第19話 結界農法はじめました

「店長様、ご相談があります」


営業終了後。

片付けを終えてお茶を飲んでいた俺に、リリが神妙な顔で切り出した。

彼女の手には、在庫管理用の帳簿が握られている。


「どうした? 何かトラブルか?」


「いえ、本日の売上は好調でした。エリザさん以外のお客様も増えていますし……。問題は、食材の消費ペースです」


リリは帳簿を開き、特定の項目を指差した。


「今日だけで、持ち帰った『オーク・ポテト』の二割を消費しました。このペースだと、一週間と持ちません」


「……マジか」


俺は頭を抱えた。

98階層への遠征は大成功だった。

アイテムボックスがいっぱいになるほど野菜を詰め込んだはずだ。

それが一週間?


「みんな野菜に飢えてたからなぁ……」


ポテトサラダのかき揚げ、野菜炒め、豚汁。

どれも飛ぶように売れた。

肉ばかり食っていた冒険者たちが、サラダバーに群がる草食動物のように野菜を貪っていた姿が目に浮かぶ。


「また採りに行くか?」


「それも一つの手ですが……」


リリは眉を曇らせた。


「毎回、店ごと移動するのは危険です。98階層の魔物に見つかるリスクもありますし、移動中は営業できません」


「痛いところを突くな」


確かにそうだ。

今日はたまたま上手くいったが、次はどうなるか分からない。

それに、俺の本業は定食屋だ。

仕入れのために何日も休業するのは本末転倒だ。


「そこで、提案があります」


リリはエプロンのポケットから、小さな革袋を取り出した。

テーブルの上に中身を広げる。

コロコロとした、色とりどりの粒が出てきた。


「種、か?」


「はい。私が採取中にこっそり集めておいた、ダンジョン野菜の種です。『精霊王の涙』や『オーク・ポテト』の種芋もあります」


リリは誇らしげに胸を張った。


「これを育てましょう。自給自足です!」


「育てるって……ここは99階層だぞ?」


俺は窓の外を指差した。

ブラインドの隙間から、赤いマグマの光が見える。

地面は灼熱の岩盤。

水も土もない。

植物が育つ環境としては、これ以上ないほど最悪だ。


「外では無理です。でも……この『中』なら」


リリは店の中、つまり俺の結界内を見回した。


「ここは快適です。温度も湿度も完璧に管理されています。水は魔導蛇口から出ますし、土は……今日、98階層から少し持ち帰ってきました」


用意周到だ。

彼女は最初からこれを狙っていたらしい。


「プランター栽培みたいなもんか」


俺は顎に手を当てて考えた。

悪くない。

店の裏には少しスペースがある。

結界は俺を中心に半径5メートル。

店は6畳ほどのプレハブだ。

配置を工夫すれば、裏手に畳一畳分くらいの「庭」を確保できるはずだ。


「でも、育つか? 日光がないぞ」


「魔導ランプの光と、店長様の魔力があれば十分です! ダンジョンの植物は、太陽よりも魔力を好みますから」


リリの瞳がキラキラしている。

専門家が言うなら間違いないだろう。

それに、やってみる価値はある。

採れたての野菜が店の裏にあるなんて、料理人にとっては夢の環境だ。


「よし、やろう。……深層農園プロジェクト始動だ」


「はいっ!」


   ◇


善は急げだ。

俺たちはすぐに店の裏手へ回った。

勝手口を出る。

そこは幅1メートルほどの狭い通路になっている。

地面は黒い岩盤だ。

ここも結界内なので熱くはないが、カチカチに硬い。


「まずは畑の枠を作る必要があるな」


プランターなんて気の利いたものはない。

なら、地面を掘るしかない。

岩だけど。


「クロ、手伝ってくれるか?」


俺は足元で欠伸をしている現場監督(猫)に声をかけた。


『我は土木作業などせんぞ。爪が汚れる』


「じゃあ、マグロ缶はなしだ」


『……チッ。仕方あるまい』


クロは不承不承といった様子で立ち上がった。

だが、その前に俺が動いた。


「いや、待てよ。……これ、俺のスキルでいけるんじゃないか?」


俺は思い出した。

移動中、店が岩壁を豆腐のように削り取っていたことを。

『絶対安全圏』は、俺のテリトリー内の異物を排除する力がある。

なら、地面の岩を「邪魔な異物」として認識すれば?


