呪に交わればカクテルの色
泳鯉登門
第1話:呪(しゅ)に交われば(裏)フルボディの色
とある街の、とある店。
電光掲示板の『Bar《ファーブラ》』の灯は消えている。
重厚なドアには「運命鑑定」と書かれたボードが、静かに掛けられていた。
ガチャ、チリンチリン……。
ドアベルが鳴り、数段の階段を降りた先。
そこには、磨き上げられたマホガニーのカウンターがあった。
微かなジャズの音色と、紫煙の甘い香りが漂う空間。
琥珀色のボトルが並ぶバックバーを背に、スポットライトの下でグラスを磨くタキシードの青年――**色原透季(いろはらとおり)**が、恍惚の笑みで呟いた。
「やはり、磨きたてのグラスは美い……」
カウンターの端では、赤い服の少女がそれをジト目で睨んでいる。
「『美しい』じゃないわよ!」
少女は階段先のドアを指差した。
「さっきのドアベル、空調で鳴っただけ。暇なのよ!」
「暇を楽しめる大人になるべきだよ」
「バカ! お客さんが来ないとお金が入ってこないじゃない。貧乏暇あり状態じゃない!」
「まぁ、焦らない焦らない。一休み一休みの精神だよ」
「何が一休みよ。近所じゃ、当たらない占い師って噂まであるのよ?」
「良いことだよ。人が占いに頼らずにいられるなんて」
少女はさらにジト目を深くした。
この男、色原は、すべて分かっていてやっているのだ。
「お兄ちゃんの占いは、当たらないんじゃないじゃん! わざと『当たらないように』してるんじゃん!」
「フフッ」
色原は小さく笑うと、面白がるように言った。
「いいんだよ。占いなんて、当たらないほうが幸せなこともある」
「また、そんなこと言って!」
言い返そうとしたその時、カランカラン、と軽やかなドアベルが鳴り響いた。
「おっと……ほら、お客さんが来店したようだ」
「むぅ……」
「仕事の邪魔だからね? 下がった下がった」
色原がシッシッと手を振る。
少女は悔し紛れに「はーい、仕事の邪魔はしませーん! べぇ~だ!」と舌を出し、奥へと引っ込んだ。
†
静かになった店内に、コツ、コツ、と心細げな足音が響く。
「あの……すいません、よろしいですか?」
恐る恐る顔を覗かせたのは、鮮やかな色のランドセルを背負った、二人の女の子だった。
「はい、大丈夫ですよ。いらっしゃいませ」
色原の声色が、先ほどまでのふざけたものから、滑らかなバリトンに変わる。
「どうぞ、お掛けください」
カウンターの席を指し示すが、女の子たちは店内をキョロキョロと見回し、入り口で固まったままだ。
「どうしましたか?」
「あの、本当にここ、占い屋さん……ですか? お酒を飲むお店みたいだけど……」
一人の子が不安そうに尋ねる。
「うん、でも表の扉に『占い』って書いてあったよね?」
「それに……他にお客さんいませんでした? いま、誰かの話し声がしたような……」
色原はふわりと、花が咲くようににっこり微笑んだ。
「あぁ、気にしないでください。ここは夜はバーを営んでいましてね。僕は昼間だけ、この場所をお借りしているんです」
完璧な営業スマイルに、少女たちの頬がポッと赤く染まる。
「それに、さっきの会話は……そうですね、当店の『お手伝いさん』のような者とです。今は奥に下がりましたので、お気になさらず」
色原は何食わぬ顔で嘘をついた。
子供たちは安心したように、ひそひそと耳打ちし合う。
「……ねえ、ちょっとイケメンじゃない?」
「うん、ドラマに出てる松坂くんみたい……」
色原はカウンターの中から優雅に歩み出ると、ステッキでトン、と床を鳴らした。
彼は大仰に、けれど流れるような仕草で一礼した。
「では、改めまして。私は占い師の色原透季と申します」
甘い瞳で二人を見つめ、ステッキで椅子を指し示す。
「迷える可愛らしいお嬢様方。どうぞ、こちらへ」
「あっ……色原さん、絵本が落ちてますよ」
少女が足元を指差す。そこには一冊の古びた本が落ちていた。
「これはすいません。この店のオーナーが、コンセプトとして古今東西の絵本を集めていましてね」
拾い上げたハードカバーの表紙には、金文字でこう記されていた。
『Le Petit Chaperon Rouge』
――ル・プティ・シャプロン・ルージュ。
色原は棚に本をそっと戻すと、話を促した。
「すいません、整理が行き届いていなくて。先のお手伝いさんに注意しておきます。……さあ、お話を聞かせてください」
少女の一人が、意を決したように口を開く。
「実は、私の高校生のお姉ちゃんが、酷いストーカーに困っていて……」
「ストーカーですか」
「はい。バイト先で変な男の人に付き纏われるようになって、最近は行動がエスカレートしてきて。警察に相談しても『実際に被害がないと動けない』って……。パトロールを増やすだけなんです……」
少女の顔が曇り、とうとう涙が溢れ出した。
「こちらをお使いください」
色原はスッと胸ポケットからハンカチを差し出す。
喋れなくなった友達の代わりに、もう一人の少女が叫んだ。
「そのストーカーが、奈緒のお姉ちゃんに酷いことしないか、占ってください!」
「……代金なら、これで足りますか?」
小さなポシェットから、千円札や硬貨をかき集める。
色原が机の引き出しから、赤い紙を取り出した。
(なんだろう、紙に顔みたいなのが描いてあるけど?)
