囁きは、反逆の宿罪

蒼井シュンスケ

第1話 昔聞いた音

​ 閃光の尾が視界を切り裂いた。

​ 次の瞬間、佑真の背中は硬い草地に叩きつけられ、息が詰まる。

​ 何とか体を起こし、辺りを見回した。

​ 風の匂いも、太陽の角度も、どれ一つとして記憶にない。

​ ここは見晴らしの良い草原のようだ。土は赤みがかり、草は奇妙なほど硬い。

​ 地面に手を付くと、ざらりとした砂粒の感触がした。

​ 混乱した頭で、ここが自分の知る地球ではないことを悟る。

​ 右手遠くには、見知らぬ工場群の煙が立ち上り、左手には、高層建造物が整然と並ぶ都市が見える。どちらも遥か遠くだが、空気が澄んでいるせいか鮮明に見えた。

​ 中央には巨大な山がそびえ、その裾から三本の川が、都市の中心を貫くように流れていた。

​ 空は青いが、その青の色調すら、どこか違和感がある。


​「……どこだ、ここ……まさか、本当に……」


​ ここにいても仕方がない。そう思い、一歩踏み出した途端、

​ 地平を裂くような金属音が響いた。

​ 草原を走る黒い車両が、一直線にこちらへ突っ込んでくる。

​ 逃げる暇などなかった。武装した男たちが瞬く間に周囲を囲む。


​「ファル、グレンッタ!」

​「デュラ、ヴェローラッカ!?」

 怒号が飛ぶ。だが佑真には一語さえ理解できない。

​ 聞いたことのない発音。日本語でも英語でも、どの国の言葉でもなかった。

​ 困惑している間に、手首へ冷たい拘束具がはめられた。

​ 抵抗する間も、理由を尋ねる余裕もないまま、佑真は車両の後部へ無理やり押し込まれる。

​ 世界は、もはや元の場所ではなかった。

​ およそ三十分は経っただろうか。

​ 硬いシートに揺られ続け、横の小さな窓に映るのは遠ざかる木々と舞い上がる砂埃だけだった。

​ どこへ連れて行かれているのか、皆目見当もつかない。

​ 車内は無言だった。隣に座る男の重く冷たい視線を感じる。

​ 自分の身に起こったことを信じたくない。

​ 閃光を浴びて、目が覚めたら異世界。

​ まるで稚拙な物語だ。

​ だが、この手枷の冷たさ、男たちの敵意、そして何より通じない言語が、すべて現実だと叫んでいた。

​ 目的地がどこであれ、歓迎されない客であることは確かだ。

​ このまま、誰にも知られず、この世界で消えていくのだろうか。

​ 絶望にも似た感情が、胸の奥で鉛のように重くなる。

​ やがて車両は金切り音を上げて停止した。

「ヴォルケッ!」


​ 隣に座っていた武装した男がそう言い放ち、手枷から延びる鎖を乱暴に引く。

​—降りろ、という合図だ。

​ 外に出ると、灰色の建物が無言で佇んでいた。入口までは足音だけが響く。

​ 重い扉をくぐると、そこは無機質なロビー。警備員らしき者が二人、無表情のまま立っている。

​ 男に腕を引かれ、エレベーターへ押し込まれる。

