第5話(終) 雪は、降り積もり続けていた
聖なる夜が、ついに訪れた。
302号室のリビングは、この世のどこよりも濃密な『幸福』の熱気に満たされていた。
テーブルの上には、こんがりと黄金色に焼けた七面鳥、真っ赤なイチゴが宝石のように輝くケーキ、そして最高級のシャンパン。キャンドルの炎がゆらゆらと揺れ、壁一面を飾る銀色のモールと赤色のリボンを、幻想的に照らし出している。
「さあ、みんな。冷めないうちに食べましょう」
ユキは、一点の曇りもない満面の笑みで言った。
正面には、管理員の制服をシワ一つなく着こなした「お父さん」――昭夫が座っている。その琥珀色の義眼は、キャンドルの光を反射して、慈愛に満ちた眼差しでユキをじっと見つめ返している。
右隣には、お気に入りのブローチをつけた「お母さん」――真理子。ユキが入念に施した死後化粧により、その頬は生きていた頃よりも鮮やかなバラ色に染まり、口元は透明な糸で吊り上げられ、永遠の穏やかな微笑みを称えている。
左隣には、サンタの帽子を被った「弟」――怜。小さな体は、綿を詰められたことでふっくらとしており、まるで楽しい夢を見ている途中のように、無邪気なポーズで固定されていた。
部屋中を漂うのは、溢れんばかりの白百合の香りと、防腐剤の冷たい匂いが混ざり合った、この世ならぬ芳香だ。ユキにとっては、どんな香水よりも安らぎを与える、家族の匂いだった。
窓の外の、見知らぬ人々に同情すら覚える。
彼らはまだ、血という不確かな絆にすがり、いつか来る『退去』の日に怯えて生きているのだ。
けれど、この部屋の住人は違う。
お父さんの足はもう、田舎へ帰るために歩き出すことはない。
お母さんの口はもう、別の男の名前を呼んだり、「さようなら」と言ったりすることはない。
怜の手はもう、ユキを置いて遠くの学校へ行くために荷物をまとめることはない。
彼らはもう、決してユキを裏切らない。命という名の、わがままなエネルギーを抜き取られた彼らは、ついにユキだけの『完璧な家族』へと昇華したのだ。
「幸せすぎて、涙が出ちゃうわ……。ねえ、お父さん、お母さん、怜君。見て。これで私たち、やっと『本物の家族』になれたのね」
ユキは感極まったように、3人の『標本』を順番に見つめた。
しかし、ふと、胸の奥に小さな、ちくりとした欠落感が生じた。
自分だけが、まだ『動いて』いる。
自分だけが、まだ呼吸をし、汗をかき、不確かな命という熱を持っている。
この完璧な静止画のような食卓の中で、自分だけが、いつか心変わりをし、彼らを置いていく可能性を秘めた不安定な異物のままだった。
(最後のピースを、埋めなくちゃ)
ユキは、テーブルの上に置かれた剃刀を手に取った。
それは、3人の血を抜いてあげた、あの慈悲深い刃だ。
彼女はためらうことなく、自分の左手首を優しく、しかし深く、迷いなくなぞった。
鮮やかな赤色が、真っ白なレースのテーブルクロスにポタポタと、美しく残酷な花を咲かせていく。
ユキは、自分の体から溢れ出す裏切りの種を、うっとりと見つめた。
次第に、視界が白く霞んでいく。
意識が遠のくにつれ、リビングの景色が、より一層輝きを増していった。
お父さんがゆっくりとグラスを持ち上げ、お母さんが優しくユキの髪を撫で、怜が「お姉ちゃん、こっちだよ!」と笑いながら椅子を引いてくれる――そんな幸せな幻覚が、彼女の脳内を埋め尽くす。
ああ、これよ。
これこそが、私がずっと、ずっと欲しかったもの。
ユキは、自分の右手を、隣に座るお母さんの、冷たく硬い手の上に重ねた。
そのまま、彼女はゆっくりと目を閉じた。
窓の外では、街を彩るクリスマス・イルミネーションが、赤や緑、青の光を次々と変えながら、窓ガラスを通して部屋の中に降り注いでいる。
その光は、静まり返った食卓を囲む、4人の家族を平等に照らし出していた。
死してなお、幸せそうに微笑むユキの顔。
その傍らで、じっと娘を見守る父。
優しく寄り添う母。
永遠の少年のまま微笑む弟。
302号室に、もう言葉は必要なかった。
そこにあるのは、血の繋がりを超え、生と死の境界さえも縫い合わせた、世界で一番美しく、そして完璧な『家族写真』だった。
雪は、ただ静かに、すべてを覆い隠すように降り積もり続けていた。
(終)
聖夜の家族 kou @ms06fz0080
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