それを四つ折りにして、また引き出しから銀色の小さな巾着を取り出し、その中に紙を入れ、少女たちに差し出した。
「これは『赤の御守り』です。お姉さんに、肌身離さず持つようお伝えください。お代は、効果があった時で結構ですよ」
「えっ……」
「それでは、あまり帰りが遅くなるといけません。もう、お帰りなさい」
†
お店を出て、奈緒の家へと向かう。
奈緒のお姉ちゃんはバイトを辞め、今は母の車で登下校しているらしい。
「大丈夫かな?」
「うん、占ってくれなかったけど……これ、くれたね」
奈緒は銀色の巾着をじっと見つめる。
「とりあえず、お姉ちゃんに渡そうよ!」
自宅の前で友達と別れ、奈緒は家に入った。
お姉ちゃんは、自分の部屋にいた。
「お姉ちゃん、これ……」
「奈緒? なにこれ」
「御守りの巾着だよ。肌身離さず付けていれば、ストーカーは大丈夫だって。色原さんが……」
「色原さん? 誰よそれ」
「占い屋さんだよ」
「占い屋!? 奈緒、もしかして高いお金払ったんじゃないでしょうね?」
問い詰める姉に、奈緒は懸命に首を横に振る。
「タダでくれたの! お願い、付けて!」
泣きながら縋る妹に、姉は根負けした。
「わかったよ、奈緒、ありがとう。……携帯に付けておくね」
†
その三日後。
自宅の庭で愛犬と遊ぶ姉を、角からじっと見つめる男がいた。
車庫に両親の車はない。
男はカバンから、果物ナイフを取り出し、握りしめる。
男が奈緒の自宅へ足を踏み出そうとした、その時だった。
「ねぇ、おじさん誰?」
不意に声をかけられ、男は振り返った。
そこにいたのは、赤い頭巾を被った少女だった。
「なんだよ、お前は!」
「おじさん、悪いオオカミさんでしょ?」
少女が、男の服を掴む。
「悪いオオカミさんは……」
一瞬、世界が闇に包まれ――そして、晴れた。
景色が、一変していた。
そこは、深い深い森の中。
赤い頭巾の少女が、両手でなければ扱えないような、巨大な銀のハサミを手に微笑んでいる。
「悪いオオカミさんは、お腹を……」
†
「お兄ちゃん、ただいま!」
「あぁ、お帰りなさい」
少女はプゥと頬を膨らませた。
「いつの時代も、悪いオオカミさんはいるのね」
色原は、トン、とステッキを鳴らした。
†
「ねぇ奈緒、お姉ちゃんのストーカーどうなった?」
「わかんない。パトロールのおかげかな、現れないの」
「えっ! 御守りのおかげじゃないの?」
「でも、あの御守り、二、三日後にはどこかへ行っちゃったんだって」
「そうかぁ……じゃあ、違うのかな」
「うん。でも、このまま現れなければいいよね」
始業のチャイムが響く。
「あっ、急がないと!」
「紳士淑女の皆様、色原透季でございます」
今宵は、ワインの表現でよく耳にする**『フルボディ』**について、少しだけお話ししましょう。
フルボディとは、一言で言えば「重厚さと、消えない余韻」のこと。
深い色調、力強い渋み、そして口の中に長く留まる複雑な香り……。
一度味わえば、簡単には逃してくれない圧倒的な存在感を持つワインを指す言葉です。
それはまるで、深い森の奥に迷い込み、抜け出せなくなる濃厚な物語のよう。
今回の事件、妹が姉を思う強い思い。
その一途で重たい感情こそが、この物語にフルボディの如き抜き差しならない余韻を与えていたのです。
そして、最後に森で閃いた鮮やかな色彩。
あれこそが、逃れられぬ罪を屠(ほふ)るための**『断罪の赤』**……。
さて、そろそろ閉店の時間です。
物事には、裏があれば表もあります。
今宵お見せしたのは、あくまで物語の「裏」に過ぎません。
それでは、また次回の『表』でお会いしましょう。
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