ヴァンパイアの幸茶館(コンテスト用)

ゆちば@『サンタ令嬢』連載中

ヴァンパイアの幸茶館

 あぁ、喉が渇きました。

 こんな時はお茶をするに限りますね。

 え? お前が飲むのは人間の生き血だろうって? 何をおっしゃいますか。

 私はここ三百年余り、人血をすすることを自ら禁じているのです。

 だって、吸血なんて品性を欠く行為だと思いませんか? 

 歯で空けた程度の小さな穴から満足な量の血を吸い上げるために、いったいどれほど必死にちゅうちゅうしなければならないのですか。 


 いえ、私が吸血下手だとか、そんなことの真偽はどうでもよいのです。


 私は気づいてしまったのです。

 気品溢れる紅茶の香りが、とびきりのお客様を招き寄せてくれることを。

 私はそのために、この【宵闇幸茶館】を始めたのですから。


 紅葉の缶の蓋を開けただけで、ほら。聞こえますでしょう?

 生きの良い人間の足音が。

 では、私はお客様をお迎えする準備をいたしますので、お話はまた――。




 ◆◆◆


 「ようこそ、かぐわしき生贄様」


 待ち構えていたかのようにしてドアの傍に立っていた、妖しい雰囲気をした男の店員。心の準備が足りていなかった俺は、面を食らってしまった。


「い、生贄?」

「はい。お客様は生贄様ですから」


 男性店員は、人当たりの良い穏やかな微笑みを浮かべていた。顔を引き攣らせている俺とは正反対だ。


 まさに異文化。

 17年生きてきて初めて、俺はコンセプトカフェという場所にやって来ていた。


 俺の家から徒歩圏内にあるこの店は、【宵闇幸茶館】という名前の紅茶専門店……らしい。幸せのお茶の館だなんて、えらくハッピーな名前だ。


 外観は良い言い方をすると、歴史のありそうな洋館。悪い言い方をすると廃墟。

 手入れのされていなさそうなツタが、古びた壁を這うように生えていて、不気味極まりない。ここを出入りする人も見たことがなく、俺はつい今まで、放置されている廃墟だと思い込んでいた。


 けど、一歩中に入ってみると、店内は温かみのあるシャンデリアで照らされていて、家具などは濃い茶色をしたアンティーク調で統一されていた。


 なんだかヨーロッパのお屋敷に連れて来られた気分だ。実家が日本家屋の俺は、そわそわと落ち着かない。多分、アレだ。昔の英国貴族がお茶会をしてるような場所。


 まぁ、つまり、庶民の不良高校生の俺には馴染まない、上品な空間というわけだ。

 ドレスコードがあるかは分からないが、金髪にピアス、やる気なくだらりと制服を着ているような高校生なんて、絶対にお呼びでない。


(居心地わりぃ……)


