第二話 復讐のコンサルタントは、最愛だった女に「極上の地獄」をプロデュースする

都心の喧騒を見下ろす、会員制ホテルの最上階ラウンジ。窓の外には宝石を散りばめたような夜景が広がっているが、俺の視線はその輝きよりも手元のタブレット端末に向けられていた。画面上では、いくつものグラフと複雑なプログラムのコードが静かに更新され続けている。


「呀様、お待たせしました。本日の『収穫報告』です」


隣の席に滑り込んできたのは、昼間のキャリアウーマン風とは打って変わって、背中が大きく開いた黒のイブニングドレスを纏った琥珀だった。彼女はストローでカクテルを一口啜ると、艶然とした微笑みを浮かべる。


「神宮寺のやつ、面白いように動いていますよ。例の『未公開株投資サイト』、今日だけで一千万円以上の入金がありました。そのうち五百万は、澄香さんが複数の消費者金融を回って工面したお金です」


「……五百万か。思っていたより早く動いたな」


俺はグラスに入った琥珀色の液体を揺らした。澄香が俺の口座から勝手に引き出した三百万と合わせれば、彼女はすでに八百万もの負債を背負ったに等しい。なぜなら、彼女が「投資」だと思い込んでいるそのサイトは、琥珀が構築した精巧なフィッシングサイトに過ぎないからだ。


「神宮寺が彼女を相当煽ったみたいですね。『君なら一流の投資家になれる』『僕たちの将来のために、今が踏ん張りどきだ』なんて甘い言葉を並べて。彼女、自分が借金をしている自覚すら薄いんじゃないでしょうか。未来の利益で相殺できると本気で信じているんです」


琥珀がタブレットを操作し、神宮寺と澄香のスマートフォンの通信記録を表示させる。そこには、目を覆いたくなるような神宮寺の甘言と、それに心酔しきった澄香の返信が並んでいた。


『煌流さん、今日でなんとか五百万準備できたよ! 私、煌流さんと一緒に幸せになりたい。呀みたいな貧乏人といた頃には見えなかった景色が、今はハッキリ見えるの』


『さすが澄香だ。君は最高のパートナーだよ。これで僕たちのタワーマンションの頭金も準備できる。あんなライターの男なんて、もう記憶から消していい。君には僕という本物の成功者がついているんだから』


俺は画面をスクロールする指を止めた。四年という歳月を、彼女は「掃き溜め」や「記憶から消すべき汚点」として処理したらしい。裏切りを知った瞬間、俺の心は死んだと思っていたが、こうして改めて言葉として突きつけられると、乾いた笑いが込み上げてくる。


「呀様? もしかして、まだ少しは胸が痛みますか?」


琥珀が覗き込むようにして俺の顔を伺う。彼女の瞳には、同情ではなく、獲物を観察するような残酷な好奇心が宿っていた。


「いや。むしろ清々しいよ。彼女が俺を否定すればするほど、俺の復讐に大義名分が生まれる。……琥珀、次のフェーズに移ろう。神宮寺に『追い込み』をかける」


「了解です。神宮寺が澄香さん以外からも金を巻き上げている女性たち……計五名に、一斉に『神宮寺の浮気現場』をリークします。もちろん、その現場の相手は澄香さんです。彼女たちが一斉に牙を剥けば、神宮寺のキャッシュフローは完全に止まる」


「ああ。金に困った神宮寺は、さらに澄香を絞り取ろうとするだろう。彼女の親、友人、会社……あらゆる人間関係を担保に金を作らせるはずだ。それを俺たちが裏でコントロールする」


復讐とは、ただ相手を破滅させることではない。相手が最も大切にしているもの――澄香の場合は「虚栄心」と「成功への期待」、神宮寺の場合は「金」と「支配欲」――を、自分たちの手で粉々に砕かせることが重要なのだ。


翌日、俺はかつて澄香と暮らしていたアパートの近くにある喫茶店にいた。古びた店内に、澄香が好んでいた高級な香水の匂いは似合わない。


「呀……? どうしてここに……」


呼び出した澄香は、神宮寺に買ってもらったという派手なワンピースを着て現れた。その手には、昨日分割払いで購入したばかりのブランドバッグが握られている。


「荷物のことで確認したいことがあってね。君が置いていった服や靴、どうすればいい?」


俺が努めて弱々しく、未練があるような声を出すと、澄香は露骨に嫌な顔をして鼻を鳴らした。


「そんなことのために呼び出したの? 全部捨ててって言ったじゃない。それとも何、そうやって理由をつけて、まだ私に縋りつきたいわけ? 無様ね」


「……いや、そうじゃないんだ。ただ、君が心配で。最近、君の周りで怪しい噂を聞くんだ。神宮寺っていう男、本当は危ない仕事をしてるんじゃないかって」


「はあ!? 何言ってるのよ。嫉妬も見苦しいわよ。煌流さんは、あなたみたいな底辺とは住む世界が違うの。今日もね、これから超大物の投資家と会う約束があるんだから。あなたの年収なんて、彼の数日分の利益でしかないんだからね」


