蛇よ、どうか今宵は月に溺れぬように (続章)

垂直双極子

1.

 こんにちは。久しぶりだね、楽々浦君。


 まず、いきなり店を休みにしてすまなかった。一週間分の給料は口座に振り込んでおいたから、あとで確認しておいてくれ。


 それと、退職金も振り込んでおいた。


 ははは。混乱してるだろう。携帯を持って行ったはずなのに忘れていて、その携帯にこんな留守電が入ってて、いきなり退職を告げられる。と思えば、なぜか事情も知らない留守電の相手が携帯を忘れていることを知ってる。


 私だったらもう、このうるさい留守電を切って携帯を投げ捨てるね。


 退職についてだが、それはそれは壮大な理由がある。そして、それについては大層な理由があって話せない。


 まあ、これから嫌でも知る事になる。だから時間もないし、本題といこう。


 楽々浦君、君に私の──いや、私たちの使命を託したいと思う。すでに道は示した。だからあとは頼んだ。


 うん、でもこれでさようならって言うのは、些か不誠実だ。少しだけ、ヒントをあげよう。


 この町はね……工場街の煙のせいか、あるいは元から霧の多い気候のせいか、星空どころか月だってまともに見えやしないんだ。


 だからね、この町じゃあ、月を見るんじゃない。月を読むんだ。見えないものを言葉で削り出して見えている振りをする……。


 だから、この町を月読峠って言う。



──なんて話は有名だが、本当のところは分からない。


 君は月読峠でなぜ月を見ることができないか考えたことはあるかい? 月に雲がかかっているから? ああ、正解だ。じゃあ、何かを隠そうとしているのかも知れない。


 もしかしたら、この町に月は──。



   🌙



 時計の針は南南東を指していて、昼が始まる──もう始まり出した時刻。夜少年は街の南に位置する『かふぇー』に向かっていた。大正浪漫的ロマンチックな響きを持つ名前だが、オープンしたのは比較的最近のことだ。そこで、大瓦 恭介と会う約束をしている。


 ドアを開けるとカランコロンと小気味のいい音が転がった。この音が、好きだ。何ともいえないが、魔女の家に入る様な、そんな感覚。兎角にカフェに入る時の、この音が好きだ。


 夜少年は昼にしては少し暗い、雑貨が鬱蒼とした店内に足を踏み入れた。休日なので客は多からず少なからず。


「夜君、こっちだ」


 大瓦は窓際のカウンターに陣取ってアイスコーヒーを飲んでいた。大柄で、少し近づき難い。悪く言ってしまえば怖い印象だが、夜少年は怯える様子もなく隣に座る。


「すみません、大瓦さん。待ちました?」


 すでにアイスコーヒーは空になりかけている。どれほど待っていたのだろうか。


「考え事をするために早くきていただけだ」


 それならいいが。


「……昨日突然連絡したのに、ありがとうございます」


 大瓦は月読峠署に所属する刑事だ。先日、「取材だとか、何かと面倒な事に巻き込まれたら連絡しなさい」と言われ、その場にいた全員が念の為、大瓦と連絡先を交換していた。


「いや、非番だったから気にしなくていい。私もそろそろ誰かと話したかったからね」


 大瓦はメニューを手に取り、隣に手渡す。


「支払いは私がするから、好きな物を頼みなさい。せっかくだから、少し早めの昼食にでもしよう」


「いやいや! 悪いですよ。俺が連絡したのに」


「場所を指定したのは、私だ」


 それに、と大瓦は続ける。


「カッコつけておくべきだろう?」


「?」


「君は、白井さんの知り合いだ」


 それで夜少年は察した。いや、そうだろうと思ってはいたが、直接言われるとなんと返せばいいか分からない。


「……じゃあ、お言葉に甘えて、フルーツパンケーキとメロンクリームソーダで」


「カレーとかもあるが?」


「甘い物、好きなんですよ」


 大瓦はグラスの底に残っていたコーヒーを飲み干し、フルーツパンケーキとメロンクリームソーダを二つずつ注文した。店員が氷だけになったグラスを持っていく。


──大瓦さん、パンケーキとか食べるんだ。


 見た目によらず甘いものが好きなのかも知れない。と思いながら夜少年は大瓦に尋ねる。


「大瓦さんも、先日ことで?」


「ああ。どうも荒唐無稽な話なんだがな」


「俺もです」


「じゃあ、まずは夜君の話から聞こうか」


 店員さんがメロンクリームソーダを持ってきた。夜少年はストローで一口飲み、「よく考えると、色々おかしいんです」と切り出した。


「確かに月読峠であの地図は浸透しすぎて、そこに何があるか、とかは気にされないのでわざわざ宝探しをするのは子供くらいです」


 大瓦はアイスクリームを沈めようとスプーンで突いていたが、諦めてメロンソーダを飲んだ。


「ですが、何百枚と言う地図全てが本物であったのなら、地図を見ずとも何かしら発見されるはずじゃないですか」


「そうだな」


「だから、あの蛇が最初の発見というのがまずおかしいんです。建設現場で遺跡が見つかるというのはよくある話ですが、月読峠でそんな話は聞いたことありません。だから──」


 夜少年は少し間を空けて結論付ける。


「──第三者の介入があるのでは、と」


 店内が静かになった様な気がした。


 元々客が多いわけでもないからというのはあるが、大瓦が考え込んでいるので、夜少年は一層静かに感じた。


 夜少年がメロンソーダに手を伸ばしたところで、大瓦が口を開く。


「君は、そう考えたか」


 考えようと思えばいくらでも考えられるが、この仮説を話したのは直感と、これが一番危ないと思ったからだ。


「そして君の考えるその第三者は、あの新興宗教かい?」


「……まあ、そんな所です」


──さすが刑事さんなだけあって鋭いな。


「それで少し不安になってお話を、と思いまして」


 よく考えれば本当に荒唐無稽な話だ。大瓦さんの手を煩わせるほどでもなかったかも知れない。


「そりゃあ、不安にもなるだろうな。正直、その可能性を否定することはできない。私は同じ場所に印が描かれた地図を全部集めないと見つけられないのではないか、と考えたが、それよりは現実的だ」


「でも、あんなものが見つかった以上、月読峠では同じように不思議なことが起こりうると考えた方がいいですよね。それならば、大瓦さんの方が筋は通っています」


「ああ」


 店員さんがパンケーキを持ってきた。イチゴやキウイ、バナナに加えて生クリームがこれでもかと載っている。


 夜少年はナイフとフォークの入った箱を大瓦の間に置いた。それからふとポケットを確認する。そこには、何も入っていなかった。


「どうした?」


「いえ、そういえば携帯がないなと」

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