幼馴染をやめたいのに、絶対にやめさせてもらえない私の話

犬甘あんず(ぽめぞーん)

第1話

 男と女は、根本的に異なる生き物である。

 そんな話は耳にタコができるくらい聞いてきた。ある時はネットで見て、ある時はお父さんと喧嘩したお母さんから聞かされて。異なる生き物同士が理解し合うのって難しいよね、みたいな話は枚挙にいとまがないけれど。


 じゃあ同じ生き物同士だったら簡単に理解し合えるの? って思う。


 男と男。女と女。

 種族が同じでもわかりあえないことは多いし、むしろ女同士なんて敵になることの方が多いと思う。やれグループがどうのとか、好きな男に色気を使った使ってない云々とか。


 結局種族は同じでも、わかり合うとか以心伝心とか無理に決まっているのだ。他者の心なんて、感情なんて、理解できるわけがない。


「萌羽(めう)。日、暮れちゃうよ?」


 甘い声が頭上から降ってくる。

 顔を上げると、そこには我が愛しの幼馴染、日高天音(ひだか あまね)の姿があった。


 それも当然だ。だってここは、天音の部屋なのだから。

 昔から全く変わらず、可愛いぬいぐるみだの小物だのがあちこちに置かれている。可愛いもの収集は結構だけど、もっと部屋を綺麗にしなよっていつも言っているのに。天音の部屋は今日も、可愛いもので文字通り埋め尽くされている。


 これでも綺麗になった方だから怖い。

 きっとあのクローゼットを開けたら、二軍のぬいぐるみたちが雪崩を起こすに違いない。


「わかってる……けど。ほんとに、今日もするの?」

「始めたのは萌羽。……でしょ?」

「……拒めばよかったじゃん」

「萌羽。今はそういうの、いいの。約束は守らないとだよ」


 私はベッドの上に置かれた、大きなクマのぬいぐるみを抱きしめる。いつかの誕生日プレゼントであげたクマは、毎日抱かれているらしくくたびれてきている。


 甘い匂いがする。

 シャンプーの匂いなのか彼女自身の匂いなのかはわからないけれど。


「そんなにしたいなら、天音からすればいいよ」

「だめ。萌羽がするの。……あの日も、そうだったでしょ?」


 彼女はゆらりと私に近づいてくる。

 膝が重い。


 昔はこうして膝の上に乗られても、そんなに重くは感じなかったけれど。やはりこう見えて天音も、成長しているらしい。成長しているのは私も同じ……とは、言えないかな。

 いや、まあ、体は成長したと思うんだけど。


「萌羽。いいから、して」

「……変態。自分からねだらないでよ」

「変態でいいから、早く」

「……わかったから」


 私は深く息を吐いた。

 天音は私をじっと見つめてきている。ふわふわの髪と同じくらい、ふんわりした瞳。その瞳を見ていると私の心までふんわりする……なんてことはない。


 私の心はずっとトゲトゲしたままだ。天音とは比べ物にならないくらい。


 別に、いいんだけど。今更だし。

 仕方なく、私は彼女に顔を近づけた。いや、元から顔は近かったから、あんまり近づけてはいないんだけど。ほんの数センチ。彼女の吐息を迎えにいくだけで、唇同士は触れ合ってしまう。


 湿った空気の中でも、一際湿っていて柔らかい。

 彼女の唇は今日も潤っていて、触り心地がいい。私の唇がどうかはわからないけれど、妙にねだってくるところを見るに悪くはないのかもしれない。


 ちゅ、と音がする。

 静寂を破った微かな音が、私の鼓動を速くさせる。

 天音だ。


 唇の感触なんて、そこまで個人差は出ないかもなんだけど。柔らかな唇からは、確かに天音を感じる。


「萌羽、もっと。前はこんなじゃなかったでしょ」


 キスの合間に、彼女が言う。


「じゃあ、そっちから舌出して。やりづらいから」

「それもだめ。全部、萌羽がやるんだよ」


 今日の天音はイヤイヤ期らしい。

 私は仕方なく、彼女の唇に舌を差し入れた。驚くくらい熱くて、柔らかな感触。舌を探し当てると、彼女は歓喜するように私に舌を絡ませてくる。


 全部私にやらせようとしていたくせに。

 結局自分からもしてるじゃん、と思う。


「萌羽。萌羽、めう」

「萌羽萌羽うるさいよ、天音」

「萌羽のべろ、美味しい」

「その発言はちょーっとキモいかな」


 私はちょっと笑って、彼女とのキスを続ける。

 静かな夕方の部屋で、二人。向かい合って、舌を絡ませてキスをして。どうしてこんなことをしているんだろう、と思う。つい先週まで、私たちはただの幼馴染だったはずなのに。


