第2話 トゥクラ

「面白いやつを見つけた」


 リンチェンの部屋に戻るなり、ティセはあぐらをかいて座り込んだ。


「このお菓子の山は? まさか、くすねてきたんじゃないでしょうね?」

「もらってきたんだ」


 ティセは手を伸ばして、桃色の菓子を口の中に放り投げる。


「姫も食べて。とても美味しい」


 最初は警戒している様子のリンチェンだったが、目の前でティセがパクパクと食べ続けるので、そっと手を伸ばした。


「本当に美しい色をしている」


 リンチェンが小さな口で菓子を食べ始めたのを見届けてから、ティセは先ほど出会った男の話を聞かせた。


「ところで、野合って何だ?」

「何ですって?」


 リンチェンの顔色がサッと青ざめて、それから鋭い目つきになった。

 まずい、とティセは思った。

 間違いなく失言をしてしまったようだ。これからリンチェンの小言を聞かされるはめになってしまう。


「ちがうんだ、姫。トゥクラが教えてくれたんだ。それで――」

「おだまりなさい、ティセ」


 叱られたティセは、子犬のように頭を垂れる。


「野合というのは、男女が婚姻の手続きをせずに関係を結ぶことです。それを鴻月殿に直接言うなど、あってはならないことです」


「なら、今から謝りに行ってくる」

「いいえ。鴻月殿は、巌翔様の右腕。私が行って、お詫びしてきます」

「だめだ!」


 ティセは跳びあがって立ち上がる。扉の前に立ちふさがり、リンチェンの動きを封じようとした。


「あたしの失言だ。あたしが謝るのが筋だ。それに、姫に頭を下げさせたくない!」

「ティセ」

「あたしが悪いんだ。どんな仕打ちでもうけてくる!」


 部屋を飛び出して、ティセは走り出す。


「トゥクラの馬鹿! 姫に怒られたじゃないか。お前のせいだからな」


 頭の上の骨に向かって文句を言う。そんなティセをせせら笑うかのように、カラカラと音が鳴った。


「もういいよ。鴻月を探して」


 ティセの足音と息づかいだけが外廊下に響き渡っている。

 しばらく待って、トゥクラが鳴いた。


「あっちだね」


 速度を落とさず、ティセは外廊下の柵を飛び越える。そのまま中庭を横切って屋敷の奥へと進んでいった。


「巌翔というやつは、ずいぶんと風流のあるやつなんだな」


 奥に向かえば向かうほど、せせらぎの音が大きくなる。水の匂いが濃くなってきた。屋敷の中に小川か、池があるにちがいない。


 小路を抜け、角を曲がると視界が開けた。


 ティセは錦鯉が泳ぐ池の前に立っていた。空が広く見える。池の周りには、見たことのない花が植えられていた。


「静かだ」


 蒼国にも天界のように美しい場所があるのだと、ティセは肩の力が抜ける。


「骨頭。ここで何している?」


 鴻月の声がして、ティセは自分がなぜここにやって来たのかを思い出した。


「骨頭じゃない。ティセだ」


 声がした方を向くと、池のほとりに建つ四阿あずまやに鴻月はいた。


「謝りに来たんだ」

「謝りに?」


 四阿の中に入ると、中はひんやりとしていた。静けさがより際立つ。


「先ほどは悪かった。言葉の意味を知らなかったんだ。鴻月を傷つけようと思ったわけじゃなかった。申し訳なかった」


 ティセは頭を下げる。遅れて、頭の上のトゥクラが、ついでだというように頭を下げた。


「別に。……気にしていない」

「本当か? よかった。鴻月はいいやつだな!」


 顔を上げると、ティセは軽い足取りで鴻月の隣に座った。


「しかし、どうやって俺のことを知った? リンチェン様がそう言ったのか?」


「こいつだよ。トゥクラが教えてくれたんだ」


 両手をあげて、ティセはトゥクラに手をかける。頭の上から外すと、地面に降ろした。

 頭の上にのっている時には見えないが、トゥクラには四肢が残されていた。頭の大きさに似合わず、手のひらくらいの大きさだ。


「鴻月は面白いやつで、いいやつだから教えてあげる。トゥクラは狼の精霊なんだ」


「精霊? ルンターラには古の精霊がいるというのは本当の話なんだな」


 カタ、と骨が動いた。驚いた鴻月が足を浮かせる。


「トゥクラ、踊れ!」


 ティセが言うと、小さな手足でトゥクラは踊り始めた。ゆらゆらと体を横に揺らしている。とても踊りとは形容しがたいが、トゥクラは楽しそうである。


「精霊を使役しているのか?」

「しえき? 何だそれは? トゥクラは友だちだ。それも、悪友ってやつだ」


「どういうことだか、俺にはさっぱり――」

 わからん、と鴻月が言いかけた時、複数の足音が押し寄せてきた。


「そこの邪術師を捕らえろ!」


 兵の一人がティセを指差した。兵士たちは剣を持ち、捕縛する縄を持っている。


「邪術師って、あたしのことか?」

 ティセはトゥクラを頭にのせる。

「それとも、鴻月のこと?」

 視線を投げかけると鴻月は呆れたように、首をかすかに横に振った。


「待て。こちらにいるのは邪術師ではない。リンチェン様の侍女ティセだ」


 前に出た鴻月の後ろで、ティセは耳を澄ませる。

 調理場での嘘がバレたのだろうか。そんなささいなことで、兵士たちがやってくるとは思えない。


 まさか、リンチェンに何かが――?


 その時、頭上でトゥクラが鳴いた。


「何だって?」


 ティセの顔から血の気がひく。同時に開いていた手を強く握りしめた。


「トゥクラ!」


 ティセの声に驚いた鴻月が振り返った。

 そこには、青白い光を体に纏わせた少女が立っていた。怒りに満ちた瞳でにらみつけている。


「誰が姫に手をだした!」

「ティセ、待て――」


 鴻月の静止する声も聞かず、ティセは背後に大きく跳躍した。水面に足先が触れる。広がる波紋を残して、ティセの姿は忽然と消えた。


「やはり邪術師だ! 探して捕えろ!」


 怒声をあげて兵士たちが走り去っていく。それまで様子を伺っていた鴻月は、一人の兵士を呼び止めた。


「何があった。話せ」

「先ほど、リンチェン様と蓮華様がお倒れになりました」


「同時に?」

「はい。リンチェン様のお部屋に蓮華様がお尋ねになりました。ご歓談中突然、部屋にいた者みなが倒れたのです。その原因が、焚かれた香にあったようです」


「その香と侍女の関連性は?」

「侍女の荷物から同じものが発見されました」

「なるほど。よくわかった」


 鴻月はうなずく。


「俺も邪術師の捕縛にむかおう。それと、最後に一つだけ。捕縛の命令は、巌翔様が?」


 兵士は一瞬ためらい「はい」とだけ言った。


「呼び止めて悪かった。行け」

 兵士が走り去っていくのを確認して、鴻月はゆっくりと歩みを進める。

 行き先は、ティセが向かうであろう場所だ。

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