第36話 聖女の降臨
光の柱が消えた後に残ったのは、あまりにも場違いな静寂だった。
俺はブラインドの隙間から、その光景を瞬きもせずに見つめていた。
赤いマグマの大地に、数人の銀色の影が転がっている。
動かない。
転移してきた直後は立っていた騎士たちが、まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちていた。
「……やっぱりか」
俺は唇を噛んだ。
ここは99階層だ。
空気そのものが猛毒。吸えば肺が焼け、肌は爛れる。
俺は『絶対安全圏』の中にいるから忘れがちだが、外は人間が生きていられる環境じゃない。
「店長様……あの人たち、死んでしまいます!」
リリが俺の服の裾を握りしめ、青ざめた顔で訴える。
分かっている。
助けに行かなきゃマズい。だが、ここから転移ポイントまでは50メートル以上ある。
俺が結界を広げながら迎えに行く間に、彼らの命が持つかどうか。
「行くぞ。リリは待機だ」
俺が勝手口のサンダルを履こうとした、その時だった。
「……あ」
リリが小さな声を上げた。
外の景色が動いた。
全滅したと思われた集団の中で、たった一人だけ、立っている者がいた。
中心にいた、小柄な人影だ。
純白のローブ。
風になびく金色の髪。
手には身の丈ほどの杖。
少女だ。
年齢はリリと同じくらいか、もう少し下に見える。
彼女の体からは、蛍のような淡い光が溢れ出し、周囲の赤い瘴気をジジジッと音を立てて弾いていた。
「……結界、か?」
俺のスキルとは違う。
あれは空間を遮断しているのではなく、彼女自身の魔力で、外圧をねじ伏せているように見えた。
少女は倒れた騎士たちを見下ろし、悲痛な顔で何かを唱えた。
杖を振るう。
騎士たちの周囲に、ドーム状の光の膜が張られる。
簡易的な防護結界だろう。
これで即死は免れるはずだ。
「よし、今のうちにこっちへ呼ぶぞ」
俺はドアを開けようとした。
だが、少女の行動は俺の予想を裏切った。
彼女は倒れた仲間をその場に残し、たった一人で歩き出したのだ。
行き先は、ここ。
俺の店だ。
「……来る気か?」
当然の判断だ。
この地獄のような階層で、唯一明かりが灯り、建物の形をしている場所。
遭難者なら、藁にもすがる思いで助けを求めてくるはずだ。
だが、彼女の足取りには、助けを求める弱々しさがなかった。
迷いがない。
一歩踏み出すたびに、地面から湧き出す「黒い泥」が彼女の足元に絡みつこうとする。
『シャァァァ……!』
泥が鎌首をもたげ、彼女を飲み込もうとする。
危ない。
「伏せろッ!」
俺が叫ぼうとした瞬間。
カッ!!
少女の体から、閃光が放たれた。
物理的な衝撃ではない。
純粋な「浄化」の光だ。
光に触れた泥が、ジュワッと音を立てて蒸発し、白い煙となって消滅していく。
「……すげぇ」
俺は唖然とした。
あの厄介な泥を、歩くだけで消し飛ばしている。
相当な使い手だ。
魔法使いか? 僧侶か?
少女は止まらない。
泥を焼き払い、瘴気を弾き、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
その瞳が、はっきりと見えた。
青い。
氷河のように冷たく、透き通った青色。
その瞳が、俺の店を――いや、窓際に立つ俺を、射抜いていた。
「……店長様」
リリが震える声で言った。
彼女は獣のように耳を伏せ、怯えている。
「あの人……怖いです」
「怖い? あんなに綺麗なのにか?」
「違います。空気が……痛いです。あの光は、自然と共に生きるものではありません。……無理やり、世界を『白』に塗り替える力です」
エルフの感性か。
確かに、彼女の纏う光は神々しいが、どこか排他的な鋭さを感じさせる。
少女が、結界の境界線――店の前5メートルの位置まで到達した。
そこで初めて、彼女は足を止めた。
俺の『絶対安全圏』と、彼女の『光のオーラ』が接触する。
バチバチッ!
空気が軋む音がした。
結界同士が干渉しているのか。
俺は意を決して、ドアを開けた。
ここまで来たなら、客として迎えるのが流儀だ。
それに、後ろで寝込んでいるクロのためにも、あの泥を消せる力について話を聞きたい。
「ようこそ、深層食堂へ」
俺は努めて穏やかな声を出した。
エプロン姿で、武器を持っていないことをアピールする。
「お連れさんが大変みたいだな。……とりあえず中へ入って、水を一杯どうだ?」
俺は手を差し伸べた。
だが、少女はその手を取らなかった。
彼女は杖を構え、その切っ先を俺の鼻先に突きつけた。
「……見つけました」
鈴を転がすような、美しい声だった。
だが、その声色は絶対零度のように冷たかった。
「この邪悪な気配。……世界を蝕む病巣」
「はい?」
「貴方ですね? この不浄なる祭壇の主は」
少女は俺の店を――手作り感満載のプレハブ小屋と、『定食』と書かれた赤提灯を指差した。
祭壇?
これが?
ただの飯屋だぞ。
「いや、人違いだろ。俺はただの料理人で……」
「黙りなさい、魔王の眷属よ」
少女は聞く耳を持たなかった。
その青い瞳には、燃えるような使命感と、一切の疑いを挟まない盲目的な正義が宿っていた。
「私は聖教会、『白の聖女』セレスティア」
彼女は高らかに名乗った。
「神の神託により、この地を浄化しに来ました。……大人しく滅びなさい、世界の敵よ」
「……はぁ?」
俺は口をぽかんと開けた。
聖女?
浄化?
世界の敵?
情報量が多すぎる。
だが、一つだけ分かったことがある。
この子は、腹を空かせて来店したわけじゃない。
俺の店を、物理的に(あるいは魔法的に)消し飛ばしに来た、過去最大級のクレーマーだということだ。
「リリ、防御態勢だ! エリザを起こせ!」
俺は叫び、反射的に身構えた。
少女の杖の先端に、太陽のような光が収束していくのが見えたからだ。
問答無用かよ。
最近の聖職者は、説教の前に極大魔法をぶっ放すのがトレンドなのか?
「邪悪よ、消えなさい――『聖なる光(ホーリー・レイ)』ッ!!」
閃光が炸裂した。
俺の視界が白一色に染まる。
ようこそ、地獄の底へ。
どうやら今日のディナーは、随分と騒がしくなりそうだ。
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