第11話 二人目の客?
「……喋った?」
俺の声は裏返っていた。
目の前の黒猫を見下ろす。
金色の瞳。
艶やかな毛並み。
どこからどう見ても、ただの猫だ。
だが、こいつは今、はっきりと豚汁を要求した。
『そうだと言っている。耳が遠いのか、人間』
再び聞こえた。
低い声だ。
可愛らしい見た目とのギャップで脳がバグりそうだ。
口が動いている。腹話術じゃない。
「き、貴様……!」
ガタッ!
隣でエリザが立ち上がった。
瞬時に腰の剣に手をかけている。
風呂上がりのジャージ姿だが、放つ殺気は本物だ。
「魔物か! いつから入り込んでいた!」
『騒ぐな、小娘』
クロはエリザを一瞥もしなかった。
長い尻尾をゆらりと動かし、鼻をヒクつかせる。
『我は客だ。先ほどから鰹節を頂いている。……だが、その鍋から漂う香りが我慢ならん。味噌と、豚の脂の匂いだ』
「客だと……? ふざけるな、その魔力量、ただのキャット・シーではないな! 正体を現せ!」
エリザが剣を抜きかけた。
店内が一気に緊迫する。
「ま、待て待て! 店の中で抜くな!」
俺は慌てて二人の間に割って入った。
いや、一人と一匹か。
「エリザ、落ち着け。こいつはずっとここにいたんだ。俺に危害は加えてない」
「だが店主! こいつは魔物だぞ! しかも喋るなど、高位の知性種に決まっている!」
「まあ、そうかもしれないけど……」
俺は足元のクロを見た。
クロは「いつまで待たせるんだ」と言いたげに、前足で俺のズボンの裾をカリカリと引っ掻いている。
……緊張感がない。
こいつがもし邪悪な魔王なら、とっくに俺の喉を食い破っているはずだ。
今まで鰹節で大人しくしていたのなら、豚汁くらい安いもんだ。
「分かった、やるよ。……ただし、暴れるなよ?」
『うむ。約束しよう』
俺は厨房へ戻った。
小皿を取り出す。
猫に味噌汁は塩分が高い気もするが、まあ魔物なら大丈夫だろう。
熱いのは駄目だ。
氷を一つ入れて、少しぬるくしてやる。
具材は細かく刻む。
「ほら、食え」
俺は小皿を床に置いた。
クロは待ってましたとばかりに顔を突っ込んだ。
ピチャピチャと音を立てて汁を舐める。
具を噛む。
『……ほう』
クロが顔を上げ、目を細めた。
『悪くない。根菜の甘みが汁に溶け出している。豚の脂も上質だ。……人間にしてはやるな』
偉そうな食レポだ。
だが、尻尾がご機嫌に左右に振られている。
エリザはその様子を見て、毒気を抜かれたように剣から手を離した。
「……なんだ、その態度は。本当にただの猫なのか?」
「まあ、喋るけどな。害がないなら、うちの『看板猫』ってことでいいだろ」
俺は笑って、自分の分の豚汁をすすった。
美味い。
どんな正体だろうと、同じ釜の飯を食えば仲間だ。
俺の店は、来る者拒まずだ。
◇
それから数日が過ぎた。
店は平和そのものだった。
エリザは宣言通り、毎日通ってくるようになった。
彼女は地上に拠点(宿屋)があるらしいが、ダンジョンの転移装置を使えば99階層へのアクセスはそう難しくないらしい(もちろん、S級冒険者だけが許された特権ルートだが)。
クロも相変わらず居座っている。
昼間は座布団で寝て、腹が減ったら起きてきて俺に飯をせがむ。
完全にニートの生活だ。
そして今日。
俺は新メニューの開発をしていた。
「よし、下味はこんなもんか」
ボウルの中には、鶏肉(コカトリスのモモ肉)が漬け込まれている。
醤油、酒、生姜、ニンニク。
黄金比のタレだ。
これを片栗粉と小麦粉のブレンド粉にまぶして、高温の油で揚げる。
唐揚げだ。
男なら嫌いな奴はいない。
エリザもきっと気に入るだろう。
ジュワァァァ……。
油の音が店内に響く。
香ばしい匂いが立ち上る。
その時だった。
カラン、コロン。
ドアベルが鳴った。
エリザか?
