白狼姫葬送録~探偵は仕事を選べない!

此寺 美津己

第1話 レリアの悪癖と嬉しくない訪問者

この街は、血とガソリンの匂いがよく似ている。

そのせいで、吸血鬼と人間のどちらが夜を支配しているのか判別がつかない。


繁華街のはずれ。

五階建ての古びたビル、その最上階だけに灯りがあった。


――老いぼれ狼探偵事務所


錆びたプレートが斜めにぶら下がっている。

まだ事務所を開いて一年と少し。

プレートが錆びる時間も無いはずだが、実はこれはどこぞの骨董品屋で手に入れたプレートで事務所の名前もそこからとったのだ。


室内は、蓄音機がかすれた音で、昔流行った曲を奏でていた。


愛なんて うたかたの夢

朝になれば 名前さえ消える

だから今だけ 抱きしめてい

嘘でもいいわ ひとりにしないで


泣いた夜 赤い爪が

あなたの胸に 跡をつけても

痛むほど 確かになるの

離れたいなら 離れないで


デスクの上には分厚いノート。

ページは、数字を書いては消し、消してはまた書いたもので埋まっている。


「……十七秒。前回より三秒短い」


この部屋の主レリア・コヴァレットは顔をしかめた。

見た目は10代後半。銀髪はくるりと頭の後ろにまとめている。


左手の甲に刃を押し当てる。

皮膚が裂け、血が落ちる。

だが見る間に、破れた肉がつながり、跡形もなく塞がった。


それをまた、ためらいなく切る。


「はあ? 十五秒!? どうなってるの?」


不死身と再生は吸血鬼の特権。

そして彼女もそのひとりである。

この再生は――かなり優秀な部類といえた。


しかし彼女の憂鬱な表情はいっこうにはれない。

またも手の甲にナイフを押し当てた、そのとき――。


軽くドアがノックされた。


レリアの眉間のシワがいっそう深くなる――。

ここはビルの5階だ。

当然、ここにこようと思えば階段を上がるしかない。だが彼女の超感覚をもってしても足音が聞こえなかったのだ。


「鍵はかけてないの。どうぞ入って、ミルドレッド。」


ドアは軽く軋んだ。

現れたのは彼女も旧知の少年。

とは言っても見かけの年齢など、吸血鬼に意味はないから実際にいくつかは分からない。

華奢な体は、レリアよりも背が低い。


にこにこと愛想良く笑うその顔が、デスクとナイフ。それにしたたり落ちた血のあとを見て曇る。


「なにをやってるのです、白狼姫。ピアノが弾けなくなったらどうするのです?」


「わたしはもともとピアノは弾かないけど?」


少年は遠慮なく、部屋に入り込んだ。

これも遠慮なく、レリアがつけていたノートを覗き込む。


「治癒の実験、ですか?」


感慨深げにそこに記された数値を読み取る。

まるで学者のようだが当たらずも遠からず。

この少年は、ルクセイン学院の学院長を務めている。専門は人間の吸血鬼化だ。


「そのナイフは儀礼済みですか?」


「対治癒魔法のかかったミスリル銀。」


「それにしてもいささか再生速度が遅いです。あなたの血筋ならばものの十秒あれば」


「遅くなるように訓練してるのよ。」


少年はうーんと唸った。


「…理由を聞いても?」


「こんな再生速度じゃあ、戦う度にヴァルコバ伯爵家のものだとわかってしまうわ。」


ミルドレッドは小さく息を吐き、肩をすくめた。


「……今さらな気もしますが。

あなたは本当に頑固ですね、ヴァルコバ伯爵家令嬢。」


「家名を捨ててるのに、わざと呼ぶのやめてくれない?」


「嫌ですよ。あなたは何を捨てようと、私にとってはヴァルコバの白狼姫です。

たぶんあの刑事さんたちにとってもね。」


反論の余地を与えない優しい声。

その優しさの奥に、決して踏み込ませない冷たい深淵がある。


レリアはナイフを置くと、煙草に火をつた。煙を深く吸い込んだ。


悪癖だ。


「──で。学院長様が、探偵事務所なんて訪ねてくる理由は?」


ミルドレッドの表情が一瞬だけ曇る。

そして、丁寧に言葉を選んだ声音に変わる。


「我が学院の卒業生が、殺されました。」


レリアの手が止まる。

ミルドレッドの学院は極めて特殊な目的をもつ。

それは吸血鬼となって不死をえることを望むものだけが入学するところ。

ここ以外では、ひとは吸血鬼になる資格を得ることは出来ない。


「殺された……? 誰が?」


「ジョナス・ベイリー。卒業から十年とたっていません。まだ若い吸血鬼でした。

ぼくは直接に会ってはいませんが卒業後も問題なく暮らしていたはずなんです。」


沈黙。

蓄音機の針が擦れるノイズだけが部屋に漂う。


「『成って』十年やそこいらの吸血鬼なんて虚弱なものよ。」


ふう。

と吐いた紫の煙が部屋に漂う。

煙草の匂いが苦手なミルドレッドは窓を開けた。

互いに無駄なことをしている。


煙草くらいで吸血鬼の体がどうなるわけもなく、いや、そもそも人間でいうところの呼吸はその生存に全く必要がないのだから、レリアが煙草をふかすのも、ミルドレッドがその匂いを嫌がるのも。


――まったく意味が無い。


「確かにね。やっと吸血衝動を抑えられるようになって、単独での外出が許されるようになった矢先の出来事です。」


「うっかり日の出の時間でも間違えて、昼間の陽光にやかれでもしたの?」


「それだと…『事故』ですね。

ぼくは『殺された』っていいました。」


「それをわたしに調べろ、と?

警察の仕事でしょう?」


「報告を受けて、すぐに現場へ向かいました。

そこで、懐かしい面々に会いましてね。」


レリアは目を細めた。


「棺桶と墓掘り、ね?」


ミルドレッドはうなずく。


「彼らはこちらを見た瞬間、ひどくほっとした顔をしました。

……レリア。彼らは事件をあなたに依頼するつもりです。」


レリアは顔を背け、苦笑した。


「よりにもよって、私が?」


「よりにもよって、あなたです。

そして──あなた以外あり得ない。」


レリアは灰皿に煙草を押しつけ、立ち上がった。


「……行くわ。否とは言わない。」


ミルドレッドの表情がほのかに安堵にゆるむ。


「ありがとう。」


「勘違いしないで。学院のためじゃない。

あの二人の借りを踏み倒すほど、私は安くないだけ。」


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