第6話:同接0人からの奇跡

 配信開始から三分が経過した。

 同接、0人。


 まあ、予想通りの滑り出し。

 深夜二時過ぎ、無名の新規チャンネル、しかもタイトルは『迷い猫が歌います(テスト配信)』。


 これで人が来たら、その方がホラーだ。


 私は焦ることなくBGM代わりに即興のピアノを弾き続けた。

 ゆったりとした夜に溶けるようなジャズ・バラード。


 マシロは高いスツールの上で私の指の動きを目で追いながら、時折小さく体を揺らしている。


 ――と。

 モニターの隅にある数字が『1』に変わった。


(おっと、物好きな第一号が来たな)


 続いて『3』『5』と、少しずつ数字が増えていく。

 YouTubeのアルゴリズムの気まぐれか、あるいは「猫」という検索ワードに引っかかったのか。


 コメント欄が動いた。


 【視聴者のコメント】


 『なにこれ、どういう配信?』

 『こんな時間に子供? もしかしてAIか?』

 『実写? VTuberじゃねぇのかよ解散』

 『ピアノはうまいな、BGMにちょうどいい』

 『喋らないし動画かな』

 『歌ってないけど、いつ歌うんだよ』


 ときおり辛辣な言葉が並ぶが、まあ、ネットなんてこんなものだ。

 画面に映っているのは、ブカブカのパーカーを着た子供の顎から下だけ。

 「猫」の VTuberを期待して開いた人間からすれば、ブラウザバック推奨案件だろう。


 しかし事態は思わぬ方向へ転がった。


 犯人は、マシロだ。


「⋯⋯んぅ?」


 マシロの視線が、目の前のマイクに釘付けになった。

 正確にはマイクを覆っている黒いポップガード、マシロの足をぶらぶらさせる振動で僅かに揺れている。


 彼女にはそれが「目の前でゆらゆら揺れる面白い獲物」に見えたらしかった。

 

 私のピアノ伴奏の隙間にマシロの衣擦れの音が混じる。

 彼女がじっと身を乗り出した。


(おい、マシロ。触るなよ⋯⋯)


 心の中で念じるが猫にテレパシーは通じない。

 マシロの小さな手が、そろりと伸びる。

 そして――


 バシッ。


 猫パンチが炸裂した。


 ボフッ という鈍い音がマイクを通じて配信に乗る。

 ポップガードがバネの力でボヨンボヨンと揺れた。


「にゃ! ⋯⋯うごいた!」


 マシロが嬉しそうな声を上げる。

 マイクの感度が良すぎるせいで、その声は「ASMR」のようにクリアに、耳元で囁かれたかのような臨場感で配信されたはずだ。


 コメント欄の空気が変わった。


 『!?』

 『にゃ???』

 『音の感度すご』

 『今の声かわいくね?』

 『猫パンチwww』

 『幼女がマイク殴ってるだけの配信会場はここですか』

 『え、ガチの幼女なん???』


 同接が『15』になっている。


 マシロは味を占めたのか、揺れるポップガードに向かってシュッシュッと連続パンチを繰り出し始めた。


 ボフッ、ガサッ、コトン。


 高価なノイマンのマイクが悲鳴を上げている。

 私の心臓も悲鳴を上げている。やめて、それ高いの⋯⋯。


「⋯⋯こら、マシロ。マイクはいじめるな」


 私が小声で注意するとマシロはビクッとして手を引っ込めた。

 そして、しょんぼりと耳を伏せる――はずの動作をした瞬間。


 バランスを崩した。


「あぅ⋯⋯っ」


 おっとっと、と体勢を立て直そうとして、彼女のスウェット生地のパーカーが大きく捲れ上がり。


 その拍子に――隠れていた「アレ」が、画面の中央に飛び出してきた。


 真っ白で、長くて、フサフサの尻尾。


 それは重力に従って垂れ下がっただけでなく、マシロの「失敗しちゃった」という焦りに呼応して、毛がブワッと逆立っていた。


 さらに、バランスを取ろうとして、うねうねと生き物のように宙を泳ぐ。

 画角のど真ん中で、その尻尾が優雅に一回転した。


 一瞬、コメントが止まった。

 そして、滝のように流れ出した。


 『ファッ!?』

 『え、なに今の』

 『尻尾???』

 『作り込みすごくね?』

 『いや待て、動きがリアルすぎる』

 『毛が逆立ったぞ今』

 『どういうギミック? ラジコン?』

 『CGだろ。実写合成か?』

 『たぶん生成AIだな、実写とリンクさせてるんだろ』

 『今ってここまで進化してんのかよ、本物にしか見えねぇ』


 同接数が『50』を一気に超えた。

 視聴者は大混乱でコメントはかなりの速さで流れていく。


 あまりにも自然すぎる動き。モーター音もしない滑らかさ。そして一本一本の毛が照明を反射して輝く質感はコスプレグッズや既存のロボット技術では説明がつかない「生々しさ」そのもの。


 チャット欄は本物か、偽物かで議論が白熱している。


「⋯⋯たなで、ごめんなさい⋯⋯」


 マシロが申し訳なさそうに尻尾を丸め、太ももの間に挟んで隠そうとする。

 その「シュルルッ」と巻き込まれる動きさえも、完全に映り込んでしまった。


 『ちょ、隠したwww』

 『今の収納の動き、完全に猫のそれなんだが』

 『中に本物の猫入ってる?』

 『いや、サイズ感が子供だろ』

 『え、これ本物じゃね?』

 『技術力高すぎて草』

 『このチャンネル何者?』

 『大企業のドッキリかなんかだろ』

 『バカ乙、本物の訳がない』


 ザワつきが止まらない。

 SNSによる拡散も始まってしまったのか、同接のカウンターがスロットマシンのように回り始めた。


 100、200、300⋯⋯。


(⋯⋯おいおい、マジかよ)


 私は冷や汗をかきながらも、内心ではじんわりとした期待感が膨れ上がっているのを感じていた。


 深夜配信で尻尾つきの幼女が現れたのは、非現実的すぎて信じられていないらしい。

 嬉しい誤算、最初はひっそりとやろうと思っていたが予想以上の反響、尻尾一本でここまで騒がれるなら、この後の「本番」は一体、どうなってしまうんだ?


 私は震える指を鎮めて鍵盤を強く叩いた。


 マシロが顔を上げる。

 さあ、誤魔化しはここまでだ。


「マシロ。⋯⋯歌っていいぞ」


 マシロ奇跡の本気を、世界に教えてやろう。

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