いや、彼女ならいつも「入るぞ」と声をかけてくる。
それに、今の足音は複数だった。
俺は揚げ網を持ったまま、入り口を見た。
そこに立っていたのは、男三人組だった。
「……おい、マジかよ」
「本当にあるぞ……」
「罠じゃねぇのか?」
全員、フルプレートの重装備だ。
大きな盾を持った大柄な男。
杖を持った魔術師風の男。
そして、リーダー格らしき双剣使いの男。
彼らの目は血走っていた。
全身が泥と血で汚れている。
極限状態だ。
エリザが最初に来た時と同じ目をしている。
「いらっしゃいませ」
俺は努めて明るく声をかけた。
ここでビビったら負けだ。
「……店、なのか?」
リーダーの男が、掠れた声で問うた。
剣の柄に手がかかっている。
警戒心マックスだ。
「ええ、定食屋です。食事になさいますか?」
「定食屋だと……? 99階層にか?」
盾持ちの男が、信じられないものを見る目で俺を見た。
そして、周囲を見回す。
「おい、見ろ。……結界だ」
魔術師が震える声で言った。
彼は俺ではなく、店を覆う空間そのものを見ていた。
「ありえない密度の魔力障壁だ。……ドラゴンのブレスどころか、戦略級魔法でも傷一つつかんぞ、これ」
「なんだと?」
三人の顔色が変わる。
彼らは俺を「店主」ではなく、「未知の結界術師」あるいは「ダンジョンの罠」として認識したらしい。
殺気が膨れ上がる。
「貴様、何者だ。魔王の手先か?」
リーダーが剣を抜いた。
ジャリッ、と金属音が響く。
「いや、だから店主だって……」
俺が弁明しようとした時、店の奥から声がした。
「……うるさいぞ」
不機嫌そうな声。
カウンターの端、いつもの席に座っていたエリザが、顔を上げた。
彼女は俺の試作唐揚げ(第一弾)を摘んでいたところだった。
「エ、エリザ……さん?」
リーダーの男が目を見開いた。
知っているのか。
まあ、S級冒険者同士なら顔見知りでもおかしくない。
「『剣姫』エリザが、なぜこんなところに……」
「飯を食っているのが分からんのか」
エリザは唐揚げを口に放り込み、カリッといういい音を立てて咀嚼した。
「……美味い。店主、これはビールが欲しくなる味だな」
「だろ? 今度仕入れておくよ」
俺は苦笑して答えた。
エリザのその一言で、店内の空気がガラリと変わった。
あの『剣姫』が。
武装を解いて。
謎の男(俺)と親しげに会話しながら、飯を食っている。
三人組は呆然としていた。
剣を下ろすのも忘れて、エリザと唐揚げを交互に見ている。
「……毒じゃ、ないのか?」
魔術師がぽつりと漏らした。
「毒なら私が死んでいる」
エリザは呆れたように鼻を鳴らした。
「そこらで突っ立っていると邪魔だ。食うのか、食わんのか。……ここは『安全地帯』だぞ」
安全地帯。
その言葉の魔力は凄まじかった。
死地を彷徨ってきた彼らにとって、それは何よりも甘美な響きだったはずだ。
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らした。
同時に、店内に充満する「揚げたての鶏肉とニンニク醤油の香り」が、彼らの鼻腔を直撃した。
グゥゥゥゥ……。
盛大な腹の音が、三重奏で響いた。
三人の顔が真っ赤になる。
「……食います」
リーダーが剣を収めた。
プライドよりも食欲が勝った瞬間だった。
「はいよ。席へどうぞ」
俺はニヤリと笑った。
唐揚げ定食、三人前追加だ。
ジュワァァァッ!!
俺は新しい肉を油に放り込んだ。
忙しくなりそうだ。
けれど、不思議と嫌な気分じゃなかった。
地獄の底の定食屋。
どうやら、噂は少しずつ広まっているらしい。
俺はトングをカチカチと鳴らしながら、揚がり具合を確認した。
「今日は大盛りサービスだ。……生きて帰るには、スタミナが必要だからな」
俺の言葉に、三人の冒険者が無言で頷くのが見えた。
その目はもう、俺を疑ってはいなかった。
ただひたすらに、油の中で踊る鶏肉を見つめていた。
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