苦手なこと 得意なこと 2026.1.27

 やあどうもこんにちは。あるいは、こんばんは。


 突然だけど、ちょっとした生き辛さの話をしよう。


 じっとしていられず、落ち着きがないADHD。


 自分の世界やこだわりが強く、予定やルールに対する異常な執着を見せたりするASD。


 これらは発達障害と一緒くたにされたりするけど、似て非なるものではある。


 ただ、そう言われる人は、人生に対する生き辛さを持っていることが多い。


 社会は健常な人々を基準にルールを定めるから、そのラインを越えていくことは村八分に等しい。


 どれだけ世界が多様性を大事にしようとしても、根本的には誰かと違うこと、ルールを破ることに人は厳しくなる。


 まあそんな壮大な話ではなく、ふと思い出したことがある。


 小学生の頃、図工がとても苦手だった。


 教師たちは良かれと思って、創造性を育てる機会だと考え、こう提案する。


「好きに作っていいよ」と。


 夢の中にドラゴンが出てくるような自由さを、創作に出していいんだと、着飾られた笑顔で語る。


 僕は好きにしていいが、とても苦手だった。


 なぜなら、好きなようにという言葉の裏に、何かしらの正解を求めているんじゃないかと、邪推してしまうからだ。


 もし好きなように、作ったとしよう。粘土で作った人型のオブジェが、動物をいじめているようなモチーフで描かれていたら。その子はきっと、心の病というレッテルを張られ、やたらと優しさを振りまくカウンセラーとやらに、生き物を大切になどと説法を説かれるだろう。


 ここまで考えるのは穿うがちすぎというものだが、ようは好きにしていいと言われた時に、という、強迫観念があったのだ。


 今ではそうは思わないけれど、学校の教育では正解を出していくことは、至上の命題のように考えていた。


 社会で生きるために。より良い人生を手に入れるために。成功だとか勝ち組だとかいう、泡沫を手に入れるために。


 で、今回言いたかったこと。


 そんな風に正解がないものが苦手だったから、自分の得意なことは何かに行き当たったことだ。


 この世の中には、正解のある問題の方が少ないと知った時は、そりゃあまあ絶望をしたものだった。


 ただ、死ぬまでは生きて行かなきゃいけない以上、何かしら自分でこの不条理を乗り切る必要があった。


 結局自分の得意だったことは、正解に近づくため、大量のサンプルを集めるという才能があったことだった。


 人生の意味を知るために、哲学書を読み漁った。


 法律の運用を間違えないために、原文から解釈通知まで、自分なりの理論や根拠が揃うまで拾い上げた。


 小説を書くなんてことをしているが、そもそも書けるまでに何百冊を読んできたのか、もう数えるのも面倒だ。


 そして、それが自分の一番得意なことだった。


 大量の情報を仕入れること。そして、アウトプットすること。


 そんな非効率的な物量作戦があるから、今の自分がいるのだ。


 世の中に、本当に意味での正解はあまりない。


 けれど、正解に近くなる法則、言語化できる論理は必ずある。正解の中心に行きつくことは、満更不可能でもない。


 大量の情報の波が流れる源流に、本質はあるのだ。


 また話が広がっていったけど、苦手なことの近くには、実は自分の得意なことがあったんだなって話。


 皆さんは、得意なことや苦手なことって、ありますか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る