第三話 連鎖する破滅と封鎖された退路
日曜日の午後。佐々木美奈と西園寺蓮は、都内の高級マンションでシャンパングラスを傾けていた。
窓の外には見事なシティビューが広がっている。ここは蓮の自宅兼事務所だ。
「見てよ蓮くん! 昨日のオムライス動画、もう五十万再生行ってる!」
「へへっ、言った通りだろ? 俺のプロデュースにかかれば、お前のポテンシャルはこんなもんじゃないって」
ソファに寝そべった蓮が、上機嫌でスマホの画面をスクロールする。
コメント欄は称賛の嵐だ。『神回』『やっぱり蓮くんは天才』『前の編集より百倍いい』。
それらの言葉は、彼らの肥大化した自尊心をさらに膨れ上がらせていた。
健太が作った動画をそのままアップロードしただけだという事実は、彼らの脳内では都合よく消去されている。
「あーあ、健太のやつ、今頃悔しがってるだろうなー。自分の無能さを思い知ったかな?」
「間違いないね。ま、あいつのおかげで素材(ストック)には困らないし、しばらくは楽して稼げるわ。飽きたらまた新しいスタッフ雇えばいいしな」
二人が高笑いをした、その時だった。
美奈のスマホが、不穏な通知音を鳴らした。
画面を見た美奈の表情が、一瞬で凍りつく。
「え……?」
「どうした? アンチコメか?」
「ち、違う……。YouTubeから、メールが……」
震える手で画面を蓮に見せる。
そこには、赤字で警告文が表示されていた。
『重要なお知らせ:著作権侵害による申し立てに関する通知』
「はあ? なんだこれ」
蓮が眉をひそめて画面を覗き込む。
『以下の動画に対し、著作権者「Kenta Aizawa」様より、著作権侵害による削除申し立てがありました。これに伴い、該当動画を削除いたしました。また、異議申し立てがない場合、アカウントにストライク(違反警告)が付与されます。なお、同一アカウントで三回のストライクを受けた場合、アカウントは停止(BAN)されます』
「け、健太……!?」
美奈が悲鳴のような声を上げた。
削除された動画リストには、昨日アップしたばかりのオムライス動画だけでなく、過去数ヶ月にわたって投稿された主要な人気動画――つまり、健太が制作した動画のほぼ全て――が羅列されていた。
「ふざけんな! あいつ、マジでやりやがったのか!?」
蓮が激昂してテーブルを叩く。シャンパングラスが倒れ、高価なカーペットに黄金色の液体が染み込んでいく。
その直後、さらに恐ろしい事態が発生した。
美奈が慌てて自分のチャンネルアプリを開こうとするが、画面には無慈悲なメッセージが表示されるだけだった。
『このアカウントは、著作権侵害の申し立てにより停止されました』
「う、嘘……! 私のチャンネルが……消えてる……!」
「なっ、一発BANだと!?」
蓮も自分のスマホで確認するが、検索結果から『みなみごはん』の名前は完全に消滅していた。五十万人の登録者も、積み上げた動画も、全てが一瞬にして電子の海から消え去ったのだ。
通常、三回の警告でBANとなるが、今回は被害件数があまりに多く、悪質性が高いと判断されたのだろう。プラットフォーム側の対応は迅速かつ容赦がなかった。
「ど、どうしよう蓮くん! 私のアカウントが! 案件の動画も消えちゃったよ! 企業さんに何て説明すればいいの!?」
パニックに陥り、泣き叫ぶ美奈。
しかし、蓮の反応は冷ややかだった。彼は自分のスマホを操作し、舌打ちをする。
「チッ、面倒くせえな。おい美奈、とりあえず落ち着け。俺のアカウントは無事だ」
「え……?」
「お前のチャンネルが消えただけだろ? 俺のチャンネルで事情説明の動画を出せばいい。そうすれば、ファンは戻ってくる」
蓮の目は、美奈を心配しているようには見えなかった。むしろ、どうやってこの火の粉を払うか、その計算だけで動いている目だ。
「で、でも……企業案件の違約金とか、どうなるの……?」
「知らねえよ。契約したのはお前だろ? 俺はあくまで『プロデューサー』としてアドバイスしただけだからな」
突き放すような言葉に、美奈は愕然とする。
さっきまで「俺たち最強」と言っていた男が、窮地に陥った途端に手のひらを返したのだ。
その時、蓮のスマホにも通知が届いた。
それはYouTubeからではなく、Twitter(X)からのメンション通知だった。
通知の数が異常だ。一秒間に数十件、数百件と増え続けている。
「なんだ? バズったか?」
蓮が期待半分、不安半分でアプリを開くと、トレンドの一位に『#みなみごはんの真実』というタグが浮上していた。
そして、その発信元は、開設されたばかりの『Kenta Aizawa』というアカウントだった。
『【暴露】清楚系インフルエンサー「みなみごはん」と映像作家「西園寺蓮」の裏側。全て公開します』
添付された動画には、美奈と蓮が見たこともない映像が流れていた。
それは、あのオムライス動画の撮影風景だ。
ただし、美奈たちが編集でカットした「NGシーン」や「休憩中の会話」が、そのまま使われている。
『あーもう! 玉ねぎ切るのめんどくさ! 目痛いし!』