 席へと案内されながら、店員の美しい横顔を眺めた。


 肌が白い。ちょっと病気っぽくらい。

 目が赤い。多分、カラーコンタクトだろうが、まるでルビーみたいだ。

 耳の形はやや尖り気味。話す時にチラッと見える八重歯はもっと尖っている。

 服装の主張が強い。肩から羽織っている黒マントがよく目立つ。

 あとは、すごいイケメン。

 鼻筋がスッと通っていて、切れ長の目と薄い唇に色気がある。単純に顔が整っているだけじゃなくて、妖しい雰囲気がある。


 どこまでが元々のもので、どこからが作られたものなのかは分からない。だがとにかく、何もかもが〝ヴァンパイア〟っぽい。


「あ、申し遅れました。私、当店の紅茶師、ブラッドリー・フォン・バニスター三世と申します。以後お見知りおきを」


 振り返りながら、店員が微笑む。


「ブラッドリ……えーと、なんとかスターさん?」

「お気軽にブラッドリーとお呼びください。念のためにお伝えさせていただきますが、当店のカーテンは決して開けぬようにお願いいたします。私、太陽の光が苦手なもので」


 太陽はヴァンパイアの弱点だ。これくらいは俺にも分かる。


 ヴァンパイアは人間の血を吸い、栄養源にする不死の存在だ。太陽の光や十字架、ニンニクに弱いという設定は世界中で有名だ。


 この【宵闇幸茶館】はきっと、ヴァンパイアの館をコンセプトにしたカフェだ。

 俺はメイドカフェくらいしか知らなかったけど、コンカフェにはこういう変化球もあるわけか。ブラッドリーさんの演じっぷりに素直に感心する。


「はーい、気を付けまーす。ついでにニンニクとか十字架も持ち込みませーん」

「おや。まさか事前学習を済ませておられるとは……。お気遣い痛み入ります」


 俺の舐め腐った態度に気を悪くする様子もなく、ブラッドリーさんは穏やかな口調で答えてくる。やれやれ。世の中、色んな仕事があるもんだ。

 ブラッドリーさんには悪いが、俺はヴァンパイアのカフェには一ミリも興味がない。ここに来たのは、ネタ集めのためだ。


 俺には、怜音と健斗という友達がいる。

 怜音はPC弄りが得意なリーダー。健斗はお笑いが好きなムードメーカーだ。

 俺たちは校則を破って髪色を明るく染め、気分で授業をサボり、もちろん勉強はからっきし。けれど他校の不良と喧嘩をするほどの度胸はない。ただ毎日を楽しく過ごせればそれでかまわないような、いわゆるマイルドヤンキーというやつだった。


 そんな俺たちのブームは、心霊スポットやいわくつきの建物の中を探索して撮影、そして動画にして配信することだ。

 チャンネル名は、「お憑かれDKチャンネル」。

 といっても全員、面白おかしく暇つぶしをしたいだけ。配信はお遊び感覚だった。


 始めは閉鎖されたトンネルへ行ってみた。けれど特に収穫はなく、編集でホラーっぽい演出を加えた動画を配信したが、予想通り不発に終わった。


 だが、懲りずに配信した二本目の動画――深夜の神社に参拝した動画が、とんでもなく大バズりした。


 動画に、白い火の球が映り込んでいたのだ。


 紅葉の木の周りをビュンビュンと横切る謎の火の球は、まるでイキの良いトビウオのような動きをしていた。

 俺たちはライトの映り込みだと思っていたのだが、動画がたまたま有名なインフルエンサーの目に留まり、「コレ、ガチじゃね?」というコメントと共に世界中に拡散。あれよあれよという間に、俺たちのチャンネルは大人気になった。


 怜音はこの勢いを逃したら駄目だと言い、立て続けに新しいオカルト動画を配信した。連日深夜に呼び出される俺と健斗は、「眠い」「意識飛ぶ」などと散々文句を言っていたが、そんな会話も含めて動画は大ウケした。


「レオンの声、脳が癒やされるゥ」

「ケント、トークスキル神かよ」

「ジュンヤの半笑い好きww」


 俺は知らない相手から推されること戸惑って、正直身バレしないかという不安の方が大きかった。

 もし本名や住所を特定されてしまったら――?

 俺は悪いことばかりを考えてハラハラとしていたが、怜音と健斗は素直に楽しいと感じたようで、撮影にますます意欲的になっていった。


「ちゃんと編集してっから大丈夫だって。早く次の動画上げねーと。みんな待ってる」

「純也、どっかよさげな撮影場所探してくんね? 俺の喋りと怜音の編集で絶対、面白くすっからさ!」


 今朝、俺は上機嫌な二人からそんなふうにロケハンを頼み込まれ、断ることができなかった。友達が楽しんでいることに水を差したくなかったし、動画作りへの貢献度が一番低い自分に拒否権はないように思えたからだ。


 マイルドヤンキーは、波風を起こすことを嫌う。


 というわけで、俺はこの廃墟風洋館を覗きにきたが、実はそこがヴァンパイアのコンカフェだったという。


 いや、怜音と健斗なら、どんな形であれ面白いものにしてくれる気もする。「お憑かれDK、ヴァンパイアに出会う」ってタイトルと、ブラッドリーさんの後ろ姿のサムネ画像があれば――。


(写真、一枚だけ……)


 奥の席に案内された俺は、メニュー表を取りに行ったブラッドリーさんの背中にこっそりとスマートフォンのカメラを向けた。

 すると次の瞬間、画面が真っ白になった。


「⁉」

「残念ですが、私はレンズに映りませんので。内装の撮影でしたら、ご自由にどうぞ。拘りの家具でございますよ」


 妖しい笑顔が俺を見つめている。

 スマートフォンのレンズの前には、白い手袋に包まれたブラッドリーさんの手があった。


「あ……スミマセン……」


(今、カウンターの方にいたはずじゃ? 瞬間移動……⁉)


 俺は慌てて謝りながら、スマートフォンを引っ込めた。

 驚きすぎて、心臓がバクバクしている。


(勘違いだよな? 俺がぼんやりしてたから……)


 俺が傷んだ金髪をわしわしと搔いていると、ブラッドリーさんは「ふふふ……」と、妖しげに目を細めて微笑んだ。意味深な上にちょっと馬鹿にされたような感じがした。


(ま、まさかな!)


