第24話 忍び寄る影

「いらっしゃいませ! 2名様、テーブル席へどうぞ!」


リリの声が弾む。

ランチタイムの『深層食堂』は、今日も戦場だった。


「大将! こっちに水くれ!」

「日替わり定食、あと二つ追加な!」


客の入りが凄い。

当初は命知らずのトップランカーだけが来る「隠れ家」だったが、最近はどうも様子が違う。

装備の質が少し落ちる、中堅クラスの冒険者も混じり始めているのだ。


噂が広まりすぎたらしい。

「あそこに行けば安全に飯が食える」「エルフの美少女がいる」なんて話が、地上の酒場で拡散されているのだろう。

商売繁盛は嬉しいが、こうも不特定多数が来ると、治安維持が心配になってくる。


「へい、日替わりお待ち!」


俺はハンバーグの皿を出した。

デミグラスソースの香りが広がる。

客が嬉しそうにフォークを突き刺す。


平和だ。

誰も暴れたりはしない。

ここが『安全地帯』であり、守護者(エリザ)がいることをみんな知っているからだ。


だが。


カラン、コロン。


ドアベルが鳴った。

俺は反射的に入り口を見た。


「いらっしゃい……ませ」


挨拶が、一瞬遅れた。


入ってきたのは、一人の男だった。

地味な茶色の革鎧。

目深にフードを被り、顔が見えにくい。

体格は普通。

冒険者としては、どこにでもいそうな風貌だ。


でも、違和感があった。


装備がちぐはぐなのだ。

着ている鎧は使い古された安物に見える。

なのに、腰に差した短剣の柄だけが、異様なほど綺麗に手入れされている。

まるで、そこだけが新品のように黒光りしている。


そして、足音がない。

店内の喧騒にかき消されているわけじゃない。

俺の『絶対安全圏』内では、床を踏む振動すら俺の感覚に伝わるはずだ。

なのに、男が歩く振動が希薄だ。

幽霊みたいに、気配を殺して歩いている。


男は空いていたカウンターの端、一番奥の席に無言で座った。


「ご注文はお決まりですか?」


リリがお冷を持っていく。

彼女の笑顔が、少しだけ引きつっているように見えた。

エルフの勘が何かを感じ取ったのかもしれない。


「……水でいい」


男は低い声で言った。


「えっ? お食事は……」


「水だ。……後で頼む」


男はそれきり口を閉ざした。

リリは困った顔で俺を見た。

俺は小さく頷いてやる。

まあ、腹が減ってないなら無理強いはできない。


俺は厨房から男を観察した。

男はコップに口をつけるふりをして、視線を巡らせていた。

メニュー札。

厨房の設備。

換気扇の位置。

そして、店の奥にあるリリの部屋へ続くドア。


値踏みしている。

飯屋に来て、飯を見ずに建物の構造ばかり見ている客なんて普通じゃない。


「……チッ」


舌打ちが聞こえた。

俺のすぐ近く、カウンター席のエリザだ。

彼女は食べていたハンバーグの手を止め、男を睨みつけていた。


「エリザ?」


「……気に食わん」


彼女は小声で言った。

フォークを持つ手に力が入り、柄がミシミシと音を立てている。


「あの歩き方。……『裏』の連中だ」


「裏?」


「暗殺、諜報、工作。……正規の冒険者ではない。訓練された犬の臭いがする」


エリザの目が座っている。

S級の彼女が言うなら間違いない。

こいつ、ただの客じゃない。

以前来た襲撃者と同じ、ギルドの手先か?


足元で、クロも起き上がっていた。

いつもなら昼寝をしている時間だ。

なのに、今は座布団の上で伏せの姿勢を取り、金色の瞳を細めて男を凝視している。

喉の奥で、低く唸っているのが聞こえる。


店内の空気が、そこだけ冷え込んでいた。

他の客たちは気づいていない。

楽しく談笑し、飯を食っている。


男は視線に気づいているはずだ。

エリザとクロ、二つの強烈な殺気を受けている。

普通ならビビって逃げ出すか、武器に手をかける場面だ。


だが、男は動じなかった。

ただ淡々と、店内を見回し続けている。

まるで、感情のない録画装置のようだ。


「……お客様」


俺は意を決して声をかけた。

包丁を置き、カウンター越しに男の前に立つ。


「水だけだと、席料を頂くことになりますが」


これは警告だ。

食わないなら出ていけ。

ここは飯屋だ。


男はゆっくりと顔を上げた。

フードの下から、無機質な瞳が俺を捉えた。

特徴のない顔だ。

街ですれ違っても絶対に思い出せないような、徹底的に「平凡」を作られた顔。


「……構わない」


男は懐に手を入れた。

俺は身構えた。

武器か?


チャリン。


置かれたのは、銀貨一枚だった。


「これでいいか?」


「……ええ、十分すぎますね」


水一杯に銀貨。

釣りはいらないと言いたげだ。


男は立ち上がった。

水には一口も口をつけていない。


「ご馳走様」


抑揚のない声で言い捨て、男は出口へと向かった。

その背中に、エリザの鋭い視線が突き刺さる。

男は一度も振り返らず、音もなく引き戸を開け、熱風の中へと消えていった。


パタン。


扉が閉まる。


「……なんだったんだ?」


俺は大きく息を吐いた。

どっと冷や汗が出た。

何もされなかった。

暴れもしないし、文句も言わない。

ただ座って、金だけ払って帰っていった。


なのに、なぜこんなに胸がざわつくんだ?

以前の襲撃者の時のような、明確な殺意を向けられた方がまだマシだ。

あいつは、俺たちを「敵」として見てすらいなかった。

ただの「標的」「データ」として処理されたような、不気味な感覚。


「……店主」


エリザが低い声で呼んだ。


「今の男、ただの偵察だ。……だが、質が良い」


「質が良いって?」


「私の殺気を受けても、呼吸一つ乱さなかった。……相当な手練れだ。あるいは、恐怖を感じないように『調整』されているか」


エリザは残りのハンバーグを口に放り込んだが、味わっている様子ではなかった。


「情報を持ち帰られたな。……店の構造、店員の数、そして私の存在」


「……マズいのか?」


「分からん。だが、次は客として来ないことだけは確かだ」


エリザはフォークを置いた。

カチャン、という音が、やけに響いた。


『……嵐が来るな』


クロがボソリと呟いた。


『あの男、懐に魔道具を持っていたぞ。……この結界の波長を記録していたようだ』


「波長?」


『鍵の型を取られたようなものだ。……あるいは、この結界を破るための解析かもしれん』


俺は背筋が凍った。

『絶対安全圏』は無敵だ。

俺はそう信じている。

だが、もしその仕組みを解析され、中和するような手段があったら?


俺の唯一の武器が封じられる。

そうなれば、ここはただのプレハブ小屋だ。

ドラゴンのブレス一発で消し飛ぶ。


「……上等だ」


俺は震える手を握りしめ、強がった。


「型を取られたくらいで破られるほど、俺のスキルは安くないさ」


自分に言い聞かせる。

大丈夫だ。

ここは俺の城だ。


「リリ、片付け頼む。……夜の仕込みをするぞ」


「は、はいっ!」


リリも不安そうだったが、気丈に返事をして皿を下げ始めた。


俺は厨房に戻った。

包丁を握る。

日常を守るんだ。

どんな敵が来ようと、俺は飯を作り続ける。

それが、俺の戦い方だ。


だが、窓の外を見る俺の目は、いつになく険しかった。

マグマの赤い光が、まるで誰かの監視の目のように、不気味に揺らめいていた。

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