【完結】モブ平民の婚約者は当て馬令息

いづい そうこ

平穏な転生――のはずだった

「……某通信教育教材で見たやつだ……!」


 目を覚ました瞬間、私は理解した。

 ここが物語の世界であることを。

 

 前世の私は、仕事に勤しむ三十代だった記憶がある。死んだ時の記憶はないが、青春時代もそれなりに楽しんだし、家族仲も友達もそれなりに良好だった、本当に普通の人だった。


 私はフェリシア・ヒルント。ヒルント大商会の長女だ。


 国名はルミジア聖王国。古くから聖女伝説が語り継がれる国で、王都には学園がある。


 王太子。

 その婚約者である公爵令嬢。

 そして、平民出身の聖女様。


 ここは私の前世で流行った物語、『聖と闇の断罪』――通称『聖闇』の世界だ。


 平民出身の聖女が王宮に迎え入れられ、王太子やその取り巻きたちを次々と虜にしていく。

 そして物語の終盤。

 悪役令嬢――すなわち王太子の婚約者である公爵令嬢は、聖女に危害を加えたとして断罪される。……はずだった。だが実際にはざまぁされるのは、聖女側だ。公爵令嬢がすべてをひっくり返す物語だ。


 ……それにしても、『聖闇』は原作小説も読んだし、アニメも全部追ってたし、結構詳しいと思っていたけれど――。


「フェリシア・ヒルント、なんて登場人物にいなかった気がするな……」


 鏡の前で、そう呟く。映っているのは、淡い栗色の髪に、ヘーゼルの瞳をしたいつもどおりの私だ。

 なんならファンブックまで持っていたほどだ。フェリシア、フェリシア……うーん、やはり記憶にない。つまり私は――


「モブ……!」


 攻略対象はみんな貴族か王族だし、ヒロインは公爵令嬢。平民の商家の娘なんて、名前すら出てこないモブに決まってる!


「よかったぁ……!」


 思わず安堵のため息が漏れた。メインキャラクターに転生してたら、断罪回避だのざまぁだの色々と頑張らなければならない。でも私は安心安全な、ただのモブ!

 そうと決まれば、前世の記憶も思い出したことだし今世を思いっきり楽しむだけだ!と意気込んだ。

 

 そう考えていると、私のお腹から「ぐぅ」と小さな音が鳴った。いろいろ考え込むのは後にしよう。そう思い、自室を出て食堂へ向かう。


 この屋敷で十六年間暮らしてきたけれど、今さらながらとても大きな屋敷だと思う。さすが大商会の本邸というだけはある。前世の記憶を思い出したからだろうか、少し前までは気にも留めなかった壁や扉の装飾、豪華なカーテン、廊下に敷かれた絨毯――その一つ一つが、妙に新鮮で、見ているだけで楽しい。

 そんなことを考えながら食堂の扉を開けると、既にお父様とお母様が席に着いていた。

 

「おはようございます! お父様、お母様」


「おはよう、フェリシア」


 ふくよかな体を揺らしながら、お父様がにこりと笑う。その笑顔はとても優しそうで――まぁ、実際とても優しい。けれど、一代でヒルント大商会を築き上げた人物だ。ただ穏やかなだけではなく、相当のやり手である。


「おはよう、フェリシア。今日も元気そうね」


 お母様は、いつもの華やかな笑みを浮かべてふわりと微笑んだ。


 席に着くと、次々と朝食が運ばれてくる。焼きたてのパン、香ばしいベーコン、色とりどりの野菜と卵料理。湯気の立つ野菜たっぷりのスープからは、食欲をそそる香りが漂っていた。


(……おいしそう)


 思わず喉が鳴るのをこらえながら、手を合わせる。


「いただきます」


 パンを一口かじると、外はさくりと、中はふんわり。噛むたびに、バターの香りが口いっぱいに広がる。


(しあわせ……)


 前世では、朝食をゆっくり味わう余裕なんてなかった。大抵は簡単なもので済ませて、慌ただしく家を出ていた記憶がある。

 だからこそ、こうして落ち着いて食卓を囲めることが、胸に沁みた。


(この食事を作ってくれた料理人さんにも、お父様とお母様にも……ちゃんと感謝しなきゃ)


(親孝行、するぞー!)


 前世の記憶は途切れ途切れだけれど、両親に愛情いっぱいに育ててもらったことだけは、はっきり覚えている。正直に言えば、少しだけ寂しい気持ちがないわけじゃない。

 けれど――幼少期から積み重なったこの世界での記憶が、今の私を形作っているのも、また事実だった。

 私はもう、フェリシア・ヒルントとして、この世界に生きているのだ。


次はスープに手を伸ばそうとした、その時だった。


「そういえば、フェリシア」


 お父様が、何気ない調子で口を開く。


「今日はアルベルト君が来るんだったかな」


 ――アルベルト。アルベルト……アルベルト!?

 その名前を聞いた瞬間、ぴたりと手が止まった。


(あ)


 ――アルベルト・レイブン。

 

 彼はレイブン子爵家の三男。

 レイブン家は、かつてお父様が、ヒルント大商会を立ち上げたばかりの不安定な時期に、窮地に陥った我が家を助けてくださった恩義がある。そのため、現在経済的に困窮しているレイブン家を、今度は我が家が金銭的な支援を行っており、その繋がりの中で、貴族の血筋を欲する私たちと、家の安定を願うレイブン家が双方納得して決まった、私の――婚約者だ。


 彼は『聖闇』では、いわゆる当て馬キャラだ。

 糸目で飄々とした態度、芝居がかった口調。

 それでいて、公爵令嬢が困っている時にだけ、ふらりと現れて助ける。

 最後は身分差もあり、彼女の幸せを思って静かに身を引く。そんな報われなさも含めて、読者人気はとても高かった。

 

(アルベルトといえば、あのシーン!)

 

 教室で孤立した公爵令嬢の隣にふらりと現れて、何も言わずに座り、いつも通り話しかけるシーンも好きすぎるし――


(あの時のアルベルトの目線! 公爵令嬢には見えないところで、いつもは穏やかな糸目が周りに鋭い視線を向けるところ最高!)


 コートに悪戯されてダメになってしまい、寒さに震える彼女に自分のマントをさらっとかけるシーンも最高すぎるし――


(「……これで我慢してくれたまえ」て言って、手をひらりと振って去っていくの最高すぎる)


 言葉も行動も軽やかで、さりげない優しさが溢れていて、読んでいるだけで胸がきゅんとしたものだ。でも、最後は結ばれないんだよね……さすが当て馬……。


 しかし、そんな当て馬……じゃなかった、アルベルト様に婚約者なんていたかな?彼は公爵令嬢のことを密かに想っていたはずだし……うーん、わからない。まぁ、ここはもしかしたら完全に物語の世界ではないのかもしれないし、考えてもわからないことを深く考えても仕方ないだろう。


「え、ええ。お父様。今日はアルベルト様に、私から商会の簡易な会計の仕組みを教授させていただく予定です。その後、少しお茶会の時間をいただくことになっています」


(休日にもお勉強だなんて、アルベルト様も大変だな……)


 ヒルント家に婿入りし、いずれ後を継ぐという将来のことを考えれば、商会との関係や金銭感覚を学んでおくに越したことはない。そういう意味では、理にかなった予定ではあるのだけれど。


(まだ若いのに……。お茶会ではたくさん美味しいお菓子準備しておきましょう)


 そんなことを考えながら、再びスープに口をつけた。

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