 俺は仕方なく「コンカフェは非日常体験だから」と、謎の理由で自分を納得させた。

 そして、手渡されたメニュー表を睨む。

 メニューは、日本語で書かれているくせに難解だった。紅茶専門店というだけあって、たくさんの種類の紅茶が載っている。

 アールグレイ、ジャスミンティーくらいはさすがに聞いたことがあったが、ニルギリやウヴァなど馴染みのない茶葉がわんさか書かれていた。


(俺、マジ場違い感パネェ……。パッと飲み食いして帰ろ……って、値段たっけぇ‼ これって一杯の値段?)


 コンビニのバイト一時間でようやく千円ちょっとを稼いでいる高校生には、ぶっちゃけきつい価格設定ばかりだった。


 紅茶の値段の相場なんて知らない。

 けど、聞けない。

 きっと、「こいつ、金なさそうだと思ったら、やっぱりないんだ」と思われる。

 しかも、この店は実家の近くだ。今後、道端なんかでブラッドリーさんに再会する可能性も高い。会うたびに気まずい思いをするなんて、絶対に嫌だ。

 とにかく一番安い値段のものを頼んで、それで財布のダメージを抑えるしかない。


(なんかねぇのか、安いやつ……あっ!)


 目を皿にして見つけたのは、最後のページに地味に小さく載っていた〝かぐわしきスイーツセット〟。値段はなんと700円。


(なんで紅茶単品より安いんだ? 紅茶もスイーツもミニサイズとか?)


 俺がメニュー表を睨みつけていると、いつの間にかカウンターの向こう側に移動していたブラッドリーさんが、「それは――」と徐に口を挟んだ。


「私のおススメをご提供させていただくので、他のメニューよりもお安いのですよ。お試し価格というやつでございます」


(えっ⁉ その距離から見えてんの⁉)


 俺のいるソファ席まで数メートル。メニュー表の文字はまぁまぁ小さい。よく俺が見てた箇所が分かるもんだ。ヴァンパイア設定より、アフリカのなんとかって部族の方が近いんじゃねぇの? なんて思いながら、俺は「じゃ、それ一つ……」と、例の〝かぐわしきスイーツセット〟を歯切れ悪く注文した。


「かしこまりました。生贄様」


 ブラッドリーさんのルビーみたいな目が妖しく光り、白く尖った八重歯がチラリと覗く。


 ブラッドリーさんがキッチンで作業を始めると、こちらを見られていないという感覚でちょっと緊張が解けた。

 俺は元々、誰かとすぐに打ち解けられるような陽気な性格じゃない。どちらかというと内向き。気を許せる相手と愉快に過ごせたらそれでいいし、そのためだったら自分の意見は多少飲み込むこともある。

 これまでは、その内向きな性格で損をすることが多かった。


 今回のネタ探しも、まさにそれだ。

 友達との関係を優先し、言いたいことを吞み込んで、放課後にわざわざ一人でロケハン。結果、居心地の悪いコンカフェで貴重な700円を失うという。これが動画のネタにならなければ、骨折り損もいいとこだ。


 しかも、今日はすでに面倒なことがあったという意味で、俺は骨折り済みだった。

 家に帰った時、玄関で待ち伏せていたオヤジと大喧嘩をしてしまっていた。俺がいつまで経っても進路を決めずにいたからだ。


 オヤジは自営業で、この時間はいつも店に立っているはずだった。だが、クラス担任から直々に「純也君が進路票を提出しません」という連絡があり、俺を待ち構えていたと言う。


「純也、進路のことをどう考えてるんだ⁉」


 店の裏にある住まい用の玄関での一幕。

 眉間に皺を寄せて仁王立ちするオヤジVS不意打ちされた俺。


「アレだよ……動画配信者ってのになるんだよ! 今、ダチとやってて――」

「な⁉ 甘いにもほどがあるぞ! お前の脳みそはふわふわのカステラか⁉」

「変な例えやめろ!」


 何も考えていないと思われるのが癪で、適当に動画配信のことを口にしたら大炎上した。オヤジは「労働を舐めるな」「それがお前のやりたいことなのか?」などと、火が点いたように俺を責め立ててきた。