​ 金属製の扉が閉まり、機械的な振動とともに上昇を始めた。

​ チン、と乾いた音が鳴る。

​ 扉が開くと、薄い灰色の廊下が真っすぐ伸びていた。

​ 男は何も言わず歩き出し、佑真も鎖に引かれるように続く。

​ エレベーターホールを回り込むように右に曲がり、さらに廊下の隅で右に曲がる。

​ 二度角を折れると、廊下の突き当たりに一枚の扉があった。

​ 男はその扉を開き、無言で中へ押し入れた。

​ そこは、いかにも取り調べ室といった薄い灯りの部屋だ。

​ 中央に金属製の机、そのこちら側に椅子が一つ。

​ 奥の壁にはマジックミラーらしき黒いガラスがはめ込まれている。


​「…アシェル」


​ 男に促され、佑真は椅子に腰を下ろした。

​ 扉を押し開けた武装した男が机を挟んだ向かい側に立ち、腕を組んだまま壁だけを見つめている。逃げ出さないか監視しているようだ。

​ 時間の感覚がなくなる。五分か、もっとかもしれない。

​ 部屋の空気は冷たく、時計の音すら聞こえない。

​ 突然、扉が強く叩かれた。

​ ノックというより、殴りつけるような轟音。

​ 扉がゆっくり開く。

​ 細い眼鏡をかけた男が、薄い端末を片手に入ってきた。

​ 一言で言えば、インテリヤクザ。

​ スーツは皺一つなく、無駄のない歩き方。

​ だが眼鏡の奥の瞳だけは、妙に冷たく研ぎ澄まされている。

​ 男は部屋の温度を一瞬で変えた。

​ 怒鳴り声も威圧もないのに、空気が張りつめていく。

​ 端末を軽くタップしながら、男は低い声で問いかけた。


​「……デル・アシェン=コル?」


​ 問いかけらしい。だが意味はわからない。

​ 男は視線を上げ、佑真をじっと観察する。

​ まるで“生物標本の価値を吟味する”ような無機質な目だ。

「……アヴォ・グレンタ=レス?」


​ 何度か言葉を投げかけるが、一言も理解できない。

​ それどころか、発音の規則性すら見えない。

「すみません……何を言っているのかわかりません……」

 男は微動だにしなかった。

​ ただ一瞬、眼鏡の奥の瞳がわずかに細くなる。

​ その目には――敵意でも、怒りでもない。

​“疑念”と、“確信に近い興味”が混ざり合っていた。

​ 男は無言のまま、手にしていた金属製の装置を机の上に置いた。

​ ヘッドホンにも医療器具にも見えない奇妙な形をしている。

​ 別の男が近づき、佑真の頭を乱暴に押さえつけた。

​ 装置が側頭部に押し当てられる。冷たい金属片が耳の後ろに沿って広がり、

​ 肌をつまむような感触が走った。

​ 次の瞬間、小さな振動音が耳元で震えた。

​ 機械が起動したのだろう。

​ だが、それはすぐに不快な電子音へと変わる。

​ 耳障りなビープ音に合わせるように、装置のランプが赤く点滅し始めた。

 ……エラー、か?

