第25話 招かれざる客の報告書

王都、冒険者ギルド本部。

その地下深くに、一般の職員さえ立ち入りを禁じられた区画がある。


私は音もなく廊下を歩いていた。

足音は消している。

気配も消している。

廊下を行き交う警備兵たちは、私の横を通り過ぎても気づかない。

私は影だ。

誰の目にも映らず、ただ任務を遂行するだけの装置だ。


最奥の扉の前で立ち止まる。

重厚な樫の扉。

中から、神経質なペン先の音が聞こえてくる。


私はノックもせずに扉を開けた。

鍵はかかっていたはずだが、そんなものは障害にならない。


「……誰だ」


執務机に座っていた男が顔を上げた。

ギルド支部長、ゲルハルト。

肥満気味の体を高価なスーツに包み、脂ぎった顔に不機嫌を張り付かせている。


「報告に戻りました」


私が姿を現すと、ゲルハルトは大きく息を吐き、ペンを投げ出した。


「『梟』か。……ノックくらいしろと言ったはずだぞ」


「急を要する案件ですので」


私は机の前に進み出た。

懐から、記録用の魔石を取り出す。

薄く青い光を放つ石だ。

ここには、地下99階層で私が目撃した全ての情報が焼き付いている。


「ターゲットの確認は済んだか?」


ゲルハルトが身を乗り出した。

その目には、隠しきれない焦燥の色がある。


「はい。……トオルは生存しています」


「チッ……やはりか」


ゲルハルトが舌打ちをした。

貧乏揺すりが始まる。


「あの『掃除屋』が失敗した時点で予感はしていたが……。しぶといネズミめ。やはり、転移のショックで死ななかったか」


「いえ、状況はもっと複雑です」


私は魔石を机の上に置いた。

魔力を流す。

空中にホログラムのような映像が投影される。


赤く煮えたぎるマグマの海。

その中にぽつんと建つ、異質なプレハブ小屋。

『深層食堂』と書かれた看板。

そして、ガラス戸の奥で談笑する人々の姿。


「な、なんだこれは……」


ゲルハルトが目を剥いた。


「店……だと? 99階層に?」


「はい。ターゲットは現地で飲食店を経営しています。客層は主に深層に挑む高ランク冒険者たち。……繁盛しているようです」


「ふざけるなッ!」


ダンッ!

ゲルハルトが拳で机を叩いた。


「処刑場だぞ! あそこは人間が生きていられる場所ではない! なぜ平然と商売などしている!」


「結界です」


私は淡々と事実を告げた。


「ターゲットは半径5メートルほどの特殊な結界を展開しています。解析の結果、その強度は測定不能。……物理干渉、魔力干渉、環境ダメージ、全てを完全に遮断しています」


「測定不能……?」


「はい。既存の結界術の理論には当てはまりません。強いて言うなら……『空間の理そのものを書き換えている』に近いかと」


ゲルハルトの顔色が変わった。

怒りから、恐怖へ。


「馬鹿な……。あいつはただのFランク結界師だったはずだ。そんなデタラメな力が……」


「さらに、厄介な要素があります」


私は映像を切り替えた。

カウンターの端で、山盛りのサラダを食べている銀髪の女騎士。


「『剣姫』エリザ。……S級冒険者が、店内に常駐しています」


「な……ッ!?」


ゲルハルトが椅子から転げ落ちそうになった。


「エリザだと!? なぜあのアマがそこにいる!」


「常連客として取り込まれています。……店主との関係は良好。襲撃者が現れた際、彼女が即座に迎撃した痕跡もありました」


「クソッ……クソッ、クソッ!」


ゲルハルトは頭を抱え、髪をかきむしった。


「最悪だ……。S級がバックについているだと? そんなものが地上に戻ってみろ。俺がトオルを不当に追放したことが露見すれば……ギルドの信用は地に落ちる! 俺の首も飛ぶぞ!」


保身。

この男の頭にはそれしかない。

だが、その小者ゆえの臆病さが、今は事態を加速させている。


「支部長。……放置すれば、店はさらに拡大し、協力者も増えるでしょう。既に地上の冒険者の間では、あの店を擁護する声が上がり始めています」


私は冷徹に指摘した。

店内で聞いた冒険者たちの会話。

『調査隊が来たら追い返してやる』という言葉。

あれは脅しではない。

彼らは本気で、あの店を守る兵隊となりつつある。


「……潰す」


ゲルハルトが呻いた。

脂汗が机に滴り落ちる。


「今すぐに潰さねばならん。……これ以上、あの異物を肥大化させるわけにはいかんのだ!」


彼は引き出しを開け、一枚の書類を取り出した。

赤い封蝋がされた命令書だ。


「『梟』。……『黒鉄騎士団(アイアン・ナイツ)』を動かせ」


「……よろしいのですか? あれはギルドの非公式武力です。動かせば、王宮にも感づかれるリスクがありますが」


「構わん! トオルが生きて戻るリスクに比べればマシだ!」


ゲルハルトの目は血走っていた。


「S級がいようが関係ない。数で押し潰せ。店ごと焼き払え。……目撃者は全員始末しても構わん。事故死として処理する」


狂っている。

だが、それがクライアントの命令だ。

私は感情を持たない。

善悪も判断しない。

ただ、与えられた仕事をこなすのみ。


「承知いたしました」


私は命令書を受け取った。


「騎士団、総員50名。……明朝には編成を完了し、99階層へ降下します」


「ああ、頼むぞ。……失敗は許さん。必ずトオルの首を持ってこい」


ゲルハルトは震える手でハンカチを取り出し、額の汗を拭った。


私は一礼し、踵を返した。

扉へ向かう。

背後から、ゲルハルトが酒瓶を開ける音が聞こえた。


廊下に出る。

冷たい空気が肌を撫でる。


50名の重装騎士団。

対するは、プレハブ小屋一軒と、店主一人、剣士一人、エルフ一人、猫一匹。

戦力差は歴然だ。

通常の計算なら、勝負にすらならない。


だが。


私は懐に入れた魔石の感触を確かめた。


あの店で感じた違和感。

私の殺気に動じなかった店主。

そして、あの黒猫の瞳。


ただの猫ではない。

あの目は、私を「敵」として見てすらいなかった。

道端の石ころを見るような、絶対的な強者の目。


(……一筋縄ではいかないか)


私は無意識に、腰の短剣に触れていた。


任務は遂行する。

だが、あの店には何かがある。

私の長年の勘が、警鐘を鳴らしていた。


「……面白い」


呟きは誰にも聞かれることなく、闇に溶けた。

私は影となり、ギルドの地下深くへと消えていった。


嵐が来る。

あの平和な定食屋を飲み込む、巨大な悪意の嵐が。

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