「っせぇっての‼ オヤジには関係ねぇ‼」


 後から思えば、俺の大声は店舗の方に聞こえてしまっていたかもしれない。その点はちょっと反省案件だ。


 けど、怜音と健斗は曲がりなりにも、一生懸命に動画配信をやろうとしている。俺はオヤジに友達のことまで馬鹿にされたような気がして、とてもじゃないが、怒りを腹の中に戻すことなんてできなかった。


 こうして俺は怒り心頭のオヤジを放って、その足で廃墟探訪に来ていた。

 つまり、ベースが不機嫌。もし〝かぐわしきスイーツセット〟が不味かったら、帰ってから予測されるオヤジとの再戦が激化すること間違いなしだ。


(あー、マジでイラつく……。オヤジのヤツ、こんな時だけ父親面しやがって)


 父子家庭の柱であるオヤジは、俺がガキの頃から働きづくめだった。朝早くから夜遅くまで店にいる。遊びに連れて行ってもらったことも、学校の授業参観に来てくれたことも一度もない。

 あまり話す時間もないまま高2になった俺のことを今さら話したくなんかなかった。


「お悩みごとですか?」


 一人で貧乏ゆすりをしていたら、背後から声が聞こえて飛び上がりそうになった。


「ぶぶブラッドリーさん!」

「ブブブラッドリーではなく、ブラッドリーでございます」


 もう注文の品を持ってきてくれたらしい。思っていたよりも早い。いや、他に客がいないからこんなもんかと、俺は縮み上がっていた心臓を必死に落ち着けようとした。


「別に、アンタには関係ねぇだろ……」

「そうですね。私には関係のないことでございます。ですが、〝かぐわしきスイーツセット〟は、憂いのない表情で召し上がっていただきたいものですね」


 ブラッドリーさんはムッと唇を尖らせている俺の前に、真っ白い陶器のティーセットとお菓子を置いた。


「和菓子じゃん!」


 俺は尖らせていた唇を引っ込めて、目を丸くしてしまった。

 ティーポットもティーカップも洋風なのに、スイーツがぽってりと大きなどら焼きだった。ご丁寧にナイフとフォークまで添えられて、どら焼きがいっちょ前にケーキ顔をしている。


「お嫌いでしたか?」

「いや……別にそういうわけじゃ……」


 てっきり気取った感じのケーキや焼き菓子が出て来るとばかり思っていた。

 すっかり拍子抜けしてしまった俺は、やや不服な思いでブラッドリーさんが紅茶をティーカップに注ぐ様子を見ていた。


 紅茶がティーカップ一杯だけじゃなくて、ティーポットいっぱいだったのは、ちょっと嬉しい誤算だ。まぁ、だからといって、俺に紅茶の良し悪しが分かるわけじゃない。正直、紅茶なんてどれも同じだと思っている。


 ところが、だ。


 ブラッドリーさんが俺に差し出してくれたティーカップからは、ふわりと甘い香りが立ち昇っていた。


「え……花とか入ってんの?」


 ティーカップに顔を近づけ、スンスンと匂いを嗅いでみた。単にいい香りの花じゃなくて、ちょっと葉っぱっぽい感じもする。


「若葉のような青さと花のような甘さが香りますでしょう? これはヌワラエリヤというスリランカ産のハイグロウンティーでございます」

「ヌワ……え?」

「高ぁいお山の上で育った紅茶です」


 なんだか小馬鹿にされた気分だ。けれど、細かい説明を聞くつもりも初めからなかったので、俺は適当に「ふぅん」と返事をした。


 ティーカップを持ち上げて、中を覗く。透き通るオレンジ色が綺麗だった。たしか琥珀色っていうんだっけ。

 まぁ、日本茶にだって種類があって、香りも色もそれぞれ違う。そりゃあ紅茶だって色々あるか……と雑に納得した。


「……いただきます」


 微笑むブラッドリーさんをチラリと見上げてから、俺はヌワなんとかという紅茶を一口飲んだ。

 ほのかに渋く、ほのかに甘い。嫌な渋さじゃない。ブラッドリーさんの「若葉のような青さ」という表現がまさにぴったりで、不思議と懐かしいような落ち着く味がした。

 この懐かしさはなんだろうとしばらく首をひねっていると、それこそ味が緑茶に似ていることに気が付いた。


(ガキの俺にはこの渋さの良さが分かんなくて、オヤジに『ジュースくれ』って駄々こねて喧嘩になって……)


