勇者の弟子

ヤス

第1話、勇者と少年

薪のはぜる乾いた音が、静かな居間に優しく響いていた。

 暖炉の前には二人の子どもが並び、目を輝かせて座っている。エドラとサリー。まだ幼さの残る顔に期待をいっぱい浮かべ、父ランスロットの口元をじっと見つめていた。


「……そして勇者アーサーは、倒れゆく仲間を背負いながらもなお前へ進んだ。魔王の炎が大地を灼き、空が赤く裂けても、アーサーは決して諦めなかった」


 ランスロットは語るたびに、炎に照らされる二人の表情を確かめる。

 エドラの瞳は燃えるように輝き、サリーは胸の前で小さな手をぎゅっと握りしめていた。


「そして最後に奴の心臓へ、聖剣エクスカリバーを突き立てたんだ。魔王は耳をつんざく叫びを上げて消え失せ、長い戦いにようやく終止符が打たれた……この大陸に、再び朝日が戻ったんだよ」


 語り終えると、エドラとサリーは同時に歓声を上げた。


「「すごい!!」」


 ランスロットは穏やかに笑う。


「ああ、すごい男さ。いい加減で雑で、やたら喧嘩っ早かったが……心の底から信頼できる仲間だった」


(……まあ実際は聖剣なんか使わずに、拳で魔王を殴り飛ばして倒したんだけどな)


 そんな父の言葉は静かに暖炉の火へ溶けていく。

 エドラとサリーは、興奮を抑えきれないように足をぱたぱたと揺らしていた。英雄譚は、幼い胸を激しく揺さぶっている。


「さて、そろそろ仕事に戻らないといけない。二人とも、母さんの言うことをよく聞いて仲良くしているんだぞ」


 立ち上がったランスロットは、二人の頭を優しく撫でて外へ向かった。



 教会の庭先。

 エドラとサリーが笑い合いながら走り回る姿を、サリーの母エレナが目を細めて見守っていた。


「本当に仲が良いのね、あの子たち……」


 隣に立つ神父が柔らかくうなずく。


「エドラが赤子のころからの付き合いですからね」


 神父は遠くを見やりながら、小さく息をついた。


 ――十年前。


 凍える冬の朝。

 教会の前に置かれたクーファンの中に、ひとりの赤子が眠っていた。添えられていたのは、ただ一枚の紙切れ。


 『エドラ』


 名前だけが記されたその紙を、神父はいまでも大切に保管している。


 家族の温もりも知らぬまま生まれた子。

 だからこそ、神父はどの子よりも深い愛情を注ぎ続けた。


「まさかこうして、かの英雄ランスロットたちと家族のように付き合える日が来るとは……不思議なものですな」


「ええ。エドラはきっと、誰かに導かれてここに来たのでしょうね」


 穏やかに語るエレナの袖を、小さな手がぱたぱたと引っ張った。


「お母さん! エドラと森に行ってくるね!」


 サリーだった。エドラはすでに少し離れたところで待っている。


「気をつけてね。森の奥には絶対入らないのよ?」


「はーい!」


 ふたりは手をつなぎ、森へ駆け出していった。



 木漏れ日の差す森の中に、二人の笑い声が響く。


「サリー見て! この木、剣みたいじゃない?」


「じゃあ、わたしのは魔法の杖ね!」


 拾った枝を振り回しながら、子どもらしい空想の戦いが続く。


 そんなとき――

 低い唸り声が木々の奥から響いた。


 ガサリ、と茂みが揺れる。


「……サリー、下がって」


 エドラは枝を握りしめ、震える手で構えた。


 茂みから現れたのは、小鬼――ゴブリンが二匹。

 汚れた牙を剥き、涎を垂らしながらにじり寄ってくる。


「ひっ……!」


 サリーの肩が震える。

 エドラも恐怖で足がすくむ。それでも――


「サリーは……俺が守る!」


 絞り出すような声だった。

 エドラは枝を振り上げてゴブリンへ飛び込む。幼い身体で必死の突撃。


 だが、ゴブリンの爪が枝を弾き、薙ぎ払おうと腕が振り下ろされた――。


 その刹那。


 空気が裂けた。


「よっと」


 軽い声が風に混じるのと同時に、ゴブリンたちの背筋に悪寒が走った。


 次の瞬間――

 拳圧だけで二匹の頭部が弾け飛び、地面に転がっていた。


「よく頑張ったな、坊主」


 振り返った男は、灰色の髪。どこかいい加減そうな目つき。だが奥底に鋭い光を宿した、ただ者ではない男だった。


「……勇者、アーサー……?」

少女の震える声に反応し、アーサーは振り返る。

「ん、知ってんのか? その目と髪色……ランスロットの娘だな?」


 アーサーはニッと笑った。


 サリーは呆然とし、エドラは震える体で、それでも真っ直ぐ彼を見上げていた。


「怖かったろ? でもよくサリーを守ろうとした。普通なら泣きながら逃げる歳だぞ」


 胸の奥で、何かが熱く燃えた。

 ただの一言で、少年の心に小さな炎が灯る。


「勇者アーサー! 俺を……俺を弟子にしてください!」


「悪いが遠慮する。子どもに教えるのは得意じゃないし……何よりランスロット。身内の子を修行させる趣味はない」


「お願いします!!」


 一度断られても、エドラは下がらなかった。


 アーサーはもう一度断ろうとしたが、ふと口を閉じた。

 少年の瞳の奥に燃える強い光を見て、わずかに表情を変える。


「……へぇ。才能もあるし、ちょっと興味が湧いたな」


 そしてぽつりと告げる。


「今から俺はギルドを作りに行く。五年後――もしまだその目をしてるなら、俺のギルドに来い」


「ギルド……?」


「ああ。ただし、今のお前じゃ到底入れねぇ。だから五年後だ。それまで鍛えておけ」


 エドラの胸が大きく跳ねた。

 サリーの手もぎゅっと強く握られる。


 アーサーは何事もないように森の奥へ歩き去っていった。


 残された二人の胸には、眩しいほどの憧れが満ちていた。



 ――あの日から五年。


 エドラは剣術を学び、サリーは召喚魔法を磨いた。

 幼い身で出来る限りの修行を積み重ね――


 いつか、あの背中に追いつくために。

 いつか、あの言葉に応えるために。


 そしてついに。


 勇者アーサーのギルド『スカイホーク』の門が、二人の前に姿を現す。


 新たな冒険の幕が、静かに上がろうとしていた。

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