『綴(ツヅリ)―デジタル・タトゥーの怪獣―』 ~あなたのSNSの「影」が、巨大な怪物になって街を喰う~

ソコニ

第1話 綴(ツヅリ)―デジタル・タトゥーの怪獣―


第一章:デジタル・タトゥーの咆哮

東京・渋谷のスクランブル交差点。午後九時三十七分。

アスファルトに最初の「ひび」が入ったとき、逃げ惑う人々は気づかなかった。自分たちの影が、普通の黒い影ではなくなっていることに。

「死ね」

「ブス」

「才能ない」

「消えろ」

影が、文字になっていた。

その人物に向けられた、過去のすべての誹謗中傷が、影という形で具現化している。歩くたびに、罵詈雑言が地面を這う。

女子高生が立ち止まる。自分の影を見て、絶叫する。

その瞬間――。

「ブス」という四文字が、超高密度の黒い鉛となって、彼女の上に落ちた。

少女は地面に叩きつけられ、動かなくなった。

そして、それが現れた。

綴(ツヅリ)。

体長百メートルを超える怪物。体表は完璧な鏡面で、街の絶望を、人々の顔を、すべて映し出す。筋肉の一本一本が、無数の言葉で編まれている。応援の言葉は鋭利な剣に、誹謗中傷は粘り気のある汚物に。