画面の中で、美奈が包丁を投げ出し、不機嫌そうに叫んでいる。
『健太ー、あとやっといてよ。私、ネイル傷つくの嫌だから』
続いて、蓮が登場するシーン。
『おい裏方くん、照明暗いんだけど。もっと美奈の谷間が見えるように調整しろよ』
『料理なんてどうでもいいんだよ。サムネで釣れれば中身なんて適当でいいんだからさ』
『ファンなんて金づるだろ? 適当に「みんな大好き♡」とか言っとけば貢いでくれるんだから、チョロい商売だよな』
決定的な暴言の数々。
さらに動画の後半では、健太によるナレーションが入る。
『これらの動画の企画・撮影・編集は全て私、相沢健太が行ってきました。しかし彼らは、私を一方的に解雇し、機材とデータを強奪しました。そして、私が制作した動画を無断で使用し、自分たちの手柄として公開しました。これは著作権侵害であり、ファンの皆様への裏切りです』
最後に、法的措置を講じている旨を記した弁護士名の通知書が映し出され、動画は終わる。
「……な、なんだよこれ……!」
蓮の手からスマホが滑り落ちた。
これは、ただの暴露ではない。彼らの「人間性」と「クリエイターとしての信用」を根底から破壊する、完全なる爆弾だった。
SNS上は阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。
『え、マジで? みなみちゃん、料理してなかったの?』
『ファンを金づる呼ばわりとか最低すぎる』
『蓮くんの発言ヤバすぎ。ドン引きした』
『今まで健太さんが全部やってたってこと? 才能あるのどっちだよ』
『人の作品盗んでドヤ顔とか、クリエイターとして終わってる』
称賛の嵐は、一転して憎悪と軽蔑の嵐へと変わった。
ファンたちが騙されていたことに気づき、その怒りが一気に爆発したのだ。
「蓮くん……これ、どういうこと……? なんでこんな動画が……」
美奈がガタガタと震えながら蓮を見る。
蓮は顔面蒼白になりながら、必死で頭を回転させていた。
このままでは自分のチャンネルまで飛び火する。スポンサー契約も打ち切られる。自分のキャリアが終わる。
保身。
その二文字が、彼の脳内を支配した。
「……美奈。悪いけど、俺は関係ないことにさせてもらうわ」
「え?」
蓮は即座に三脚を立て、カメラを回し始めた。
「ちょ、何するの!?」
「謝罪動画だよ! でも、俺は被害者だ。お前に騙されてたことにする!」
蓮はカメラに向かって、神妙な顔を作り、深々と頭を下げた。
「皆様、この度は大変お騒がせして申し訳ありません。……実は、僕も佐々木美奈に騙されていました。彼女から『元スタッフが仕事を放棄して逃げたから助けてほしい』と泣きつかれ、善意で協力していただけなんです。まさか、彼女が元スタッフさんの権利を侵害していたなんて、僕は全く知りませんでした。僕自身、彼女に利用されていた被害者です。彼女とは即刻縁を切りますし、今回の件に関しては全面的に元スタッフさんを支持します」
「な……っ!? ちょっと待ってよ! 蓮くんが『奪っちゃえ』って言ったんじゃん! 『俺たちのモンだ』って!」
美奈が叫びながら蓮に掴みかかろうとするが、蓮はそれを乱暴に突き飛ばした。
「うるせえ! お前が全部被ればいいんだよ! 俺には守るべきクライアントがいるんだ! お前みたいな泥舟と一緒に沈んでたまるか!」
蓮は美奈を部屋から追い出し、ドアに鍵をかけた。
そして、撮影したばかりの「謝罪&絶縁動画」を即座にアップロードした。
『僕は悪くない。全ては佐々木美奈という女の嘘だった』
というタイトルで。
これで逃げ切れる。蓮はそう確信していた。
自分はあくまで「騙された善意の協力者」というポジションを確立すれば、多少の批判はあっても致命傷にはならないはずだ。
美奈をトカゲの尻尾切りにして、自分だけ生き残る。それが彼の生存戦略だった。
だが。
その動画が公開された五分後。
健太のアカウントから、新たな投稿がなされた。
『西園寺蓮氏の「自分は知らなかった」という主張について』
そのタイトルを見た瞬間、蓮の背筋に氷のような冷気が走った。
震える指で再生ボタンを押す。
そこには、真っ暗な画面に音声波形だけが表示されていた。
そして流れてきたのは、あの日、スタジオで健太を追い出した時の会話だった。
『お前のデータは置いていけ。手切れ金代わりだ』
『お前みたいなストーカー気質の元カレに持たせとくわけないだろ』
『へへっ、これで五十万人の登録者は俺たちのモンだ。チョロいもんだぜ』
蓮の声だ。間違いなく、彼自身の声だ。
さらに、別の日の電話の録音データも公開された。
『あいつのデータ盗んで使い潰そうぜ。バレなきゃ犯罪じゃないし』
『ファンなんて馬鹿ばっかだから、俺の名前出しとけば勝手に信じるって』
『著作権? 知らねえよそんなもん。俺がルールだ』
「…………あ……」
蓮の喉から、空気の抜けたような音が漏れた。
言い逃れようのない、完全な証拠。
