってしまったりするかもしれないものなのですから。
でも、そんなことにすら考えが至らない人はいる。
それを理由にして笑いを取ることで注目を浴びようとする、浅はかな人たちがいる。
自分が健常者であることに胡坐をかいて、配慮も倫理観もかなぐり捨てる人がいる。
まるでそれが自分に与えられた当然の権利だと言わんばかりに。
四肢をもいで目を潰して耳を削いで舌を抜いて喉を焼けば、ようやく理解してくださるのでしょうか。
影響の大きな方がある病気に罹患していることで話題になっていますが、本来はそうじゃないよね、とも思います。
病気や怪我などを抱えて生きるということに正しく向き合うという意味を、本エッセイで見つめ、感じ取ってほしいですね。
現役医師の書く、病気と共に働くと言うこと。誰とは言いませんがリウマチが話題となった一件の今、ぜひ読んでください。たった1100文字くらいです。忙しいなら最悪、最後の180文字くらいでもいいです。
医者の気持ちとその背景が、押し付けがましくなく書かれています。
私はですね。医者はもちろん「命」に関わる仕事でありますが、同等に「幸せ」「生活」に関わる仕事だと思ってます。病気があっても、普通の人と同じように生活が送れる……働くことができ、家事ができ、趣味ができる……それが責務の一つだと思ってます。
誰とは言いませんが、最近、このリウマチが話題になりました。疾患を出汁に批判と嘲笑を浴びせることが、どれだけ恥ずべきことなのか……願わくばこのエッセイのあらすじ文にあるように、そんな恥ずべきことが行われない「優しい社会」でありますように。文の最後のように皆様がこれを契機に「病気と共に働く」ことを考えてくださいますように。