 俺もいつの間にか、お茶の渋みの魅力が分かるようになってたのか。今ならオヤジとお茶論争は起きないのかもしれない。


「ふぅ……」


 オヤジとの思い出をぼんやりと思い出していると、温かいため息と一緒に声が漏れ出ていた。

 緩んだ顔をブラッドリーさんに見られたのではないかと思って焦ったが、見るどころか凝視されていて驚いた。


「じ、ジロジロ見てんじゃねぇよ!」


 恥ずかしくなって吠える。

 ブラッドリーさんは「おや、失礼いたしました」と澄ました表情を浮かべ、ティーポットのそばに置かれた陶器製のミルク入れを手で指し示した。


「お好みでミルクをどうぞ。ヌワラエリヤのミルクティーは、餡を使った繊細なお菓子との相性が抜群ですので」

「それって、人間の生き血より美味いんすか?」

「鉄味の人血などが、スイーツと紅茶の味わいに勝るわけがありませんでしょうに」


 当然と言わんばかりに言い返され、困らせてやろうとした自分を後悔した。

 俺は勧められた通りにミルクを紅茶に注いだ。オレンジ色だったお茶は白く濁り、まろやかな香りが立ち昇る。


(ミルク入れたくらいで、なんだってんだよ)


 マナーなんてクソくらえと思いながら、どら焼きを手掴みで頬張り、それをミルクティーで流し込む。

 そうしようと思った俺を一瞬止まらせたものは、口の中のどら焼きとミルクティーだった。


「んぐっ⁉」


 語彙力の乏しさが情けないが、口がびっくりした。

 どら焼きの生地と餡子の優しい甘さが、紅茶のほのかな渋さによって際立っている。ミルクのコクも相まって、よりまろやかでなめらかな味わいが口の中いっぱいに広がっていた。けど、後味はスッとしている。ヌワなんとかの爽やかな香りと風味のお陰かもしれない。


「うまっ!」


 あむあむとどら焼きにかぶりつく。

 ヌワなんとかとどら焼きの組み合わせが、とんでもなく美味しい。コーラとハンバーガー、映画館とポップコーンくらいベストなコンビだ。


 俺は元々、餡子のお菓子が好きだった。さっきのヌワなんとかだけじゃなく、このどら焼きからも不思議と懐かしい味がした。

 ミルクティー、どら焼き、ミルクティー……と交互に飲み食いをしていると、どら焼きの真ん中からごろっと大きな栗が出てきた。


「大きくて立派でしょう?」


 近くのテーブルを磨いていたブラッドリーさんと目が合う。


「栗どら、すげぇ好きで……。栗見つけた時、なんか得した気分になって、気分上がるじゃん……」


 観念して、ぼそぼそと返事をすると、ブラッドリーさんは嬉しそうに顔をほころばせた。漫画なら、「パァァッ」みたいな効果音の文字が書かれていそうなくらいの明るい笑顔だったので、正直ちょっと意外なくらいだった。


「分かります! 奥に秘めれていた栗が表に現れた時の高揚感……。味わいをいっそう美味にいたしますね……!」

「大袈裟っしょ」

「いえ。中を割ってみなければ分からないものは、非常に趣深いです。そして、たいへん暴き甲斐がございます。ガレット・デ・ロワに潜むフェーヴがいい例です。隠されていた状態の『秘すれば花』というべき魅力もございますが、やはり中を知らぬことには得られぬ感動があるかと」

「?」


 俺がきょとんと首を傾げていたからか、ブラッドリーさんはコホンッと咳払いをひとつした。ちょっと興奮気味だった表情は再び落ち着き、改まった態度で口を開く。


「人間の感情と似ていると思いませんか? 胸中に秘められた想いは見えずとも美しいですが、口にすると得も言われぬほどに美味でございましょう?」

「いや、美味って……感情、食ったことあるみたいに言うじゃん」

「いえ。食べ物ではなく、飲み物でございます」

「設定盛りすぎ」


 俺は耐えきれず、プッと吹き出してしまった。

 相手も釣られたようにクククと喉で笑っている。笑い方も妖しい。


 まぁ、それでも。


(和菓子好きに悪い奴はいねぇよな……)


 俺は残りの栗どらやきを名残惜しい気持ちで口へと放り込むと、優しい甘さを堪能しながらティーカップを傾けた。


 幸せの詰まった味を咀嚼しながら、和菓子のことを思った。

 俺のオヤジは和菓子職人だ。

 飽きずに一人で餡子を焚き、和菓子を作り続けている。

 俺は絶対に言わなかったが、オヤジの焚く餡子の柔らかい香りも、繊細で優しい和菓子の味も大好きだった。


(そうそう。ちょうど、こんなどら焼きも……)


