第28話 降伏勧告

眼前に迫った黒い鉄塊の圧力は、ガラス一枚隔てた俺の肌すら粟立たせるほど冷たかった。


50人。

数だけで言えば、この店の定員を遥かに超えている。

彼らは整然と列を組み、無言のままプレハブ店舗を取り囲んでいた。

先頭に立つ男が、一歩前に出る。

巨大なタワーシールドを地面に突き立てる音が、岩盤を揺らした。


ズンッ。


重い。

ただの金属音じゃない。

俺の心臓を直接叩くような、暴力的な響きだ。


俺はエプロンのポケットの中で、湿った掌を握りしめた。

震えを止めるためじゃない。

ここが俺の職場であり、俺がこの場の責任者だと、布の感触で確かめるためだ。


「……店主」


背後から、エリザの低い声がした。

彼女はカウンターから動かず、しかし剣の柄に手をかけたまま、背中で俺を守る態勢を取っている。


「あの先頭の男。……ガストンだ」


「知り合いか?」


「ああ。昔、戦場で何度か顔を合わせた。……堅物だが、腕は立つ。そして、命令には絶対服従する男だ」


エリザの声には、微かな苦渋が混じっていた。

かつての戦友が、今は敵として銃口を向けてきている。

その事実は、彼女にとっても軽いものではないはずだ。


「そうか。……なら、話が通じる相手だといいんだが」


俺は希望的観測を口にしたが、腹の底では分かっていた。

彼らの目は、話し合いに来た人間のそれではない。

害虫を駆除しに来た、無機質な掃除人の目だ。


先頭の男――ガストンが、兜のバイザーを上げた。

彫りの深い、巌のような顔が現れる。

白髪交じりの短髪。

無数の古傷。

歴戦の戦士だけが持つ、重厚な威圧感。


彼は懐から杖のような魔道具を取り出し、喉元に当てた。


『警告する』


増幅された声が、大気を震わせた。

換気扇の音も、遠くのドラゴンの咆哮も、すべてを塗り潰すような大音量だ。


『我々は王都ギルド直属、黒鉄騎士団である。……貴殿らは、ダンジョンの管理規定に違反する不正居住者と認定された』


不正居住者。

随分な言い草だ。

俺は好きでここに住んでいるわけじゃない。

お前らの上司に、無理やりここに捨てられたんだぞ。


『直ちに建物から退去し、武装を解除して投降せよ。……さもなくば、武力による強制排除を行う』


ガストンの声には、感情の色がなかった。

ただ事務的に、処刑の手順を読み上げているだけだ。

その横で、あの偵察者の男『梟』が、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべてこちらを見ているのが見えた。

あいつが手引きしたのか。


俺は深呼吸をした。

肺に溜まった冷たい空気を吐き出し、代わりに腹に力を込める。


俺はドアノブに手をかけた。

冷たい金属の感触。

これを開ければ、俺と彼らの間を遮るものはなくなる。


「店長様……!」


リリが悲鳴のような声を上げた。

俺は振り返らず、背中越しに片手を上げて制した。


「大丈夫だ。……客の相手をしててくれ」


俺はゆっくりと、引き戸を開けた。


カラカラカラ……。


乾いた音が響く。

熱風が吹き込む。

硫黄の臭いと、鉄と油の臭いが混ざり合った、戦場の空気が流れ込んでくる。


俺は一歩だけ前に出た。

結界の縁ギリギリだ。


「……いらっしゃいませ」


俺の声は、ガストンの拡声魔法に比べれば蚊の鳴くようなものだったろう。

だが、静まり返った空間には、はっきりと響いた。


「食事ですか? それともテイクアウトですか?」


俺はあくまで「店主」として振る舞った。

ここで「被害者」の顔をして命乞いをするつもりはない。

俺は商売をしている。

それを邪魔する権利は、誰にもないはずだ。


ガストンの眉が、ピクリと動いた。

彼は俺のエプロン姿と、手に持ったレードル(武器ではない)を見て、呆れたように目を細めた。


『……ふざけているのか』


「大真面目ですよ。ここは定食屋です。腹を空かせた客なら歓迎しますが、暴れる客はお断りしています」


俺は彼らの背後に広がる騎士団を指差した。


「大人数でのご来店は構いませんが、予約は入れてもらわないと困ります。……それに、その格好じゃ席につけませんよ。他のお客様の迷惑になります」


『……貴様』


ガストンのこめかみに青筋が浮かんだ。

彼は魔道具を握りしめ、一歩踏み出した。


『状況を理解していないようだな。……これは交渉ではない。命令だ』


「命令?」


俺は鼻で笑った。

かつてギルドで、理不尽な命令に従い続け、最後はここに捨てられた記憶が蘇る。

あの時の無力感。

悔しさ。

それが今、熱い怒りとなって喉元までせり上がってくる。


「あんたらの上司に伝えてくれ。……俺はもう、ギルドの人間じゃない」


俺はガストンを睨みつけた。


「俺はここの店主だ。俺の城で、俺に命令できるのは、腹を空かせた客だけだ」


静寂が落ちた。

騎士たちの間に、動揺が走るのが気配で分かった。

丸腰の料理人が、重武装の騎士団長に対して啖呵を切ったのだ。

常識で考えれば、自殺行為以外の何物でもない。


ガストンは数秒間、俺を凝視していた。

その瞳の奥に、僅かな躊躇いが見えた気がした。

彼は知っているのかもしれない。

この襲撃が正義ではなく、上層部の保身のための汚れ仕事だということを。


だが、彼は騎士だった。

組織の歯車として生きることを選んだ男だった。


ガストンはゆっくりと右手を上げた。

それが合図だった。


ジャキッ!!


50人の騎士が一斉に武器を構える音がした。

後列の魔術師たちが杖を掲げる。

詠唱の声が重なり合い、大気中のマナがビリビリと振動し始める。


『……残念だ』


ガストンは低く呟き、無情に手を振り下ろした。


『全軍、攻撃開始。……建物ごと焼き払え』


俺は反射的に身を引いた。

引き戸を蹴り閉める暇すらなかった。


ヒュンッ!

ドォンッ!!


視界が閃光で埋め尽くされた。

炎の球。

氷の槍。

雷撃。

そして、無数の矢。


それらが暴力的な奔流となって、俺の店――この小さなプレハブ小屋へと殺到した。


「店長!!」


リリの絶叫が聞こえる。

俺は目をつぶらなかった。

ただ、目の前に迫る破壊の光を見据えた。


見せてやる。

俺の『絶対安全圏』が、お前らの暴力よりも遥かに理不尽で、頑丈なものであることを。


衝撃が、世界を揺らした。

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