戦国最強の吉川元春に転生したら、嫁の中身が推しレイヤーだった件 ~史実知識と夫婦愛で、毛利の家も貞操も俺が守る~
深海馨
第1章:夫婦の契約
第1話「鬼の目覚めと、推しの顔」
意識の底から浮上するとき、最初に感じたのは「匂い」だった。
消毒液や排気ガスの混じった現代の無機質なそれではない。古びた木材、燻された囲炉裏の煙、そしてどこか鉄錆のような、血と土の匂い。
次に、重み。
身体全体が鉛のように重く、節々が軋むように痛む。まるで全身筋肉痛の翌日、あるいはインフルエンザの高熱にうなされた後の倦怠感に似ていた。
(……俺、死んだのか?)
記憶の糸を手繰り寄せる。
広島市内で行われていた戦国イベントの帰り道だ。戦利品である吉川元春の限定グッズを抱え、横断歩道を渡っていたはずだった。信号無視のトラック。ブレーキ音。視界を覆うヘッドライトの閃光。そして、衝撃。
ああ、間違いない。俺は死んだ。
だとしたら、ここはどこだ? 病院のベッドか、それとも三途の川のほとりか。
「……様、……若様」
低い、しわがれた声が鼓膜を震わせる。
若様? 俺のことか?
重いまぶたをこじ開けるようにして、俺は目を開いた。
視界がぼやける。焦点が合うまでに数秒かかった。
そこに広がっていたのは、真っ白な病院の天井ではなかった。煤(すす)けた木の梁(はり)。荒い土壁。そして、枕元に控える一人の老爺。髷(まげ)を結い、質素な直垂(ひたたれ)を身に纏っている。
「おお、気がつかれましたか! 次郎三郎様!」
老爺が破顔し、廊下に向かって大声で叫んだ。
「殿! 殿ーッ! 次郎三郎様がお目覚めにございます!」
次郎三郎?
聞き覚えのある名前だ。いや、聞き覚えどころではない。俺が人生のすべてを捧げて推してきた、あの武将の幼名だ。
まさか。
俺は慌てて身体を起こそうとした。布団がずり落ちる。自分の手を見る。
ゴツい。
高校生の俺の手ではない。指の関節は太く、掌には無数のマメができている。刀や槍を振り回していなければ、決してこうはならない武人の手だ。
心臓が早鐘を打つ。
俺はふらつく足取りで立ち上がると、部屋の隅に置かれていた鏡台――当時のものだろう、磨き上げられた青銅鏡へと這い寄った。
そこに映っていたのは。
鋭い眼光。太く凛々しい眉。引き締まった口元。まだ少年の面影を残しつつも、将来「鬼」と呼ばれるにふさわしい、剛毅さと野性味を秘めた顔立ち。
俺が資料集や肖像画で穴が開くほど見つめ、ゲームやドラマで何度も脳内再生した、あの顔。
「嘘だろ……」
口から漏れた言葉は、日本語であって日本語ではなかった。当時の言葉遣いに自動変換されているような、奇妙な感覚。
だが、そんなことはどうでもいい。
俺は震える手で、自分の頬に触れた。鏡の中の「彼」もまた、同じように頬に触れる。
「吉川……元春……?」
俺は、俺の推しになっていた。
***
状況を整理するのに、丸三日かかった。
まず、今は天文十六年(1547年)。場所は安芸国、吉田郡山城。
俺――いや、今の俺の名は毛利次郎三郎元春。十八歳。
数日前の稽古中、木刀を頭に受けて昏倒し、生死の境をさまよっていたらしい。そのショックで前世の記憶を持った俺の人格が覚醒したのか、あるいは乗っ取ってしまったのかは定かではない。
ただ一つ確かなのは、俺が戦国乱世のど真ん中に放り込まれたということだ。
「兄上、また鏡を見ておられるのですか?」
呆れたような、しかし涼やかな声が部屋の入口から響いた。
振り返ると、そこには一人の美少年が立っていた。
切れ長の目元に、知性を宿した瞳。まだあどけなさは残るが、その立ち振る舞いにはすでに大器の片鱗が見える。
小早川隆景。俺の、いや元春の二つ下の弟だ。
「……徳寿丸(隆景の幼名)か」
「はい。あまりにご自身の顔ばかり眺めておられるので、頭の打ち所が悪くて『うぬぼれ』という病にかかられたのかと心配しておりました」
隆景がさらりと毒を吐く。
これだ。この容赦のない冷静なツッコミ。史実通り、いや史実以上にクールだ。俺は感動で打ち震えそうになるのを必死で堪え、元春らしい(と思われる)ぶっきらぼうな口調を作った。
「馬鹿を言え。……己の顔つきが変わった気がしてな。気合を入れ直していたところだ」
「顔つき、ですか。確かに」
隆景が部屋に入り込み、俺の顔をまじまじと覗き込む。その視線の鋭さに、俺は冷や汗が流れるのを感じた。
両川(りょうせん)の片割れ、知将・小早川隆景。もしや、中身が入れ替わっていることに気づかれたか?
「……以前のような、何かに飢えたような危うさが消え、憑き物が落ちたようなお顔をされています。兄上にとって、その怪我は良い薬になったのかもしれませんね」
隆景はふっと微笑んだ。
危なかった。どうやら「怪我の功名」として処理されたらしい。
俺は胸を撫で下ろしつつ、眼前の弟を改めて観察する。
(尊い……。生(なま)の小早川隆景だ……。肌めっちゃ綺麗だな……)
内心でオタク特有の早口感想を並べ立てながら、俺は平静を装って腕を組んだ。
「して、何の用だ? ただの様子見ではあるまい」
「ええ。父上がお呼びです。今後のことについて、話があるとか」
父上。
その単語が出た瞬間、部屋の空気が一気に重くなったような気がした。
毛利元就。
中国地方の覇者にして、稀代の謀将。
俺にとっての「父」であり、この乱世で生き残るための師であり、そして何より――絶対に敵に回してはいけない、最大の恐怖対象。
史実を知る俺だからこそ分かる。あの男の優しさは、冷徹な計算の上に成り立っていることを。
家族思いの良き父としての顔と、敵を一族郎党根絶やしにする修羅の顔。その両方を持つ男に、中身が現代人の俺が対峙して、ボロを出さずにいられるだろうか。
「……分かった。すぐに行く」
俺は立ち上がる。
足の震えを止めるように、太ももを拳で叩いた。
大丈夫だ。俺はこの時代の誰よりも、毛利家の歴史を知っている。これから何が起こるか、元就が何を考えているか、教科書レベルなら暗記している。
いわば「攻略本」を持っている状態だ。
それに何より、今の俺は吉川元春だ。あの鬼吉川の身体能力がある。
「行くぞ、徳寿丸」
「はい、兄上」
俺は重厚な足取りで廊下へと踏み出した。
目指すは本丸、元就の居室。
そこで俺は、人生最初の、そして最大の試練と向き合うことになる。
それは、吉川家への養子縁組の話――そして、運命の妻「新庄局」との縁談の始まりでもあった。
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