【番外編・文化祭②】風紀委員は、役割を裏切らない

 文化祭当日。

 メイド・執事喫茶――性別逆転。


 教室の空気が、いつもとまるで違う。

 知らない視線が、多すぎた。


 俺はメイド服のまま、立っていた。

 指先が、わずかに震える。


 ――見られている。


 メイドになる。

 それだけのはずなのに、息が詰まる。


 客が入ってくる。


 給仕をするため、一歩近づいた瞬間――


「うっ……」


 スカートが、テーブルの角に引っかかった。


 学生服で練習していたときは、完璧だったはずだ。

 本番で初めて袖を通したメイド服が、思った以上に扱いづらい。


 焦る。


 視線を上げると、

 周りのメイドも執事も、誰一人こんな失敗はしていない。


 ……この俺が、労働素人に遅れを取っている?


 いや、落ち着け。

 頑張らねば。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 頭を下げ、メニューを差し出そうとした、その瞬間。


「ひっ……」


 小さな声が聞こえた。


 ――ひって、なんだよ。


「あの、別の人にお願いできないかな……」

「そうそう、あっちのメイドさんを指名したい」


 視線の先で、高坂君が指された。

 確かに彼は、たこ焼きとメイド喫茶で迷うくらいには可愛いメイドだ。


「ご主人様、指名などは……」

「当店はそのような形式ではありませんので、他の者が対応いたします」


 そう言って、下がる。


 ……なぜだ。


 こんなことが、何度も続いた。


 俺、ダメなメイドなのか……?


 そのとき、

 客席の一角に、見覚えのある顔を見つけた。


 山本董子だ。


 客として、静かに座っている。

 目が合った。


 一瞬、心臓が跳ねる。


「ほい、ジェニファーちゃん。3番テーブルにアールグレイお願い」


 胸に輝くネームプレートに

 ジェニファー。

 それが、俺のメイドネームだ。


 そして、3番テーブルには――山本董子。


「ご主人様、注文いただいたアールグレイでございます」


 彼女は小さく頷き、

 カップに口をつける。


「……仕事は、ちゃんとしてるんですね?」


「仕事ですから。手を抜くわけないでしょう、ご主人様」


 董子は、ふう、と長く息を吐いた。

 その表情に、わずかな申し訳なさが混じる。


「私はてっきり……」

「お仕事系でもお化け屋敷をやりたいから、メイド喫茶にしたのかと……」


 ――なんだか、ひどいことを言われた気がする。


「おいおい。我ながら、美人に仕上がってるだろ?」


「どこがですか! 幽霊みたいな化粧ですよ」


「え、そうなの?」


 董子は、もう一度ため息をついた。


「……他の人は、どう評価していましたか?」


「秋山は大爆笑でさ」

「『一生の思い出になる、最高』って」


「それ、完全にダメ出しです」


「うぅ……高坂君は、ちょっと残念そうだったな」


 少し考えてから、董子は言った。


「……もう、仕方ありませんね」

「私が、そのメイクを正しくしてあげます」


 そう言われて、鏡の前に座らされた。

 俺は、言われるまま動かずにいる。


 背後に立ったのは、山本董子だった。


 それは、いつもの風紀委員の顔じゃない。

 集中した、静かな表情――

 まるで、メイクアップアーティストのそれだ。


 顎に、そっと指が添えられる。

 軽く持ち上げられて、視線が鏡の中でぶつかった。


 筆が頬に触れる。

 そのたび、彼女の息が首筋にかかる。


 近い。

 近すぎて、胸の奥が騒がしくなる。


「目、閉じてください」


 言われるまま、瞼を閉じる。


 次の瞬間、指先がまぶたに触れた。

 柔らかくて、ためらいのない感触。


「……似合いますよ」


 小さな声が、耳元で響く。


 目を開けると、董子の顔がすぐそこにあった。

 視線が絡み、数秒の沈黙が落ちる。


「……口紅、塗りますね」


 筆が、唇に触れる。

 ゆっくり、丁寧に色が置かれていく。


 彼女の瞳は、真剣だった。

 俺の唇だけを、まっすぐに見つめている。


 ――自分の顔に、知らない色が足されていく。


 線を引かれるたび、

 鏡の中の俺が、少しずつ“俺じゃなくなっていく”。


 塗り終えた瞬間、

 董子が、ふっと小さく息を吐いた。


「……完成です」


 落ち着かない。

 恥ずかしいというより、居場所が定まらない感覚だった。


「……見ない方がいいですよ」


「いや、見る」


 そして、笑った。


 それが逃げだと気づいたのは、

 もう少し後のことだ。


 スタンバイしているメイドの列に戻る。


「へえ……見違えたよ」

「まるで別人だ。いや、もう別人か」


 高坂君が、素直にそう言った。


「じゃあ――タポルンさん」

「気持ち切り替えて、頑張っていきましょう」


 ……へ?