俺は岩盤の上にしゃがみ込んだ。

手をつく。

イメージする。

ここの岩を、深さ30センチほど消し飛ばす。


「……ふんッ!」


バシュッ。


音がした。

土煙すら上がらなかった。

俺の目の前の岩盤が、まるで最初からそうであったかのように、綺麗に長方形にくり抜かれていた。

断面はツルツルだ。

レーザーカッターで切ったみたいだ。


「……便利すぎる」


「す、すごいです店長様! 魔法も使わずに整地するなんて!」


リリが拍手喝采している。

クロだけが『呆れた力技だ』と鼻を鳴らした。


「よし、ここに土を入れるぞ」


俺はアイテムボックスから、98階層で採取した土を取り出した。

腐葉土のような、黒くて栄養たっぷりの土だ。

それを穴に敷き詰める。

フカフカの畑が出来上がった。


「完璧です。……これなら、きっと良い野菜が育ちます」


リリが土の感触を確かめながら言った。

彼女は革袋から種を取り出す。


「まずは成長の早い『ラビット・ラディッシュ(二十日大根の亜種)』と、『ダンジョン小松菜』を植えましょう。……上手くいけば、一ヶ月ほどで収穫できるはずです」


「一ヶ月か。まあ、気長に待つさ」


農業は根気だ。

明日すぐに食えるわけじゃないが、未来への投資だ。


リリは指で土に小さな穴を開け、種を一粒ずつ丁寧に蒔いていった。

種に土を被せ、じょうろで水をやる。

その手つきは慈愛に満ちていて、まさに「森の妖精」という感じだった。


「大きくなぁれ、大きくなぁれ……」


彼女がおまじないのように呟く。


『……ふん』


クロが畑の縁に飛び乗った。

そして、蒔かれたばかりの土の上を、スッと尻尾で撫でた。


「おい、荒らすなよ」


『肥料をやってやったのだ。感謝しろ』


クロはニヤリと笑った。

肥料?

何も撒いていないように見えたが。

まあ、魔獣なりの加護みたいなものか。


「これで作業完了だな。……あとは毎日水をやって……」


俺が言いかけた時だった。


ボコッ。


土が動いた。


「え?」


俺とリリは顔を見合わせた。

地震か?

いや、違う。

音は足元の畑から聞こえた。


ボコッ、ボコボコッ!


土が盛り上がる。

まるで、地中で何かが暴れているみたいだ。

モグラでも埋まっていたのか?


「て、店長様! あれ!」


リリが悲鳴に近い声を上げて指差した。


土の中から、緑色の何かが突き出してきた。

芽だ。

双葉だ。


それだけじゃない。

芽は見る見るうちに大きくなり、茎を伸ばし、葉を広げていく。


メリメリメリメリ……。


植物が成長する音なんて初めて聞いた。

早回しの映像を見ているようだ。

ラディッシュの葉が茂り、小松菜が青々と背を伸ばす。

数秒前までただの土だった場所が、一瞬にしてジャングルの入り口みたいになった。


「な、なんだこれ!?」


俺は腰を抜かしそうになった。


「は、早すぎます! いくらダンジョンの植物でも、こんな成長速度はありえません!」


リリもパニックになっている。

一ヶ月かかると言っていた専門家の予測が、数秒で粉砕された。


『ククク……』


クロが喉を鳴らして笑った。


『言っただろう。ここは「安全」なのだと』


クロは茂った葉の匂いを嗅いだ。


『外敵もおらず、環境ストレスもなく、豊富な魔力と水がある。……植物にとって、これ以上の楽園はない。リミッターが外れたのだよ』


「リミッターって……限度があるだろ!」


俺は叫んだ。

目の前には、すでに収穫できそうなサイズのラディッシュが顔を覗かせている。

植えてから一分経っていないぞ。


「こ、これ……どうしましょう」


リリが震える手で、巨大化した小松菜の葉に触れた。

シャキッ、と瑞々しい音がした。


「……食うしか、ないな」


俺は立ち上がった。

家庭菜園のつもりだったが、どうやら俺たちはとんでもない生産工場を作ってしまったらしい。


「リリ、ザルを持ってこい! 今夜の夜食は採れたて野菜のサラダだ!」


「は、はいっ!」


俺たちの自給自足生活は、予想の斜め上を行くスピードでスタートした。

これなら在庫切れの心配はない。

むしろ、消費が追いつくかどうかが新たな問題になりそうだった。

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