 意味はわからないが、うまく動いていないのは火を見るより明らかだ。

​ 眼鏡の男が、手にした端末をのぞき込む。

​ だが佑真には、画面までは見えない。

​ ただ、男の指が何度か画面を滑り、そのまま動きを止めた。

​ 室内の空気が、さらに重くなる。

​ 装置はすぐに外された。

​ 触れた部分がまだ冷たい。金属の匂いが微かに残る。

​ 男たちは短い言葉を交わしたが、その意味はまったくわからなかった。

​ 怒っているのか、困っているのかすら判断できない。

​ 突然、手枷の鎖が強く引かれた。

​ 立ち上がらされ、何の説明もないまま部屋の外へ連れ出される。

​ 廊下を歩く金属音だけが響いた。

​ どこへ向かっているのか、どんな処分を受けるのか、想像も及ばない。

​ 案内されたのは、先ほどよりさらに狭い部屋だ。

​ 窓はなく、金属製の台とトイレが1つ置かれているだけ。

​ 背中を押されて中へ入る。

​ 扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。

​ 取り調べを受けるどころか、自分がどう扱われているのかさえわからない。

​ ただひとつだけ確かなのは、

​ —ここから自由には出られない、という現実だった。

 金属製の台に腰を下ろす。光がどこから漏れているのかも判然としない部屋だ。壁は冷たく、時間の流れはないようだった。

​ どれほどの時間が経っただろうか。空腹は感じなかったが、疲労感だけが全身を支配していた。

​ やがて、わずかな音と共に扉の下の隙間から、硬いパンと冷えた水が滑り込まされた。

​ 食欲はなかったが、生きるための本能が勝った。パンは妙に固く、味気ない。

​ そうして、眠りについたのか、意識を失ったのかもわからないまま、時間が過ぎた。

​ 次に扉が開いたとき、武装した男が二人、部屋へ入ってきた。彼らは無言で佑真の手枷を引き、外へ連れ出した。

​ エレベーターに乗り、再び上昇する金属の振動を感じた。

​ 扉が開き、降り立った廊下は、昨日と同じ薄い灰色だった。

​ 男たちは慣れた様子で廊下を進み、昨日と同じ一番奥の扉の前で立ち止まった。

​ 扉が開き、佑真は中へ押し入れられる。

​ 昨日とまったく同じ、薄い灯りの取り調べ室だ。

​ 中央に金属製の机、横の壁にはマジックミラーらしき黒いガラス。

​ 武装した男に促され、佑真は椅子に座らされた。

​ 男はすぐに部屋を出て、扉は閉じられた。

​ 再び、時間の感覚がなくなる。

​ 部屋の冷たい空気だけが残った。

 十分ほど経っただろうか。

​ 突然、扉が強く叩かれた。昨日と同じ、殴りつけるような轟音だ。

​ 扉が開き、インテリヤクザ風の男が、皺一つないスーツ姿で入ってきた。

​ 彼は昨日と変わらない冷たい瞳で佑真を一瞥し、そのまま机を挟んだ向かい側に立つ。

​ そして、彼の隣から一人の女性が部屋へと現れた。

​ 彼女は長い髪を束ね、白い上着を羽織っている。

​ 細身の体躯に不釣り合いなほど黒く大きなキャリングケースを抱えていた。

​ 女性は無言で黒いキャリングケースを机の上に置いた。

​ そしてケースを開き、中から昨日エラーを起こした装置を取り出す。

​ 彼女はためらいなく佑真へ近づき、その装置を柔らかな手つきで側頭部に押し当てた。

​ 冷たい金属片が肌をつまむような感触。装置からは小さな振動音が聞こえる。

​ 装置を装着させると、女性は一言も発さず、眼鏡の男に軽く会釈した。

​ そして、彼女は隣のマジックミラーの向こうへ姿を消した。

​ 取調室に残ったのは、佑真とレアンだけだ。

​ レアンは、机の上に置いてあった端末を手に取り、無言で数回タップした。

​ そして、昨日と同じように、生物標本の価値を吟味するような無機質な目で佑真を見つめた。

​ 彼の低い声が、部屋に響く。

「……デル・アシェン=コル?」


​ 装着された装置からは、昨日のような不快な電子音はしなかった。

​ だが、当然ながら、レアンの言葉は一語も理解できない。

​ 佑真はただ正直に、日本の言葉で答えるしかなかった。

「すみません……何を言っているのか、やっぱりわかりません……」

 瑞希の体から一瞬で血の気が引いた。

​ それは、十数年ぶりに聞く音だった。

​ 厳重な訓練と、長い歳月をかけて、異世界で生きるために心の奥底に封じ込めてきた、故郷の言語。

​ 彼女の脳内で、言葉の意味が翻訳された。いや、直通だった。

​ この世界の誰も理解しない、そしてこの場所で、誰も発するはずのない言語。

​ その発音、抑揚、そして選び取られた言葉一つ一つが、遠い故郷の記憶を鮮烈に呼び覚ます。

​ 瑞希は動けなかった。呼吸が浅くなる。

​ マジックミラーに反射した自分の顔は、青ざめていた。



​「…………日本語……?」


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囁きは、反逆の宿罪 蒼井シュンスケ @aoi_shunsuke

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