 俺は懐かしい味をゆっくりと吞み込んだ。


 いつだったっけ。


 たしか、お袋が死んでからしばらく、オヤジは店を閉めていた。頑固なオヤジが珍しく落ち込んでいて、俺は「店、手伝うよ」と声をかけた。そうしたら、「お前に手伝わせたらどら焼きの口が閉じねぇよ」と、乱暴に追い払われた。

 当時、反抗期だった俺は「誰が和菓子なんか!」と怒って言い返し、それ以来店に近づくことはなかった。


(でも、あの時の俺の本心は――)


 俺の胸の中にあった栗は、気遣いの塊なんかじゃなかった。


 俺は昔からずっと、オヤジに憧れていた。黙々と餡子を焚いて、生地を焼いたり、餅を捏ねたり……。夜までずっと働き通しで、寝ている時でも和菓子のことで頭がいっぱいのオヤジのことをかっこいいと思っていた。


(ほんとは手伝いたかった。そりゃもちろん、自分が役に立つなんて思ってなかったけど……俺はオヤジと和菓子が作りたかった……。いや。今もそれは変わってねぇや……)


 怜音と健斗は進学せずに地元で就職して、地域を盛り上げるような動画配信を続けたいと言っていた。「純也もそうしようぜ」と、誘ってくれた。 

 やりたいことが見つからない俺が、なんとか高校生活を送れているのは親友二人のお陰だ。

 怜音と健斗と一緒にいたら、無敵みたいな気持ちになれる。


 そんなかけがえのない二人からの誘い。

 大人になっても友達だと言ってもらえたようで、俺はとても嬉しかった。


 けど、自分の本心と向かい合って分かった。

 俺はオヤジと和菓子を作りたい。それが俺の“やりたいこと”だ。


(俺にも作れるかな、この栗どらみてぇな和菓子……)


「これ、すげー美味かったっす。手作りっすか?」

「いえ、滅相もない! 私はしがない紅茶師です。お菓子は作れませんので、近くの店から仕入れているのですよ。こちらは【うめひら堂】の秋の定番、栗入りどら焼きでございます」


 俺は一瞬ぽかんとして、その後腹を抱えて大笑いした。


 俺の名前は、梅平純也。

 どおりで懐かしくて美味い味と思ったわけだ。


「いつか、俺の和菓子も置いてほしいっす。だからその時まで店、続けてください」

「心配はご無用です。私、あと百年あまりはこちらにいるつもりですので」


 ◆◆◆


 それから一年? いや、十年?

 不死に等しい時を生きる私にとっては、わずか数十年など棺桶でうたた寝をしている時間と変わりません。


 とにかく、しばらく経ったある秋のことでした。

 店に古い友人が訪れました。彼はとある神社を住まいにしている妖狐です。


 以前、配下の管狐たちが遊んでいたところ、それをうっかり人間の若者たちに撮影されてしまい、動画配信後に神社に見物客が殺到していたことがありました。彼や管狐たちは、騒がしくてたまらないと悩んでおりました。


 当時、私は「人間は飽きやすい生き物だから問題ない」と、彼らを励ましていたのですが、どうやら今では元の平穏が戻っているとのことでした。


 なんでも、その動画を配信していた若者たちがもっと面白い動画を上げ始め、人間の興味が移り変わっていったそうです。訊くと、メンバー三人のうち、一人は不定期参加となったものの、コンセプトカフェなるお店を巡る動画が大人気だとか。


 友人は近頃神社に美味しいお菓子が供えられているのだと、嬉しそうに話してくれました。形は少々いびつですが、ほっこりとする味なのだそうです。

 今日は彼がそのお菓子をお土産に持ってきてくれたので、私は秘蔵のお茶を淹れることにしました。


 ただのお茶ではございません。人間の抱く幸福感情の葉をちょっぴりだけ摘み取らせていただいて作るお茶――私はそれを〝幸茶〟と呼んでおります。


 私にとって幸茶は、人間の生き血に代わる飲み物。

 そのかぐわしき香りと奥深い味にすっかりは執心しております。


 そんな幸茶の中でも、いつかの日のために熟成させていた逸品の缶の蓋を開けると、それだけで店内は幸福な香りに包まれました。


 自らの本心を見つけた、若く青い人間の感情の香り……あぁ、とても素晴らしいですね。早くお茶にいたしましょう。



 きっとこのお菓子と合うでしょう。

 この大きな栗の入ったどら焼きと。

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