「ともしび喫茶」です。

弦音はくあ

第1話「藍色の涙」

賑やかな繁華街の隅に、小さな灯りをともす店がある。

─”ともしび喫茶店”

そこには、ある条件を持った人だけが辿り着けると言われている不思議な店なのです。


客の居ない店の中、そこの店主である楓はカップの手入れをしていた。

ふと人影が目に入り、外に目をやった。

店の前のベンチにひとりの女性が座っていた。

女性の胸には、深く重たい藍色の渦が見える。


(─長い間、閉じ込めてた言葉を抱えている色…)


楓は扉を開き声をかける。


「よかったら、中で温かいコーヒーを。

少し…辛そうな色が見えたので…。」


「少しだけお話しませんか?」


扉が開いた瞬間、座っていた千佳子は”ハッ”となり、慌てて立ち上がっていた。

中に入るでもなく、店の外に座っていたのが気まずかったのでしょう。


(─色?)


急に声をかけられ、驚いたものの、どこか救われたような気持ちになり、中に入りカウンターへ座った。


「どうぞ。」


楓はそっと、千佳子の前に温かい湯気の立つトロリと甘い香りの

”やわらぎブレンド”を差し出した。


カップを受け取った瞬間、甘い香りに包まれ、ほんの少し胸の藍色が揺れた。


楓は静かに尋ねた。


「……どんな言葉が、胸の奥で止まっているんですか?」


千佳子は、また”ハッ”として楓の顔を一瞬見上げた。

コーヒーカップをキュッと両手で包み込み、

温かそうな湯気を見ながらゆっくりと話し始めた。


「…娘の…娘の美咲。高校生なんです。」


少し震えながら、千佳子はポツリポツリと語り続けた。


高校生の娘・美咲が学校へ行けなくなってしまった事。

学校に行けない事によって、勉強に遅れが出てしまう不安。

その不安から、辛い気持ちを抱えている娘に「学校へ行きなさい」と言い続けてしまった事。

それでも、美咲なりに頑張っている姿を見ると切ない気持ちになる。


「…美咲は、私の気持ちに応えられない自分を責めて…

顔すらも合わせられなくなってしまって…。」


コーヒーカップを握りしめる手に、一筋の涙が落ちる。


─藍色の涙


「……それでも美咲は、…少しでも私の気持ちに応えようとしてくれて…

せめて勉強だけは。って…オンライン塾の課題を必死にこなしていて…」


重く痛々しい渦巻く藍色は落ちてくる涙の数だけ、濃く、深くなってくる。


楓は千佳子の話を最後まで聞いた後、静かに一つ問いかけた。


「─その思い、その言葉、本当に届いて欲しいと願いますか?」


千佳子は崩れ落ちるように頷き、答えた。


「…はいっ…。届けたい…です。

ただ、あの子が幸せで…笑って過ごせれば……それだけでいいんです…」


その瞬間だった。


千佳子の胸の奥で、長い間閉じ込められていた藍色の渦巻きの中に、

フワッっと小さな光が生まれた。


その光はゆっくりと膨らみ、

温かく瞬きながら、テーブルに置いてあった”封のされた”封筒に、すぅっと吸い込まれていった。


千佳子は驚き、涙で溢れた目を丸くしながら息を飲む。


楓は微笑みながら、その封筒をそっと差し出す。


「─もし、言葉で伝えられなかった時は、この封筒を渡してみてください。

あなたの心の中にあった、言葉に出来なかった想いが詰まっています。」


楓は人の気持ちが色として見える。

産み落とされることのなかった言葉を引き出して封筒におさめる。

その瞬間をお手伝いしているだけ。


千佳子は封筒を胸に抱き、また静かに涙を流した。


***


家に帰り、美咲の部屋をノックする。


「……はい。」


美咲の声を聞くのさえ久ぶりな感じがする。


「…あの……開けるね。」


部屋をゆっくりと開けると、美咲は机に向かっていた。

塾の課題を必死にこなしている美咲の背中を見て言葉詰まった。


(─だめだ…言えない…)


鞄の中にしまい込んだ封筒を取り出す。


「…あのね……美咲…。

これ、…読んでもらえるかな?」


小さく”うん…。”と言った後、美咲は封筒を開く。

…手紙を持った手が、肩が震えだす。



─学校に行けなくてもいい。

あなたが苦しまない道を選んでほしい。

あなたの幸せを一番に願っているよ。

ごめんね。─



「…お母さん…。これ…これがお母さんの本当の気持ちなの…?」


「…ええ。…もっと早く言いたかったんだけど…ごめんね…」


千佳子の胸の中の藍色が、優しい桜色へと変わっていく。


「……ありがとう。

ずっと…、ずっと…言ってほしかった。」


二人は静かに抱き合った。

藍色は完全に消え、温かい優しい桜色が胸いっぱいに広がった。


***


その日の夜、ともしび喫茶の灯りは

いつもより少しだけ暖かく優しく揺れていた。


本当に言いたかった言葉は─

本人が気づいた時、それを伝えられた時に─

一番綺麗な光になる─


楓は温かそうな湯気のたつコーヒーカップを両手で握り、

静かに微笑む。


あなたの心の色、お届けします─


その灯りは、

今日もどこかで悩む誰かへ向けて、

そっと優しく灯っていた。

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「ともしび喫茶」です。 弦音はくあ @turunone_hakua

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