第4話 生姜焼きの匂いは防御不能

「……忘れてくれ」


女は両手で顔を覆ったまま、うめくように言った。

耳まで赤い。

さっきまでの殺気立った空気は、あの間の抜けた音と共に霧散していた。


「忘れるも何も、生理現象だろ。気にするな」


俺は笑って、カウンターの上のコップを回収した。


「で、何食う? 材料があるものなら何でも作るけど」


「……何でも、だと?」


女が指の隙間からこちらを見る。

疑っている目だ。

無理もない。

ここは99階層。

食えるものといえば、焼けた岩石か、毒を持った魔物くらいだ。


「ああ。和食、洋食、中華。……まあ、凝ったもんは無理だが、定食屋レベルなら対応できる」


「ワショク……?」


また首を傾げられた。

文化圏が違うらしい。

なら、分かりやすい提案がいい。


「肉は食えるか?」


「肉……」


その単語に、女の喉がまた鳴った。

彼女は少し躊躇ってから、絞り出すように言った。


「……まともな肉なら、何でもいい。携帯食(レーション)以外なら、泥でも食う」


「泥はよせ。腹壊すぞ」


相当、食生活が荒んでいるらしい。

携帯食。

ギルドで見たことがあるが、あれは食べ物というより「カロリーを固めた煉瓦」だ。

あんなものを毎日かじっていれば、精神もささくれ立つというものだ。


「よし、なら肉だ。スタミナがつくやつがいいな」


俺は厨房に向き直った。


冷蔵庫を開ける。

冷気と共に、保存されていた食材が顔を出す。

アイテムボックスから移しておいた肉塊がある。


『ダンジョンオークのバラ肉(Aランク)』。


脂身と赤身のバランスが最高だ。

こいつはただ焼くだけでも美味いが、濃い味付けにすると白米との相性が跳ね上がる。


メニューは決まった。

俺は包丁を握る。


トントン、と軽快な音が響く。

まずは付け合せだ。

キャベツを千切りにする。

新鮮なシャキシャキ感。

これを皿に山盛りにする。


次に、主役の肉だ。

分厚いブロック肉を、薄すぎず厚すぎない、絶妙な厚さにスライスしていく。

包丁を入れるたびに、断面から綺麗なサシ(脂)が見える。


「……何をしている?」


背後から声がした。

女がカウンターから身を乗り出している。

目は釘付けだ。


「見りゃ分かるだろ。料理だ」


「それが……料理? 魔法薬の調合ではなく?」


「失敬な。……まあ、元気が出る薬みたいなもんだ」


俺はボウルにタレを作り始めた。

醤油。酒。みりん。

そして、たっぷりの生姜をすりおろす。

最後に隠し味のニンニクを少々。


混ぜ合わせる。

ツンとした刺激臭と、醤油の芳醇な香りが混ざり合う。

これだけで白飯が食えそうな匂いだ。


フライパンを火にかける。

油を引く。

煙が少し上がったところで、肉を投入した。


ジュワァァァァァッ!!


爆ぜる音。

脂が溶け出す甘い匂い。

肉の色が赤から茶色へ変わっていく。


「っ……!?」


背後で息を呑む気配がした。

振り返らない。

今は肉との対話に集中する時だ。


肉に火が通ったタイミングを見計らい、合わせ調味料を一気に流し込む。


ジューッ!!


音が一段と大きくなる。

醤油が焦げる香ばしい匂い。

生姜の爽やかな刺激。

タレが煮詰まり、肉に絡みついていく。

照りが出る。

黄金色の脂と、濃い茶色のタレが混ざり合い、最強の「飯泥棒」が誕生する瞬間だ。


換気扇が唸りを上げて、店内の煙を吸い込んでいく。

この匂いは、排気口を通ってダンジョンの通路へ撒き散らされているはずだ。

外のドラゴンやキマイラがどう思うかは知らない。

だが、少なくとも店内の「猛獣」には効果てきめんだった。


「なんだ、この匂いは……!」


女が立ち上がっていた。

カウンターに両手をつき、身を乗り出しすぎてもはや上半身が厨房に入りかけている。

鼻をヒクヒクさせている。

瞳孔が開いている。

さっきの水を見た時以上の衝撃を受けている顔だ。


「暴力だ……こんなの、暴力的な匂いだ……!」


「褒め言葉として受け取っておくよ」


俺は皿にキャベツの山を盛り、その横に焼き上がった肉をドサリと乗せた。

タレも残さずかける。

そして、横にマヨネーズをひと絞り。


仕上げに、炊きたての白米を丼に盛る。

湯気が立つ味噌汁(具は豆腐とワカメ)を添える。


完成だ。


「お待たせ。特製、オーク肉のスタミナ生姜焼き定食だ」


俺はトレイをカウンターに置いた。

ドン、という重みのある音。


湯気が立ち上る。

生姜と醤油の香りが、女の顔を直撃する。


彼女は動かなかった。

いや、動けなかったのか。

呆然と目の前の皿を見つめている。


「……これが、食事?」


「ああ」


「私の知っている食事と違う。……茶色い」


「茶色は美味いんだよ」


俺は箸を差し出した。

割り箸だ。

パチン、と割って渡してやる。


「ほら、冷めないうちに食え」


女は震える手で箸を受け取った。

使い方は知っているらしい。

ぎこちない手つきで、一番上の肉を一枚掴む。

タレが滴る。

脂が光る。


彼女はそれを、ゆっくりと口に運んだ。


パクり。


咀嚼する。

一回。二回。


動きが止まった。


カタン。


箸が手から滑り落ち、カウンターに転がった。

女が両手で口元を押さえる。

肩が震えている。

泣いているのか?


「おい、大丈夫か? 熱すぎたか?」


俺が慌てて声をかけると、彼女は勢いよく顔を上げた。

目は潤んでいるが、涙じゃない。

歓喜だ。

野生動物が、極上の獲物を前にした時の目だ。


「……美味い」


呟きは、すぐに叫び変わった。


「美味いッ!! なんだこれは! 口の中で脂が溶けたぞ!? 肉なのに噛まなくていい! それにこのタレ! 舌が痺れるほど濃いのに、止まらない!」


彼女は落ちた箸など見向きもせず、素手で次の肉を掴もうとして――思い留まり、俺から新しい箸をひったくった。


「ごは! この白いのは何だ!?」


「米だ。肉と一緒に食うんだ」


「こうか!」


肉を口に放り込み、すぐに白米をかき込む。

モグモグと頬張る。

彼女の顔が、とろけるように緩んだ。


「んん~っ!!」


言葉にならない声が出る。

もう止まらない。

肉。米。キャベツ。米。味噌汁。

素晴らしいローテーションだ。

見ていて気持ちがいいほどの食いっぷり。

S級冒険者の気品もプライドも、醤油ダレの前には無力らしい。


俺はカウンターの向こうで、その様子を腕組みして眺めた。

恐怖はもう感じない。

自分の料理を美味いと言って食う人間に、悪人はいない。

俺のばあちゃんの教えだ。


「お代わりはあるか!?」


丼を突き出してくる。

口の周りにタレがついている。


「あるよ。いくらでも食え」


俺は炊飯器(魔導式)を開けた。

熱い湯気が立ち上る。


外からはドラゴンの咆哮が聞こえる。

だが、今のこの店内には、箸と皿がぶつかる平和な音しか響いていなかった。

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