第21話 暗殺者撃退と、深夜の焼きおにぎり

「……な、なんだこの障壁はッ!?」


男が悲鳴を上げた。

俺の目の前で、彼は痺れた右腕を押さえて後ずさる。

短剣は地面に転がっていた。

カラン、と乾いた音が響く。


俺は心臓が早鐘を打っていたが、足は動かなかった。

腰が抜けているわけじゃない。

結界の中にいるという絶対的な安心感が、俺をその場に留まらせていた。


「悪いが、うちの店はセキュリティが厳しいんだ。……会員制みたいなもんでな」


俺が軽口を叩いた、その瞬間だった。


ドォンッ!!


爆発音のような踏み込み。

店の入り口から、銀色の弾丸が飛び出した。


「店主から離れろ、下郎ッ!」


エリザだ。

彼女はまだ口元にドレッシングをつけたまま、神速で間合いを詰めていた。

手に武器はない。

素手だ。


「ヒッ……!?」


男が反応する暇もなかった。

エリザの回し蹴りが、男の脇腹に深々と突き刺さる。


グシャッ。


嫌な音がした。

肋骨が数本いく音だ。

男は「カハッ」と空気を吐き出し、そのまま岩盤の上をボールのように転がった。

十メートルほど吹き飛び、ピクリとも動かなくなる。


「……ふん。手加減はしたぞ」


エリザはスカート(防具の下の腰布)を払い、冷徹な目で男を見下ろした。

サラダバーを楽しんでいた時の幸せそうな顔はどこにもない。

完全に『剣姫』の顔だ。


「店長様! ご無事ですか!?」


リリも飛び出してきた。

彼女の手には、なぜか万能ネギの束が握られている。

武器のつもりだろうか。


「ああ、平気だ。俺には指一本触れてない」


俺は地面に落ちた短剣を拾い上げた。

ずっしりと重い。

刀身は黒く塗りつぶされているが、柄の部分に小さな刻印があった。

剣と盾を重ねた意匠。


「……ギルドの紋章か」


見覚えがある。

俺をここへ追放した、あの支部長の机にも飾ってあったマークだ。


「おい、どうしたんだ!?」

「今の音、なんだ!?」


店の中から、客たちがぞろぞろと出てきた。

食事を中断された冒険者たちは殺気立っている。

入り口で男が伸びているのを見て、彼らは一斉に武器に手をかけた。


「敵襲か!?」

「俺たちの楽園を荒らす気か!」


まずい。

このままでは、ただでさえ半死半生の男が、怒れる常連たちにミンチにされてしまう。

それに、「ギルドからの刺客」だなんて話が広まれば、店の評判にも関わる。

ここは穏便に済ませるべきだ。


俺は手を叩いて注目を集めた。


「ああ、すまんみんな! ちょっとしたトラブルだ!」


俺は努めて明るい声を出した。


「こいつ、食い逃げしようとしたんだよ。金がないのにサラダバーを狙いやがってな。……エリザさんにちょっとお灸を据えてもらっただけだ」


「食い逃げ……だと?」


先頭にいた戦士が、呆れたように男を見た。


「命知らずな野郎だ。ここにはS級がいるってのに」

「ったく、飯が不味くなるぜ」

「ほら、戻ろう。唐揚げが冷めるぞ」


冒険者たちは興味を失い、ぞろぞろと店内に戻っていった。

単純で助かる。

彼らにとって、飯の邪魔さえされなければ、外の死体など日常茶飯事なのだろう。


俺はエリザに目配せをした。

彼女は微かに頷き、気絶した男の襟首を掴んだ。

そのままズルズルと店の裏――俺たちの畑がある方へ引きずっていく。


「リリ、お前は店に戻って客の相手をしてくれ。……平常通りだ」


「は、はい! 分かりました!」


リリは不安そうにしながらも、ネギを持ったまま店へ戻った。


俺はエリザの後を追った。

店の裏手。

野菜が異常成長している畑の脇に、男が転がされていた。

クロが畑の縁に座り、冷ややかな目で見下ろしている。


「……目を覚ませ」


エリザが男の頬を張った。

パァン!