 ようやく唇を離す頃には、私はすっかり疲れ切っていた。

 重労働ってわけではないのだが、キスというのは妙に疲れる。もしかしたら気力的なものを、天音に持って行かれているのかもしれない。私はベッドに背中をくっつけた。


「キス、終わったから。どいて、重い」


 膝を揺らしてみるけれど、彼女は私の上からどこうとしない。


「どかないよ」

「天音」

「どかない。どいたら萌羽、どっか飛んでっちゃうでしょ」

「綿毛じゃないんだから」


 私はため息をついた。

 天音はそのまま、私に体をぴったりとくっつけてくる。お腹とお腹、胸と胸。重なり合うと、ひどく暑い。ただでさえ梅雨時はじめじめしていて嫌なのに、こんなにくっつかれたら死んでしまう。


「ねえ、萌羽?」


 甘えた声。

 私はこの声が、嫌いだ。


 他の人には聞かせないような声を、天音はいつも私に聴かせてくる。だけどこの声だってきっと、私のものってわけではないのだ。


「どうしてあの日……私にキスしたの?」

「……なんとなく」

「嘘ついてる時の声だ。ほんとのこと教えてよ」

「あんまりうるさいと、口塞ぐよ」


 私は一週間前、天音にキスをした。唐突に、ディープなやつを。

 他者に話したらとち狂ったのかと言われそうな行動だけど、もちろん理由がある。


 それは、幼馴染をやめたかったからだ。

 幼い頃から続いた、この甘く曖昧な関係を、私はやめたくなった。どうせ幼馴染なんて、高校卒業して別々の大学に行くようになれば、自然消滅するのだ。時間の経過と共に薄れて消えてしまうとわかっているのなら、いっそ私の手で壊したかった。


 積み上げた積み木は、他の誰かに崩されるより自分で崩した方がいい。


 そっちの方が清々しいだろう。

 だから私はキスをした。これまでの関係を全部壊すために、天音に嫌われるために。

 ……でも。


「塞いでもいいよ。萌羽が、その唇で塞ぐならね」

「じゃあしない」

「えー、なんで。あの日はあんなにたくさんキスしてくれたのに」


 確かにした。それはもう、酸欠で死にそうになる程度にはキスしたとも。


 だけどあれは、関係を壊すためのキスだったのだ。だから二度とやらない。キスで関係が壊れないのなら、する意味なんてない。


「天音って、変わってるよね」

「なんで?」

「普通いきなりキスしたら、もっと嫌がるでしょ」

「別に、キスくらいいいよ? 萌羽だし」


 その言葉が、嫌だった。

 私は特別なんじゃないかって期待させるような言葉。そんなはずないってわかっているのに、心は騒ぎ出すからどうしようもない。こんなのは馬鹿げているって、自分でもわかっているのに。


 ああ、嫌いだ。

 私は、私の傍を離れてくれない日高天音のことが、どうしようもなく。


「だったら……天音が嫌って言うようなこと、してあげる」

「たとえば?」

「……触ったりとか」

「どこを」

「全部」


 私が言うと、彼女はにっこり笑った。


「いいよ。……触ってみる?」


 私はそっぽを向いた。

 幼馴染をやめられないのなら、触る意味はない。私がしたいのは、天音が私との関係を終わらせたくなるような、そんな行動なのだ。受け入れられたら意味がない。


 早く壊れてしまえばいいのに、と思う。

 こんな泡沫みたいな、甘くてどうしようもない関係なんて。


 天音は私をじっと見つめてくる。そして、そっとキスをしてきた。そのキスは自分からするよりもずっと甘くて、息継ぎもできなくて、苦しかった。

 まるで私たちの関係そのものみたいに。

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