「知らなかった」どころか、彼自身が主犯格として計画を主導し、悪意を持って著作権侵害を行っていたことが、本人の肉声によって証明されてしまったのだ。
この「第二の矢」の効果は絶大だった。
先ほどアップした蓮の謝罪動画のコメント欄は、一瞬にして地獄と化した。
『嘘つきじゃん』
『被害者ぶって逃げようとしたのバレバレ』
『全部お前が主導してんじゃねーか!』
『最低のクズだな。美奈ちゃんも悪いけど、お前の方が悪質だわ』
『もう二度とクリエイター名乗るな』
『通報しました』
炎上はTwitterのトレンドだけでなく、ネットニュースのトップにも掲載され、瞬く間に拡散された。
そして、その報いは現実世界にも波及する。
蓮のスマホが鳴り響く。今度は通知音ではなく、着信音だ。
画面には、大手クライアントである広告代理店の担当者の名前が表示されている。
「……は、はい。もしもし……」
『西園寺さん。今のネットニュース見ましたよ。あれは一体どういうことですか?』
「い、いや、あれは捏造で……誤解で……」
『音声データを聞く限り、ご本人の声にしか聞こえませんが。……弊社としては、コンプライアンス違反の疑いがあるクリエイターとお付き合いすることはできません。現在進行中のプロジェクトは全て中止、契約も解除させていただきます。なお、契約条項に基づき、違約金の請求書を後ほど送付しますので』
プツッ。
通話が切れる音。
すぐにまた別のクライアントから着信が入る。
それも契約解除の通告。
次々と鳴り止まない着信。それは全て、彼の破滅を告げる鐘の音だった。
「う……うわああああああああああああ!」
蓮はスマホを壁に投げつけた。画面が粉々に砕け散る。
だが、壊れたのはスマホだけではない。
彼が築き上げてきた地位、名声、信用、そして未来。その全てが、粉々に砕け散ったのだ。
一方、マンションから追い出された美奈は、夜の路上で呆然と立ち尽くしていた。
スマホには、所属事務所からの「解雇通知」と、企業からの「損害賠償請求」のメールが届いている。
金額は数千万円。大学生の彼女に払える額ではない。
SNSを開けば、かつて自分をチヤホヤしてくれていたファンたちからの罵詈雑言で埋め尽くされている。
「なんで……? なんでこんなことに……?」
美奈は涙を流しながら、ふと一つの顔を思い浮かべた。
いつも自分の後ろにいて、優しく支えてくれていた男の顔を。
どんなわがままも聞いてくれて、自分の失敗をカバーしてくれて、最高の動画を作ってくれていた彼。
「健太……」
そうだ、健太なら。
健太なら、きっとなんとかしてくれる。
彼は私のことが好きなはずだ。私が謝れば、きっと許してくれる。
「もう一度やり直そう」と言えば、またあの優しい笑顔で迎えてくれるはずだ。
そうすれば、この悪夢のような状況も、彼が魔法のように解決してくれるに違いない。
だって、彼は私の『裏方』なのだから。
美奈はすがるような思いで、健太のアパートへと足を向けた。
自分が彼にした酷い仕打ちは棚に上げ、ただ「助けてほしい」という身勝手な願望だけを抱いて。
彼女はまだ気づいていなかった。
魔法使いはもういないこと。
そして、魔法が解けた世界には、冷酷な現実しか残されていないことを。
◇
アパートの一室で、俺はPCのモニターを見つめていた。
画面には、炎上し続ける蓮と美奈のSNS、そして俺のチャンネルに殺到する応援コメントが表示されている。
『健太さん、応援してます!』
『今までこんな素晴らしい動画を作ってたのがあなただったんですね』
『暴露動画の編集技術が高すぎて笑った。これが本物のプロの仕事か』
『正義は勝つって証明してくれてありがとう』
俺のチャンネル登録者数は、暴露動画の公開からわずか数時間で十万人を突破していた。
皮肉なものだ。裏方として支えていた頃は、どれだけ頑張っても俺の名前が出ることはなかったのに。
全てを壊し、真実を晒した途端、世界は俺を評価し始めた。
「……終わったな」
俺は呟き、コーヒーを一口飲んだ。
蓮の社会的地位は完全に失墜した。美奈のインフルエンサーとしての生命も絶たれた。
彼らの逃げ道はもうない。法的措置も着々と進んでいる。
損害賠償、違約金、そして刑事罰。
彼らがこれから背負う十字架は、一生かけても償いきれないほど重いものになるだろう。
だが、不思議と胸の中にあったドス黒い感情は消えていた。
残っているのは、嵐が去った後のような静寂と、少しの虚しさ。
そして、これから始まる自分の新しい人生への、静かな予感だけだった。
ピンポーン。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
モニターを確認しなくても、誰が来たのかは分かった。
このタイミングで俺を訪ねてくる人間など、一人しかいない。
俺はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かった。
最後の「処理」をするために。
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