 なんで、子供の頃の俺のあだ名で呼ぶんだ。


「いやいや、ちょっと待ってくれ」

「俺はジェニファーちゃんだろ、今は」


「?」


 高坂君は首をかしげる。


「心機一転で、メイドネーム変えたんでしょ?」


 ――その瞬間、理解した。


 山本董子。

 とんでもない罠を、さらっと仕掛けてきやがった。


 やってくれる……!


「ダメだって!」

「それに俺、ジェニファーって名前にも思い入れが――」


「はいはい」


 横から、落ち着いた声が割って入る。


「不人気なジェニファーさんには、お暇を差し上げました」

「代わりに――新人メイド、タポルンさん」


 山本董子だった。


 微笑みは、きっちり業務用。

 逃げ道は、最初から用意されていない。


「頑張ってくださいね」


 ……くそ。


 仕方ない。


 ……逃げ道は、なかった。


 俺は、新人メイド――

 タポルンとして、働くことにした。



 最初のシフトが終わっても、メイクを落とす気にはなれなかった。


 学ラン。

 けれど、顔だけはメイドのタポルン。


 看板を持って、他のクラスや部活の出し物をひと通り巡る。


 秋山の部活のブースに顔を出すと、

 あいつは肩をすくめて、残念そうに言った。


「前の方が良かったのにな」


 ……くっ。


 覚えてろよ。

 お前の番のときは、全力で笑ってやる。


 文化祭らしいざわめきの中で、

 俺はそのまま廊下を歩き続けた。


 模擬店の呼び込み。

 笑い声。

 どこからか流れてくる音楽。


 ――次の時間帯。

 山本董子のシフトだ。


 クラスの方へ向かいながら、

 心のどこかで、ほんの少しだけ期待してしまう。


 ――山本董子のメイド姿。


 ……もしかしたら。

 いや、さすがにないか。


 教室に入ると、

 その期待は、静かに裏切られた。


 彼女は、執事服で立っていた。


 凛とした姿勢。

 無駄のない動き。

 よく似合っているのが、余計に悔しい。


「お帰りなさいませ。ご主人様」


 彼女の声は、いつもより少し低い。

 凛としていて、どこか張りつめた響きがある。


「……山本董子?」


 思わず、本名を呼んでしまった。


 すると彼女は、業務用の微笑みを崩さないまま、

 すっと距離を詰めてくる。


 耳元に、顔が近づいた。


「今は、バイオレットですよ。タポルンさん」


 囁くような声。

 息が、耳にかかる。


 俺は、完全に固まった。


「ご主人様。お席へ、ご案内します」


 選択肢は、最初からなかった。


 俺は、ただ頷くしかなかった。

 胸の奥で、心臓が暴れ出す。


 彼女は何事もなかったように注文を受け取り、

 静かにその場を離れていく。


 しかし――。


 姿勢。

 表情。

 声のトーン。


 どれもが、完璧だった。


 すべてが整っている。


 迷いがない。

 楽しそうでもない。


 ただ、役割を果たしている。


 それが、妙に胸に刺さった。


「失礼します」


 彼女が給仕をする。


 所作が、綺麗だった。

 無駄がない。

 迷いがない。


 ――格好良い。


 その瞬間、俺は少しだけ、分かった気がした。


 彼女がメイド・執事喫茶をやりたがった理由。

 それは「楽しそうだから」でも「目立ちたいから」でもない。


 ただ――

 格好良さそうだと思ったから。


 役割を、最後までやり切ること。

 それが、彼女にとっては

 大事なことなんだろう。


 だから、きっと風紀委員の役割も、同じなんだろう。


 文化祭の喧騒の中で、

 彼女は見事なまで、執事だった。


 そう思いながら、

 俺はもう一度、彼女の背中を見た。


 このあと、

 最後のシフトで一緒に働くことになる。


 そう考えただけで、

 胸の奥が、少しだけ熱くなるのを感じた。


 ――まさか、

 そこであんな出来事が起こるなんて。


 この時の俺は、

 まだ、何も知らなかった。

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