廃宮の修復師は、触れるだけで【真実】を暴く。偉大なる宮女の成り上がり鑑定録《宮女、危うきに近寄らず》
いぬがみとうま🐾
第1章:翡翠の欠片と黒い契約
第1話 割れた玉杯と神の指
「ちょおーっと待ったァ! その破片、修復できますからーーッッ!!」
華やかな
この国一番の建築家である工部尚書が作った
「お、お許しください! わざとでは、わざとではございませんっ」
小鈴が額を地面に擦りつける。それを冷ややかに見下ろすのは、宴の差配を任されていた上級官吏だ。
「この玉杯がどれほど貴重なものか分かっているのか。不注意では済まされん。おい、この下働きを連れて行き処罰せよ!」
屈強な衛兵たちが小鈴の腕を掴もうとした、その時だった。
洗濯物の中身をぶちまけながら、野うさぎのような勢いで飛び込んできた少女――弥宝が、官吏と衛兵の間に強引に割り込んだ。
(いや待て待て待て! 不注意なのは小鈴だけど、この程度の玉杯を壊して処罰とか厳し過ぎるでしょ! 後宮の無慈悲も大概にしろよ!)
弥宝は地面に散らばった翡翠の破片を素早く観察する。
「黙れ、掃き掃除の小娘が! 邪魔をするなら同罪として――」
「直せます。それに……これ、ただ割れただけじゃない、構造的欠陥です!」
弥宝の言葉に、周囲の空気が凍りついた。
先ほどまでの騒がしい雰囲気は消えていた。弥宝は跪き、壊れた破片の一つを拾い上げる。その瞬間、彼女の瞳から温度が消えた。
明るくお調子者な「下働きの弥宝」は消え、そこにはただ、物の本質を見抜く「修復師」の眼差しを向ける。
「……そこのあんた、お湯。それと、そこの官吏の人、腰に下げてる香袋の中身、全部出してください。あと、どっかに
あまりの威圧感に、たまたま近くにいた
弥宝は懐から小さな
砕けた翡翠の断面を熱い湯で清め、香袋の中の鉱物粉と膠を混ぜ合わせた特製の接着剤を作る。
(この翡翠、内部に不自然な『
弥宝の指先は、ミリ単位の狂いもなく破片同士を噛み合わせていく。
普通の人間なら数時間はかかるであろう複雑なパズルを、彼女はわずか数分で解き明かした。繋ぎ目に極薄の金粉を混ぜた特殊な糊を流し込み、表面を磨き上げる。
「……はい、終わり。乾くまで触らないで。あと三刻もすれば、投げても割れなくなりますよ」
弥宝が玉杯を盆の上に戻すと、周囲から驚嘆の声が漏れた。
そこには、割れる前よりも美しく輝く翡翠の杯が鎮座していた。繋ぎ目は、まるで最初からそうした意匠であったかのように、黄金の稲妻となって杯を彩っている。
「な、なんだ、今の手捌きは……」
官吏が呆然と呟く。
その時、人だかりを割って、一人の男が歩み寄ってきた。
風が凪いだ。
漂ってきたのは、鼻を突くような安物のお香ではない。深みのある、それでいて氷のように冷ややかな、最高級の
(うわ、出た。顔だけは無駄にいい、性格最悪の筆頭候補。……なんだその無駄にまばゆい後光は! こっちは処罰ギリギリ、首の皮一枚だってのに!)
内侍府の長官にして、宮中の不祥事を一手に裁く冷徹なる執政。
「今の修復、見事だった」
蒼彗の声は低く、心地よく響く。だが、その瞳は笑っていない。
彼は弥宝の前に屈むと、彼女の汚れた指先を無造作に掴み、顔に近づけた。
「……っ、ちょっ、何を!?」
「お前の指、膠の匂いが染み付いているな。それも、ただの宮中品ではない」
蒼彗の冷たい指が、弥宝の手のひらをなぞる。
弥宝は全身の毛が逆立つような恐怖を感じた。この男、見た目とは裏腹に、獲物の急所を正確に突いてくる。
「面白いものを見つけた。瑞雲、この娘の名前を控えておけ」
「は、はい。承知いたしました、蒼彗様」
瑞雲が申し訳なさそうに弥宝を見る。弥宝は「助けてくれ」と視線で訴えるが、瑞雲はそっと目を逸らした。
蒼彗は弥宝を解放すると、修復された玉杯を手に取った。
そして、弥宝にだけ聞こえるような微かな声で、密やかに告げる。
「……お前、気づいているな。この杯が、なぜ割れたのか。そして、この『金の継ぎ目』が何を暴き出しているのかを」
弥宝は息を呑んだ。
彼女が修復の際、あえて金の粉を混ぜたのは、翡翠の断面に仕込まれていた「暗殺用の毒」が反応して変色した部分を隠すためだった。だが、この男はそれを見抜いている。
「私は、下働きの宮女です。難しいことは、まったくもって分かりませーん」
弥宝は全力の「明るい愚か者」を演じ、小鈴の腕を掴んで立ち上がった。
「さ、小鈴、行くよ! 洗濯物が山積みなんだから!」
「ひええ、弥宝、待って! 蒼彗様にそんな口の利き方……っ!」
這々の体で宴の席を後にした弥宝。
だが、背中に突き刺さる蒼彗の視線は、熱を帯びていた。
(最悪だ……。平穏な下働き生活が終わるかとおもった。というか、あいつの顔、近くで見ると本当に整いすぎてて腹が立つな! なんなの? 天の贔屓なの!?)
宿舎に戻り、小鈴の「弥宝すごい!」「蒼彗様かっこいい!」という立て板に水の如きお喋りを右から左へ受け流しながら、弥宝は自分の指先を見つめた。
彼女がなぜ、後宮で雑巾を絞っているのか。
なぜ、宮廷表具師さえ持たないような最高級の膠の匂いを知っているのか。
それは、三年前の雪の降る夜。
「国宝を偽造した」という濡れ衣を着せられ、目の前で引き立てられていった父の背中に繋がっている。
(お父さん、私、やっぱり『直す』のが好きみたいだ。……でも、この場所でそれをやるのは、命がいくつあっても足りないよ)
弥宝は、父の形見である小さな
だが、運命はすでに動き出していた。
翌朝、弥宝が掃部司の広場で洗濯物を干していると、瑞雲が、一枚の美しい書簡を持って現れた。
「……弥宝。蒼彗様が、お呼びです」
弥宝は空を見上げた。
雲一つない青空が、なんだか不吉な障子紙のように見えた。
「拒否権は?」
「あるわけないじゃないですか。……諦めてください」
瑞雲の同情に満ちた声が、弥宝の心に冷たく響く。
この蒼彗からの呼び出しが弥宝の平穏な日々の終わりを告げるのだった。
――あとがき
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