容赦ない音。

男が呻き声を上げ、薄目を開けた。


「……ここは……」


「質問に答えろ」


エリザが男の胸ぐらを掴み上げた。


「誰の差し金だ? ギルドか? それとも個人的な恨みか?」


「……ククッ」


男は血の泡を吹きながら笑った。

虚ろな目。

恐怖も、痛みも感じていないように見える。


「想定外だ……。まさか、物理無効の結界とはな……。報告とは違う……」


「報告?」


俺が問い詰めると、男は俺を見た。


「トオル……。お前は、ここで死んでいなければならなかった。……異物は、排除する」


男の奥歯がカチリと鳴った。


「おい、待て!」


エリザが男の顎を掴もうとした。

だが、遅かった。


ボォッ。


男の体から、青白い炎が噴き出した。

熱くない。

魔法の炎だ。

男の体は一瞬にして灰となり、風にさらわれて消えた。

後には、焦げ跡ひとつ残らなかった。


「……自害用の術式か。口封じの手間も省けるというわけだな」


エリザが舌打ちをした。

彼女は立ち上がり、何もない空間を睨みつけた。


「プロの手口だ。……ギルドの暗部。『掃除屋』と呼ばれる連中がいると聞いたことがある」


「掃除屋……」


俺は背筋が寒くなった。

追放刑なんて生ぬるいものじゃなかった。

奴らは最初から、俺を確実に殺すつもりだったんだ。

俺が生きて店なんか開いているのが、よほど都合が悪いらしい。


「店主」


エリザが俺を見た。

その瞳には、深い懸念が宿っていた。


「狙われているぞ。今回は防いだが、次はもっと大掛かりな手を使ってくるかもしれん。……店を畳んで、どこかへ隠れるか?」


彼女なりの提案だった。

確かに、ここは目立ちすぎる。

移動店舗の機能を使って、98階層の森の奥にでも隠れれば、追手も撒けるかもしれない。


だが。


俺は店の方を見た。

窓から漏れる温かい光。

中からは、冒険者たちの笑い声と、食器の触れ合う音が聞こえてくる。

リリが忙しそうに注文を取っている声もする。


俺の城だ。

俺が初めて、自分の力で手に入れた居場所だ。


「……嫌だね」


俺は即答した。


「隠れてコソコソ生き延びて、何が楽しいんだ。俺は料理人だぞ。客がいる限り、包丁は置かない」


俺は拳を握りしめた。


「それに、俺には『絶対安全圏』がある。どんな暗殺者が来ようが、指一本触れさせない。……返り討ちにして、皿洗いのバイトでもさせてやるさ」


強がりだ。

足はまだ少し震えている。

でも、不思議と恐怖よりも怒りのほうが勝っていた。

俺の平穏な日常を壊そうとする奴は、誰だろうと許さない。


「……ふっ」


エリザが吹き出した。


「バイトか。……あの『掃除屋』に皿洗いをさせるとは、傑作だ」


彼女は肩を揺らして笑った。

緊張の糸が切れたようだ。


『うむ。その意気だ』


クロが畑から飛び降りてきた。


『お前が飯を作り続ける限り、我も協力してやる。……あの程度の雑魚、我が本気を出せば消し炭にできるがな』


「お前、見てただけだろうが」


俺はクロの頭を小突いた。

クロは「無礼な」と言いつつも、尻尾をご機嫌に振っている。


「よし、店に戻るぞ。……夜食の時間だ」


俺たちは店の裏から戻った。

店内は相変わらずの盛況ぶりだ。

誰も俺たちが死体(灰)を処理してきたなんて気づいていない。

それがいい。

飯屋に血なまぐさい話は不要だ。


「店長様! 戻りましたか! 注文が溜まってます!」


リリが半泣きで駆け寄ってきた。


「悪い悪い。すぐ作る」


俺は厨房に入り、手を洗った。

エプロンを締め直す。

包丁を握る。

この感触が、俺を現実に引き戻してくれる。


「今日の夜食は……焼きおにぎりだ」


俺は炊飯器から白米を取り出した。

ボウルに入れ、醤油と鰹節、それに少しの胡麻油を混ぜる。

おにぎりを握る。

三角に、ふっくらと。


フライパンに並べる。

ジューッという音。

醤油が焦げる香ばしい匂いが立ち上る。

表面がカリッとなるまで焼く。


「はい、お待たせ。〆の焼きおにぎりだ」


俺はカウンターの客たちに出した。

エリザの分も置く。

彼女はそれを手に取り、熱そうにしながらも一口齧った。


「……ん。香ばしい」


彼女は目を細めた。

その横顔を見て、俺は改めて誓った。


守ってみせる。

この店も、この客たちも。

ギルドが何をしてこようが、俺の料理と結界で全部跳ね返してやる。


「おかわりあるぞ!」


俺の声に、店中から歓声が上がった。

地獄の底の定食屋は、今日も通常営業だ。

暗殺者の灰なんて、キッチンの換気扇から外へ吹き飛ばしてしまえばいい。

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