第2話 善き行い

 マンホールの下の地下通路は迷宮のように広がっており、たくさんの刺客が潜んでいる——筈だった。

 第三次大戦時、本土決戦に備えて作られた地下の要塞。


 免疫機構イミュニティと名乗るテロリスト集団はそこをアジトとして占拠したのであった。

 だが、俺たちの足音を遮るものは、何一つなかった。コンクリートの壁からは、錆とカビ、そして古い潤滑油の匂いが染み出している。かつて本土決戦を想定して掘られたこの穴は、今や都市の排泄器官のように淀んでいた。


 「……気味が悪いわね」

 レイが呟き、無意識に自分の二の腕をさする。彼女の手は、いつでも能力が使えるように開かれているが、その指先は地下の冷気に強張っているように見えた。


 彼女の能力は丸腰でも威力を発揮する。しかし、その両足太もも付近にはナイフが二本括り付けられていた。

 それが、彼女の人間性の発露のように俺には思えた。


 「想定される構成員は三十名以上。なのに、見張りの一人もいないなんて」

 「歓迎されているんだろ。あるいは、間引かれたか」

 「間引く? 誰に?」

 「組織の自浄作用だ。……ウイルスは、宿主を殺しすぎないように数を調整する」


 俺は足元の埃を見る。新しい足跡はない。つまり、ここには最初から「選ばれた人間」しかいないのか、それとも俺たちが来る前に「処理」が済んでいるのか。


 『免疫機構』。全くふざけた名前だ。社会に抗体を作るための必要悪気取りか、それとも自分たちが社会の病巣を食い尽くす白血球のつもりか。どちらにせよ、テロリストの自己正当化ロジックには反吐が出る。


 「マコト、あそこ」


 レイの声が緊張を帯びる。

 迷宮の最奥。かつての地下司令室と思しき重厚な防爆扉が、わずかに開いていた。隙間から漏れ出す光は、誘蛾灯のように頼りなく、そして致命的に俺たちを招いている。


 「……罠だと思うか?」

 「罠でしょうね。でも、踏み抜くしかないわ。それが私たちの仕事でしょ」

 レイは強がって笑ってみせるが、その指先が微かに震えているのを俺は見逃さなかった。

 彼女は正常だ。この異常な静寂に恐怖を感じている。恐怖を感じない俺の方が、どうかしているのだ。


 俺はホルスターから愛銃を抜き、スライドを引く。

 「行くぞ。……過程は省略する。扉を開けた瞬間、終わらせる」

 「了解。……死なないでよ」

 俺は無言で頷き、分厚い鉄の扉に手をかけた。

 その向こうに、この国の「病巣」が待っている。


 扉を蹴破って、男を確認。瞬間、俺は発砲。

 ——仕事は終わった、筈だった。

 

 「いきなり発砲とは……全く、賀茂の教育はどうなってる?」


 男は、本から目を離しもしない。彼がページをめくろうと指を動かした瞬間、俺の放った銃弾は、まるで最初からそこにあったかのように、コトリと音を立てて机の上に落ちた。


 やはり、一筋縄では行かないか。


 俺はため息を吐きながら、もう一度銃を構えた。

 「ど、どうして賀茂さんの名前を?」

 「おや、氷川怜さん、声が震えてるよ。そこの霞川くんみたいに、戦いの準備をした方がいいんじゃないか?」

 「うるっさいわね!! できてるわよ!!」

 そう言って彼女は右手を鳴らした。瞬間、炎の渦が男を囲み、辺りが真っ赤に照らされた。

 もう一度氷川が指を鳴らす。立ち上っていた炎は一瞬にして消え、黒い炭だけが残った。

 「おい、氷川、資料は燃やすなって——」

 「わかってるわよ、アンタ、何年働いてると思って——」

 「君たち二人とも3年目だろう? 挨拶なしでの能力発動。若いね」

 声が、後ろから聞こえた。


 「俺たちの名前を知るテロリストか、リストにはなかったな」

 指パッチンの音。炎が、再び男を包み込んだ。

 「本当にそうかい? 多分、殉職者リストには載ってると思うんだけどね」

 「……なるほどな、OBか。知ってるか? 卒業後も顔を出してくるOBは、現役生に嫌われるんだぜ」

 続けて二発発砲。

 薬莢やっきょうが落ちる音と同時に、弾丸も床に落ちる音が聞こえた。

 やはり、当たっていない。

 「君にまだ、人を嫌うっていう感情が残っているのか、僕には疑わしいんだけどね」

 「……アンタ、なんでそれを!!」

 「僕は君たちのことは、なんでもわかるんだ。始めまして、僕の名前は布川善行ぬのかわぜんこう。君らの正義と僕らの正義、どちらが善き行いか、白黒付けようじゃないか」


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