第23話 地下99階層の噂話
「いらっしゃいませ! 空いている席へどうぞ!」
リリの元気な声が響く。
彼女はエプロンの紐をキュッと締め、お冷のピッチャーとメニューを持ってホールを走り回っている。
動きに迷いがない。
最初の頃のオドオドした様子はどこへやら、今では立派な看板娘だ。
「店長様、3番テーブルに唐揚げ定食二つ! カウンターのエリザさんに追加のサラダ大盛りです!」
「はいよ! 唐揚げ揚がってるぞ!」
俺は厨房から揚げたての皿を渡す。
リリはそれを受け取り、クルリとターンして客席へ運ぶ。
その手際は芸術的ですらある。
エルフ特有の身軽さが、狭い店内での接客に最適化されているらしい。
「ほらよ、熱いうちに食え」
「おお、サンキュー嬢ちゃん!」
「ここのサラダは最高だぜ!」
客たちもリリを可愛がっている。
むくつけき冒険者たちの中に、可憐なエルフがいるだけで店の雰囲気が明るくなる。
『深層食堂』は、今日も大繁盛だ。
俺はフライパンを振りながら、店内の光景を眺めた。
クロはカウンターの端、招き猫の定位置で居眠りをしている。
エリザは山盛りのサラダをバリバリと食べている。
平和だ。
地獄の底とは思えないほど、穏やかな日常が回っている。
だが、そんな空気の水面下で、不穏な泡が立ち上り始めていた。
「……なぁ、聞いたか?」
カウンターで食事をしていた二人組の冒険者が、声を潜めて話し始めた。
俺の手元に近い席だ。
換気扇の音に混じって、会話が耳に入ってくる。
「ああ、地上のギルドの話だろ?」
「そうそう。なんでも、支部長がカンカンらしいぜ。『深層に未確認の建造物がある』とか『魔王の拠点の可能性がある』とか言って騒いでるってよ」
俺の手が止まった。
フライパンの中の豚肉がジューッという音を立てる。
魔王の拠点。
ひどい言われようだ。
うちはただの定食屋だぞ。
「馬鹿だよなぁ。ここは俺たちのオアシスだってのに」
「違いない。……でもよ、なんか『調査隊』を組むとかいう噂もあるぜ。S級を含めた大規模なやつをな」
「マジかよ。……ここが潰されたら、俺たち明日から何を食えばいいんだ」
調査隊。
その単語に、俺の背筋が冷えた。
脳裏に蘇るのは、数日前の出来事だ。
店先で襲ってきた暗殺者。
あいつは「異物は排除する」と言っていた。
ギルドは本気だ。
暗殺が失敗したから、今度は正面から力ずくで潰しに来る気か?
「……店主」
低い声がした。
エリザだ。
彼女はフォークを置き、鋭い目で俺を見ていた。
俺が動揺しているのに気づいたらしい。
「手が止まっているぞ。肉が焦げる」
「あ、ああ。悪い」
俺は慌ててフライパンを振った。
なんとか焦げずに済んだが、心臓の鼓動は早いままだ。
「……聞こえていたか?」
エリザが小声で問う。
俺は無言で頷いた。
「気にするな。……ギルドの連中など、口先だけの腰抜けだ」
彼女は冷ややかに言い放った。
「深層まで降りてこられる実力者が、そう何人もいるわけがない。……仮に来たとしても、ここには私がいる」
彼女は自分の剣を親指で弾いた。
カチリ、と硬質な音がする。
「この店の飯を守るためなら、私はギルドごと敵に回しても構わんぞ」
頼もしすぎる。
S級冒険者の言葉には、千人の軍隊より重みがある。
「そうだぜ、大将!」
噂話をしていた冒険者の一人が、身を乗り出した。
「俺たちも味方だ! こんな美味い飯を食わせてくれる店を、みすみす潰させやしねぇよ!」
「おうとも! 調査隊が来たら、俺たちが追い返してやる!」
「ここはこのダンジョンで唯一の『聖域』だ。指一本触れさせねぇ!」
店中の客が口々に叫んだ。
みんな、口の周りにソースやマヨネーズをつけたままだが、その目は真剣そのものだ。
俺は胸が熱くなった。
たった数週間の営業だ。
なのに、こいつらは本気でこの店を守ろうとしてくれている。
俺の料理が、彼らの胃袋だけでなく、心まで掴んでいた証拠だ。
「……ありがとな、みんな」
俺は鼻の奥がツンとするのを堪えて、ニカっと笑った。
「でも、暴力沙汰は勘弁してくれよ。うちは平和な定食屋だからな」
「違いねぇ!」
「ガハハハッ!」
笑い声が広がる。
不安な空気は、一瞬で吹き飛んだ。
そうだ。
ビビってても仕方ない。
俺には最強の用心棒(エリザとクロ)がいる。
そして何より、俺自身に『絶対安全圏』がある。
たとえ軍隊が押し寄せてきても、この店の中にいれば無敵だ。
俺はコンロの火を止めた。
ランチタイムも終わりが近い。
少し早いが、みんなへの感謝を込めて、仕込んでおいた「あれ」を出そう。
「よし、みんな! 今日はサービスだ! 食後のデザートを振る舞うぞ!」
「デザート!?」
「マジか!」
俺は冷蔵庫から、大きなバットを取り出した。
昨日、リリが採ってきた卵と、エリザが持ってきた『ダンジョン・バッファロー』の乳で作った自信作だ。
カスタードプリン。
バケツサイズで作ったそれを、スプーンですくって皿に盛る。
プルプルと揺れる黄金色の塊。
上にはほろ苦いカラメルソースがかかっている。
「ほらよ。甘いもんは別腹だろ?」
俺はカウンターに皿を並べた。
リリも手伝って、テーブル席へ配っていく。
「うおぉぉ……! プリンだ!」
「懐かしい……! ガキの頃以来だ!」
屈強な男たちが、子供のような顔でプリンを見つめている。
スプーンを入れる。
口に運ぶ。
「んん〜ッ!」
至福の声が漏れる。
濃厚な卵のコクと、ミルクの甘み。
そしてカラメルの苦味。
殺伐としたダンジョン生活で、最も遠い場所にある味だ。
「……美味い」
エリザも一口食べて、目を細めた。
「甘いものはあまり好かんが……これは悪くない。口の中で溶ける」
「だろ? 疲れた頭には糖分が必要なんだよ」
俺は自分の分も小皿に取り、一口食べた。
甘い。
不安で強張っていた神経が、ふわりと解けていくようだ。
足元でクロが「ニャァ」と鳴いた。
見下ろすと、尻尾をパタパタ振って催促している。
「はいはい、お前にもやるよ」
俺は小皿を床に置いた。
クロは嬉しそうにプリンを舐め始めた。
店の中は、甘い香りと笑顔で満たされていた。
外ではギルドが何やら画策しているらしいが、今のこの空間には関係ない。
俺たちはただ、美味いものを食って、笑っていればいい。
「ご馳走さん! また来るぜ!」
「調査隊が来たら教えるからな!」
客たちが満足げに帰っていく。
リリが「ありがとうございました!」と頭を下げる。
俺は皿を洗いながら、決意を新たにした。
守る。
絶対に守る。
この場所は、俺にとっても、彼らにとっても、もうなくてはならない「家」なんだ。
もし本当に調査隊とやらが来るなら、歓迎してやろう。
腹一杯食わせて、戦意を喪失させてやる。
それが『深層食堂』の戦い方だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます