あなたのためのダイイングメッセージ

ゆいゆい

第1話 あなたのためのダイイングメッセージ

「…………“ダイス”」

 床に残された血液で書かれた文字を、新米刑事の大野裕太がしゃがみ込みながら読み上げる。薄くかすれる文字は、被害者の岩田徹が息絶える直前に自身の血液で書いたものだ。

「“死の目”ってことか?」

 背後で腕を組んでいたベテラン刑事の花尾爽太が眉をひそめた。「サイコロの“ダイス”……あるいはアーティストの名前かもしれないな」

「アーティスト?」

 大野が花尾を見て聞き返す。

「お前、そんなものも知らねえのか。48にもなる俺が知ってるのによ。音楽の勉強もサボらねえでやっておくんだな」

「は、はぁ……」

 大野には何のことかさっぱりだった。

「被害者の岩田のカバンを覗いたが、アーティストのグッズでいっぱいだった。どうやら、交際相手の大和田楓も熱烈なファンだったようだ」

「そうなんですか。で、ダイスとそれに何の関係が……?」

「さあな。むしろ、ホシの名前を書く途中で息絶えたっていう流れのほうがよっぽど腑に落ちる」

 花尾は床の字をのぞき込んだ。角ばった “ダ” の起筆が妙に重く、最後の “ス” は掠れて途切れていた。

「つまり、工藤大輔ってことですね」

「あぁ、そういうことだ」

 花尾はニヤリと笑って廊下に続く扉に視線を向けた。その先にある応接室には、被害者岩田徹と一夜を共にした7人の男女が静かに待機し、そして順番に事情聴取を受けていた。その中には、被害者の交際相手であった大和田楓や、先程名前があがった工藤大輔の姿もある。


 殺害現場になったのが、交際相手である大和田楓の自宅。高校時代にバドミントン部の同級生であった彼らは大学を卒業してからも交流を続けており、大和田家にて宅飲みをしていたのだ。自宅に住むのは楓1人ではあるが空き室が多く、皆で1泊していくのが慣例となっていた。

 岩田徹の遺体が発見されたのが朝8時。なかなか姿を見せない岩田を心配した全員が、彼が眠っていた部屋を訪れ、そして事件が発覚したのだ。徹は床に倒れており、首元をナイフで斬られたようであった。出血がひどく、襲われて数分もしないうちに絶命したのではないかというのが警察の見解であった。


「よし、ここは工藤大輔を重点的につついてみよう」

「いいんですか。メッセージはもしかしたらホシが残したものかもしれないのに」

「だとしても工藤を無視する理由にはならないだろう。大野、それを伝えてきてくれ」

「はい。わかりました」

 花尾の指示に大野は従い、犯行現場の部屋から姿を消した。上司の指示に逆らうなど、この世界においてはご法度なのだ。

「さて、何が出てくるやら。このメッセージが真実を告げてくれていればいいのだが」

 あごひげをいじった花尾も、しばらく現場を睨み続けると、やがて部屋を後にした。そして、慌ただしく警察が作業をしていた家屋も夜を迎え、ようやく静けさを見せた。



「かぁぁーー、やっちまったよーー」

 頭を抱えて犯行現場のフロアに座っていたのが被害者岩田徹である。もっとも、彼は既に死んでしまっているので、そこにいるのは正確に言えば彼の霊体である。

「まさかさ、スの字を書く前に力尽きるなんて……最期に僕は何てチョンボをしでかしてしまったんだ。僕は……ただ、「大好き」って楓に伝えたかっただけなのに!」

 徹はぼやき続けた。彼はどれだけ手を動かしてもすり抜けてしまうばかりで、無力同然であった。ただ、視覚や聴覚は正常のままなので警察が大輔をマークしていることだけはわかっていた。

 

 徹は犯行時、犯人の顔を見ていなかった。ヘッドホンをつけながら漫画を読んでいたところを背後から襲われ、抵抗する間もなく死んでしまっていたのだ。

 意識が朦朧としていた徹は最期の最期に考えた。「せめて、楓に好きって伝えて死にたい」 

 徹は交際2年になる彼女を思い浮かべた。

 徹がカタカナで書き始めた理由は彼自身にもはっきりとしていない。画数が少ないので、自然とカタカナを選んだのだろうと自己分析した。漢字だったなら、大輔に疑いがかからない可能性もあったのに。徹は、カタカナを選択してしまったことを後悔したが今更どうしようもなかった。彼が犯人でなく、疑いが晴れることを祈るばかりだった。

 徹は困ったことに部屋を出ることができなかった。これが地縛霊ってやつか、と徹はわりとあっさり受容していた。ただ、部屋の外で捜査がどのように進展しているかだけが気になってしかたなかった。



 キイ……

 木製の扉がゆっくりと開いた。そこにいたのは、楓だった。両目が赤くなっており、明るく自由奔放な彼女の面影はまるで感じられなかった。

 事件が起きたばかりだというのに、もう部屋に入ってもよいのか。そんなことを考えはしたが、どうでもよかった。楓に会えた。徹としては、それだけでよかったのだ。

 電気をつけた楓は、まだ部屋に残るダイイングメッセージをじっくりと見つめた。そして、かすかに聞こえる声で一人言を話し始めた。

「徹…………きっと、ダイスキって書きたかったんだよね。ありがと。あたしも好きだったよ」

 はっとした徹はその言葉に感激した。楓には伝わっていた。俺が、最期に遺したこのメッセージの意味が。そう、楓だけには。


 徹は、身体が一気に軽くなった感覚がした。大輔がその後どうなったのか、犯人が誰だったのか、そんなことどうでも良くなっていた。楓に愛を伝えられた、徹の脳はもはやそれしか考えていなかった。

 徹の身体が少しずつ透け始めた。あぁ、これが成仏ってやつなんだな。徹が意識したときにはもう身体はすっかり消失してしまっていた。

 

 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたのためのダイイングメッセージ ゆいゆい @yuiyui42211

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画