一緒にいえる、ということ
午後の授業は経済学と歴史学。
経済学は選択科目であるが、将来商会を支える者としては必須で、アルベルト様も熱心にノートを取り、視線が合う暇もないほどだ。真剣な表情は相変わらずイケメンで、思わず見惚れてしまう。
アルベルト様と並んで、歴史学の講義が行われる教室に入り、中を見渡す。まだ鐘が鳴る少し前で、着席している生徒と席を探している生徒が入り混じっていた。
歴史学は必須科目で、アルベルト様はもちろん、例のメインキャラクター達──聖女や公爵令嬢、王太子たちも受講している。
遠目に見ると、聖女の周りには王太子やその取り巻きたちが着席しているのがわかる。王太子の婚約者は公爵令嬢のはずなのに……やはり関係は複雑そうだ。
(原作だと、こういう時――)
一人で座っている公爵令嬢の隣に、ふらりと現れて何事もない顔で腰を下ろすのが、アルベルトだった。そんなワンシーンを思い出してしまい、私は無意識のうちに公爵令嬢のほうへ視線を向ける。
教室の端、ぽつんと空いた席。背筋を伸ばして前を向くその姿は、気丈に見えて――やっぱり、少しだけ胸がざわついた。
……大丈夫だろうか。
そんな気持ちと同時に、ほんの少しだけ、ちくりとした感情が胸をよぎる。
私はそっと、隣に座るアルベルト様の裾を引いた。
「……アルベルト様」
何も言わず、視線だけで公爵令嬢の方を示すと、アルベルト様はすぐに察したように小さく頷いた。
私たちは、公爵令嬢の隣ではないが、数席離れた場所に腰を下ろす。
すると、不思議なことに。他の生徒も数名、隣ではないものの、一人、また一人と公爵令嬢の近くへと座っていった。
アルベルト様は前を向いたまま、声を落として囁く。
「大丈夫だよ。彼女には……彼女を想って動く人間が、ちゃんといるだろう?」
ほどなくして、教室の扉が開く。遅れて、誰かが入ってきた。
その姿を見て、公爵令嬢が、ほんのわずかに顔を上げる。
(……来た)
原作で、彼女の隣に立つはずの人。
彼女の物語の、ヒーロー。
アルベルト様は何も言わず、席を立つこともない。ただ静かに、歴史書へと視線を落としたままだった。
その横顔を見つめながら、私は思う。アルベルト様は、今、何を思っているのだろう。原作の彼と、現実の彼。休暇前までは、確かに――密かに、公爵令嬢を想っていたはずなのに。
……と思ったが、勝手にいろいろ考えて人の気持ちを決めつけ、すれ違ってしまう――そんな展開は避けたい。
私たちは多分、共通の秘密を抱えた者同士なのだから。ちゃんと言葉にして伝えたほうが、きっとうまくいく。
今日の放課後にも、また一緒に過ごす時間がある。そのときに話そう、と私は静かに胸の中で決意した。
――と思ったものの。
放課後、約束どおりケーキ屋へ向かう道すがら。いざ話そうとすると、どう切り出せばいいのか分からなくなってしまった。
頭の中では何度もシミュレーションしているのに、口を開こうとするたび、言葉が喉につかえて出てこない。
(「公爵令嬢のこと、今はどう思っているんですか?」)
それでいいはずだ。聞きたいことも、聞くべきことも、それだけなのに。
……でも、やっぱり、聞きづらい。
隣を歩くアルベルト様は、いつもどおり穏やかな表情で、ケーキ屋の話なんかを楽しそうにしている。その横顔を見ていると、わざわざ波風を立てるような質問をしていいのか、不安になってしまう。
私は一度、深く息を吸った。
言葉にしないと、伝わらない。でも、言葉にするのは、こんなにも勇気がいる。
「……で、君は何を悩んでいるんだい?」
楽しそうに話していたアルベルト様が、困ったように、けれどどこか心配そうに微笑みかけてくる。
「いや、何か言いたそうにしているな、とは思っていたが……切り出しにくそうだったからな。案ずるな。きっと僕たちは、色々と考え込むよりも、話し合った方がうまくいくと思うぞ」
そう言って、アルベルト様は私の頭をぽんぽん、と軽く叩いた。
――私と同じことを考えてくれていた。考え込むよりも、言葉にした方がうまくいく、ということを。
その事実が、胸の奥にじんわりと広がって、とても嬉しかった。
「……アルベルト様、ありがとうございます。少し、お聞きしたいことがあるんです。ケーキを食べながらでも、よろしいですか?」
私がそう言うと、アルベルト様はにっこりと微笑んだ。
「うむ!ほら、甘い香りがただよってきたぞ」
かわいらしい外観の店舗。放課後のケーキ屋は程よく賑わっていて、店内には焼き菓子と砂糖の甘い香りが満ちている。ショーケースの中には、色とりどりのケーキが宝石みたいに並んでいて、思わず目を奪われた。
「ふむ……どれも美味しそうだな」
「迷いますね……」
二人で顔を寄せるようにして、真剣な顔でショーケースを覗き込む。しばらく悩んだ末、アルベルト様はチョコレートケーキ、私はフルーツがたっぷり乗ったカスタードタルトを選んだ。
運よく端の席が空いていて、そこに腰を下ろす。ここなら、声を潜めたらあの世界のことや原作のことなど話しても周りの人に聞こえる心配はないだろう。
ほどなくして、紅茶と一緒にケーキが運ばれてきた。
甘い香りに誘われて、私はいつもの癖で、つい胸の前で小さく手を合わせかけて――
(……あ、いけない。ここは……)
この世界では、食事の前にこんな動作はしない。慌てて手を下ろそうとしたとき、視界の端で、アルベルト様も全く同じように手を動かしかけているのが見えた。
一瞬、視線が合う。
そして、お互いに「あ、そっか」と気づいたように、どちらからともなくくすっと笑い出した。
「今、同じことしていましたね」
わたしがそういうと、アルベルト様も笑いながら頷いた。
「うむ。つい癖でやってしまいそうになるのだが、ここではそんなことはしないからな……いつも慌てて隠してしまうのだよ。……でも、今はそんなこと気にする必要ないな」
アルベルト様はどこか晴れやかな表情で言った。
「そうですね、この世界で一緒に、こうやってできる方と出会えるだなんて思っていませんでした」
そういう時二人で顔を見合わせて、今度は周りの目を気にせずに
「いただきます」
同時に発した声は、驚くほどぴったりと重なった。まるで一つの声が響いたかのように、私たちは同時に手を合わせ、そして笑い合った。
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