澄香は勝ち誇ったように笑い、テーブルの上に置かれた最新のスマートフォンを見せびらかした。画面には、琥珀が仕込んだ「偽の運用益グラフ」が表示されている。数字上では、彼女の資産は一晩で数百万円増えていることになっていた。


「見てなさいよ。来月には私はタワマンの住人になって、あなたみたいな人間とは二度と会わなくて済むようになるんだから。……じゃあね。二度と連絡してこないで。連絡先もブロックするから」


彼女はコーヒー一杯すら注文せず、嵐のように去っていった。その背中を見送りながら、俺は手元のボイスレコーダーを止める。


「……録音完了。これで『警告はした』という事実は残ったな」


「完璧です、呀様」


店内の隅で、客を装って座っていた琥珀が近づいてくる。彼女は小さなイヤホンを外し、満足げに頷いた。


「彼女、完全に薬が効いた状態ですね。自分が特別な人間だと信じ込み、忠告を『負け犬の遠吠え』としか認識できない。これなら、どんな無茶な要求でも神宮寺に従うでしょう」


「ああ。神宮寺には、例の『架空の大型プロジェクト』をぶつけろ。澄香の全財産だけでなく、彼女の周囲からさらに二千万円を引っ張ってこさせるんだ。それが終わったとき、彼女の人生は完全に『清算』される」


俺たちは店を出た。澄香が歩いていった華やかな大通りとは逆の、暗い路地へと足を進める。


数日後。神宮寺が澄香に用意したという「タワーマンション」の一室。

実際には、神宮寺が偽名で一週間だけ借りた民泊物件に過ぎないその部屋で、澄香は焦燥に駆られていた。


「……ねえ、煌流さん。本当に大丈夫なの? 親戚からも借金して、もう私の名義で借りられるところはないよ……」


「大丈夫だ、澄香。君を信じているからこそ、このチャンスを君に預けているんだよ。あと一千万円……これさえあれば、僕たちはシンガポールに移住して、一生働かずに暮らせる権利が手に入る。君は、またあのボロアパートに戻りたいのか?」


「そんなの、絶対嫌! 呀みたいな冴えない男と、安いスーパーのチラシを眺める毎日なんて、死んでも御免よ!」


神宮寺の巧みなリードに、澄香は悲鳴のような声を上げる。彼女の瞳は血走り、余裕のあった美貌は、多額の負債とプレッシャーで見る影もなく窶れていた。


「いい子だ。……実はね、僕の知り合いに、特別な融資をしてくれる人がいるんだ。君の会社での役職と、これまでの実績があれば、あと一千万は引っ張れる。ちょっと書類に細工は必要だけど、成功すればすべて帳消しだ」


「……書類に細工って、それって……」


「僕を信じられないのかい? 君を誰よりも愛している僕を」


神宮寺が澄香の肩を抱き、耳元で囁く。その言葉は、彼女にとって唯一の救いであると同時に、奈落へと突き落とす最後の一押しだった。


「わかった……。やるわ、私。煌流さんと一緒にいられるなら、何だってする」


澄香は、差し出された真っ白な書類に次々と署名し、印鑑を押していく。それが、彼女自身の「社会的な死」を意味する有印私文書偽造、および詐欺の共犯者としての証拠になるとも知らずに。


その様子を、俺は琥珀と共に、神宮寺の部屋に仕掛けた隠しカメラを通じて眺めていた。


「落ちましたね。これでチェックメイトです」


琥珀が淡々とキーボードを叩く。


「神宮寺が提示したその融資先は、俺のダミー会社だ。彼女が偽造した書類はすべてこちらの手元にある。……さて、琥珀。神宮寺の方の『解体』も進めようか。彼が他の女性たちから集めた資金、その出所を警察と国税に匿名でリークしろ。同時に、彼が裏で繋がっている反社会的勢力のフロント企業にも、『神宮寺が金を使い込んで逃げようとしている』という情報を流せ」