だが、綴は咆哮しなかった。

代わりに、渋谷にいるすべての人間のスマートフォンが、一斉に起動した。

「...えっ?」

男子大学生のスマホから、彼の声が流れた。いや、違う。それは彼の声ではない。もっと甘く、もっと優しい――。

ルナの声だった。

「『ロリエロ動画 無修正』...『女子トイレ 盗撮方法』...『睡眠薬 どこで買える』」

アイドル・ルナの声が、彼の検索履歴を読み上げる。

「やめろ、やめてくれ!」

彼の悲鳴は、周囲の人々の視線に飲み込まれた。

そして次々と。

OLのスマホからは、「不倫相手への秘密のメッセージ」。

中年男性のスマホからは、「妻への殺意の検索記録」。

主婦のスマホからは、「子供を捨てたいと書いた掲示板の投稿」。

すべてが、ルナの優しい声で暴露される。

物理的な破壊の前に、綴は「社会的な死」をばら撒く。

人々は怪獣から逃げるのではなく、互いから逃げ始めた。




第二章:デッド・ゾーンの秘密

「対情報災害対策局、九条透、到着」

黒いスーツの男が、廃墟と化した渋谷に立つ。その手には黒い球体――デバイス「サイレンサー」。

「ナギ、準備はいいか」

彼の隣に、銀髪の少女が立っていた。

ナギ。本名不明。推定年齢十六歳。言葉を持たない戦士。

だが九条は知っている。彼女の正体を。

――彼女は、アイドル・ルナのバックアップデータだった。

三年前。ルナはネットの誹謗中傷に耐えきれず、精神を病んだ。政府の極秘プロジェクトは、彼女の記憶と人格をデジタル化し、新しい身体に移植することを試みた。

だが失敗した。

転送された人格は、言語野が完全に破壊されていた。言葉を理解できない。言葉を発せない。だが――身体能力だけは、異常なまでに高かった。

「ルナ」は死に、「ナギ」が生まれた。

そして今、彼女は自分の成れの果て――人々の悪意が集積した怪物「綴」と対峙している。

「デッド・ゾーン、展開」

九条がサイレンサーを起動した瞬間、世界から音が消えた。

完全な無音。

その静寂の中で、ナギが駆ける。




第三章:希望という名の絶望

ナギの刀が綴の体表を斬る。

文字の断片が火花のように飛び散る。綴は学習し、適応し、ナギの過去を映し出そうとする。

だが、ナギには過去がない。

正確には、理解できる過去がない。

鏡面に映る「ルナだった頃の記憶」は、彼女にとって単なる映像に過ぎない。意味を持たない。だから、傷つかない。

刀を振るう。何度も。

そのとき――。

「九条! トレンドが爆発的に上昇してます!」

無線で葛城の声が入る。

「全世界で『#怪獣綴』『#東京終了』が拡散中! 投稿数一千万突破! 怪獣が――肥大化します!」

綴の体が膨張する。そして、変態し始めた。

鏡面が溶け、新しい形を取る。

金色のマント。筋骨隆々とした体。まるで国民的なヒーローキャラクターを思わせるシルエット。人類が最も愛する、正義の味方の姿。

「嘘だろ...」

避難誘導中の自衛隊員が呟く。

正義の味方が、ビルを薙ぎ払っている。

これこそが綴の本質だった。人々が求める「理想」すらも、武器に変える。

「九条! このままじゃ、綴は無限に巨大化します!」

「...わかってる」

九条の表情が、初めて歪んだ。

「葛城、『ブラックアウト・プロトコル』を起動しろ」

「正気ですか!? それは――」

「全世界のネット通信を、三分間だけ完全遮断する。綴を倒す唯一の方法だ」

沈黙。

「...了解。カウントダウン、開始します」




第四章:三分間の沈黙

「カウントダウン開始。180秒」

世界中のスマートフォンに、通知が入る。

『緊急:全通信を3分間遮断します。怪獣を倒すため、すべてのデバイスを置いてください』

だが、人々は従わなかった。

むしろ、さらに激しく投稿を始める。

「#綴を見た」

「#最後の投稿」

「#世界の終わり」

綴が、さらに巨大化する。

「150秒」

九条は理解していた。人類は、情報を手放せない。依存症のように。中毒のように。

「ナギ」

少女を呼ぶ。

「お前は、何も覚えていないんだったな」

ナギは無言で頷く。

「なら、これは――お前の物語じゃない」

九条は、自分のデバイスを破壊した。

「葛城、すまない。強制執行しろ」

「...了解」

「90秒」

全世界の通信が、強制的に遮断され始める。

綴の成長が、止まる。

だが同時に、怪獣は最後の抵抗を始めた。体表から、ルナの映像が大量に流れ出す。

笑顔のルナ。

泣いているルナ。

絶望したルナ。

「助けて」と叫ぶルナ。

それは、かつて彼女に向けられた、すべての愛と憎しみの記録だった。

「30秒」

ナギが、綴の首元に到達する。

刀を構える。

そして――。

「0」

完全な静寂。

ナギの刀が、綴の首を斬り落とした。


怪獣の体が崩壊する瞬間、数億人分の情報エネルギーが解放された。

それは血ではなく、極彩色のオーロラだった。夜空を焼き尽くすほどの、美しい光。

綴の体が、ガラス細工のように粉々に砕ける。

その音だけが、無音の世界に響いた。




エピローグ:ループする悪夢

午前三時。

渋谷の廃墟で、九条とナギは座っていた。

世界中で通信が復旧し始める。そして、すぐに投稿が始まる。

「#綴が死んだ」

「#怪獣倒した」

「#東京復興」

九条のデバイスに、葛城からの通信が入った。

「九条さん、報告書、まとめました。上層部に提出します」

「...ああ」

「それと――もう、ニュースサイトに速報が出ました。『渋谷に怪獣出現、謎の部隊が撃退』って」

九条は黙って聞いている。

「コメント欄、見てみたんですけど...」葛城の声が、わずかに震えた。「『もっと詳しく知りたい』『動画はないのか』『政府は情報を隠してる』...皮肉ですね」

「...何がだ」

「彼らが、綴を倒した英雄を称賛するその一文字一文字が――もう、次の怪獣の細胞になってるんです」

沈黙。

九条は、自分のスマートフォンを見つめた。

画面には、戦闘の記録映像が残っている。アップロードすれば、真実を伝えられる。人々を安心させられる。だが――。

「葛城」

「はい」

「この記録は、封印する」

「...でも、それじゃあ人々は真実を知らないまま――」

「知らない方がいい」九条は画面を消した。「知れば知るほど、語れば語るほど、次の綴が育つだけだ」

「じゃあ、私たちは...何のために戦ったんですか」

葛城の声に、絶望が滲む。

「綴は情報で育つ。そして人類は、情報なしでは生きられない。つまり――」

九条は立ち上がり、空を見上げた。

「つまり、俺たちは永遠にこいつと戦い続ける。情報がある限り、綴は何度でも生まれる」

ナギが立ち上がる。刀を鞘に収める。

そして――彼女は、わずかに笑った気がした。

言葉のない微笑み。

それは、かつてルナが見せていた、あの優しい笑顔に似ていた。

「ナギ、行くぞ」

九条が歩き出す。

「次の現場は...どこだ?」

デバイスが、新しい警報を告げた。

『大阪市内で、情報異常値を検知。新たな個体の出現の可能性』

「...早いな」

九条は苦笑した。

そして二人は、廃墟の中を歩き去る。


その頃、渋谷から離れた場所で。

一人の少年が、スマートフォンを握りしめていた。

画面には、彼が今まさに投稿しようとしているツイートが表示されている。

『渋谷の怪獣、めっちゃヤバかった! 動画撮ったから見て! #綴 #怪獣 #拡散希望』

少年の指が、投稿ボタンに触れる。

その瞬間――。

彼のスマートフォンの画面が、わずかに光った。

まるで、何かが目覚めたように。


[対情報災害対策局・極秘報告書より抜粋]


怪獣「綴(ツヅリ)」は、人類が生み出した情報そのものである。

故に、人類が情報を生み出し続ける限り、綴は不滅である。

我々は、終わらない戦いに身を投じた。

だが、それでも――戦わねばならない。

なぜなら、沈黙は死を意味するから。

情報の時代に生きる者の、これが宿命である。



―対情報災害対策局局長 九条透


[報告書・終]


そして今日も、世界のどこかで。

誰かが、何かを投稿する。

綴は、静かに目覚め始める。

――終わらない物語。

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