第1.5話 風紀委員は、甘さを許さない

 どうにも今日は、朝から喉の調子が悪い。

 だから、お気に入りの甘いのど飴を舐めながら登校している。


 まあ、校則違反だろう。

 でも、健康に勝るものはない。


 自然なことだ。


 ――そこで、ふと思いついた。


 学校に着く頃には、

 俺の口の中に、最後の一つだけ残しておけばいい。


 甘いかどうかなんて、俺にしか分からない。


 ちょっと、

 あの澄ました風紀委員をからかってやろう、と。


 校門前。


 人の流れに紛れて歩きながら、

 俺は口の中で、そっと飴を転がしていた。


 堂々と校則違反しているくせに、

 なぜか今日は、気分がいい。


「――そこの人、ちょっといいですか」


 来た。


 聞き慣れた、少しだけ低い声。

 振り向かなくても分かる。


 風紀委員・山本董子。


「登校中の飲食は禁止です」

「飴などの菓子も含まれます」


 いつもの調子。

 いつもの正論。


 俺はゆっくりと、

 口から飴を出し、指でつまんで見せた。


「これ、のど飴」

「甘くないやつ」


 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、董子の視線が止まる。


 よし。


「“甘い菓子”が禁止なんだろ?」

「これは違う」


 証明できないだろ、と言外に示す。

 内心、少しだけ勝ち誇る。


「……」


「いやぁ、風紀委員さんともあろう人が、無実の生徒に濡れ衣とは」


 言ってから、気づく。


 ……我ながら、だいぶウザい。


 でもいい。

 今はそれでいい。


 彼女の眉が、ほんのわずかに動く。


 いいぞ。

 ざまあって思える顔が、見えてきた。


「パッケージを見せてください」


「残念。これがラスト。もう無い」


「……」


「さぁ、ごめんなさいは?無実の生徒を疑って――」


 言い切る前に。


「……貸してください」


 短く、それだけ。


 伸びてきた手が、

 俺の指先のすぐ手前で、止まる。


 ほんの一瞬の、ためらい。


 その“間”が、

 やけに心臓に悪かった。


 次の瞬間、

 飴は彼女の指に移っていた。


 距離が近い。

 思ったより、ずっと。


 董子は一度だけ視線をそらし、

 小さく息を吸った。


 そして――

 飴を、口元へ運ぶ。


 舌先に、そっと触れさせる。


 ――さっきまで、俺が舐めていた飴に。


 肩が、驚いたようにわずかに跳ねた。


 ほんの一瞬。

 でも、確かに――


 俺はそれを、見逃さなかった。


 ……今の。


 気づいた、よな?


 間接キスに。


 そんな考えが頭をよぎって、

 胸の奥が、きゅっと縮む。


 校門の喧騒が、やけに遠く感じる。


「……おいし――」


 小さく漏れた声。


 董子は、はっとしたように口を閉じ、

 背筋を伸ばした。


「……甘いですね」

「十分、甘いです」


 声は、いつも通り。

 でも、少しだけ早口だった。


「校則違反です」


 飴が返される。

 そのとき、指先が、かすかに触れた。


 その一瞬で、俺の胸が跳ねた。


 ……負けた。


 完全に。


「これは――」

「家に持ち帰ってから、食べてください」


 そう言って、彼女は視線を外す。

 耳のあたりが、ほんのり赤い。


 俺は、一拍置いてから、舌打ちをした。


「……分かったよ」


 そう言って、校舎へ向かう。


「次からは、気をつけてください」


 背中越しに、いつもの声。

 何も起きていないみたいな口調。


 なのに。


 さっきの距離と、

 飴に触れた彼女の舌先の感触が、

 頭から離れなかった。


 ……くそ。


 俺は、返された飴玉を見る。

 さっきまで、彼女の舌先に触れていた、それを。


「家に持ち帰ってから、か……」


 小さく呟いて、ポケットにしまった。


 反則だろ。


 ざまあって思える顔を見るつもりだった。

 ――それだけで、よかったはずなのに。


 なのに。


 ポケットの中の飴が、

 さっきから、やたら存在感を主張してくる。


 ……今日は、負けでいい。


 そう思ってしまった時点で、

 もう、負けなのかもしれない。


 布越しに、飴がひとつ転がる。


 さっきより、少しだけ重い。

 歩き出しても、その重さだけは消えなかった。

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