「了解です。……呀様、神宮寺の方は物理的にもかなり危ない状況になりますが、よろしいのですか?」


「ああ。自業自得だ。彼は多くの女性の人生を壊してきた。それ相応の対価を支払うのは当然だろう」


俺の言葉に、琥珀はどこか嬉しそうに微笑んだ。


「冷酷ですね、一之瀬代表。……でも、そんなあなたが、私は一番信頼できます」


翌日から、事態は急速に動き始めた。


まず、神宮寺の元に、これまで金を貢いできた女性たちが次々と押しかけた。彼女たちは琥珀から提供された「決定的な浮気の証拠」を手に、狂ったように神宮寺を問い詰めた。


「どういうことよ、煌流! この女、誰!? 私の結婚資金を返してよ!」


「あんた、他にも同じことやってるんでしょ! 警察に訴えてやるわ!」


神宮寺は必死に言い逃れをしようとしたが、その場にさらに恐ろしい来客が現れた。黒塗りの車から降りてきた男たちは、無言で神宮寺を車内へと引きずり込んでいった。彼が着服していた金の「本当の所有者」である、裏社会の人間たちだ。


一方、澄香の元にも地獄が訪れた。


彼女が勤務する広告代理店に、一通の告発文が届いた。そこには彼女が投資資金を作るために会社の経費を私的に流用し、さらに書類を偽造して多額の借金を作っている証拠が詳細に記されていた。


「月詠さん、ちょっと会議室まで来てくれるかな?」


上司の冷たい声が響いたとき、澄香の顔からは血の気が引いた。彼女が必死に築き上げてきた「デキる女」という虚像が、音を立てて崩れ去っていく。


同僚たちの好奇と蔑みの視線。昨日まで仲良くランチを食べていた友人たちは、蜘蛛の子を散らすように彼女から離れていった。


「嘘……、何で……。煌流さん、助けて……!」


澄香は震える手で神宮寺に電話をかけたが、何度かけても「おかけになった番号は現在使われておりません」という無機質なアナウンスが流れるだけだった。


彼女はタワーマンションの部屋に戻ろうとしたが、オートロックのカードキーはすでに無効化されていた。エントランスの警備員に不審者扱いされ、追い出された彼女は、土砂降りの雨の中に放り出された。


手元には、もう一円の現金も残っていない。スマートフォンには、消費者金融からの執拗な催促のメッセージが絶え間なく届き続けている。


「……ねえ、呀。どこにいるの? 助けてよ……」


絶望の淵で、彼女が最後に口にしたのは、自分がゴミのように捨てた俺の名前だった。


雨に打たれながら、澄香は夜の街を彷徨う。かつて自分が「輝かしい世界」だと思っていたネオンの光が、今は彼女を嘲笑う冷たい光にしか見えなかった。


その様子を、俺は少し離れた場所に停めた高級車の車内から静かに眺めていた。


「呀様、追いかけなくていいんですか? 今の彼女に手を差し伸べれば、きっと泣いて喜ぶでしょうね。もちろん、その後でもっと深い地獄に落とすために」


「いや、まだだ。彼女には、自分が何を失ったのかを、もっと正確に理解してもらう必要がある」


俺は車のエンジンをかけた。


「澄香は今、ようやくスタートラインに立ったんだ。俺が四年間、彼女のためにどれだけのものを積み上げてきたか。それを自分の手で壊した代償がどれほどのものか。……それを思い知るのは、これからだ」


車は静かに走り出した。雨に濡れた澄香の姿が、バックミラーの中で小さくなっていく。


かつて、俺はこの女を幸せにしたいと本気で思っていた。彼女の笑顔のためなら、どんな苦労も厭わないと誓っていた。その愛が、今の俺を突き動かす復讐心へと昇華されたのだ。


「琥珀、次の準備は?」


「はい。神宮寺の『処刑』はほぼ完了しました。彼は今、裏社会の人間たちに身包み剥がされ、凄惨な追い込みをかけられています。命だけは助かるでしょうが、二度と表舞台には立てないでしょう」


「そうか。……なら、次は澄香だ。彼女に『最後の希望』を見せてやろう。そして、その希望が最初から存在しなかったことを突きつけるんだ」


俺の隣で、琥珀が楽しそうに笑う。


「悪趣味ですね。でも、それこそが呀様の『完全解体』」


夜の闇は深く、雨は激しさを増していく。


澄香が歩む地獄の道は、まだ始まったばかりだった。彼女が望んだ「成功者との幸せな未来」は、俺の手によって、最も残酷な形で清算されることになる。


俺はアクセルを踏み込んだ。目的地は、彼女が最後に縋ろうとするであろう、思い出の詰まった、しかし今はもう誰もいないあのアパートだ。


そこで彼女を待っているのは、かつての優しい恋人ではない。彼女のすべてを奪い去り、人生を解体し終えた、一人の冷徹な復讐者だ。


「さあ、澄香。最後の仕上げといこうか」


俺の瞳には、もう微塵の迷いもなかった。四年の月日を、そして愛した記憶を、今夜、完全に焼き尽くすために。

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