ラッシュ 拳力者達の国
@Toma_yumeno
第1話 ラッシュへの出張
「万津君、少し良いかな?」
巨大な工場地帯に、夏の日差しが降り注いでいた。国内有数の大手重工が誇るその敷地には、船舶や飛行機、鉄道車両を生み出す巨大な工場棟がいくつも並び、その傍らに、設計や開発を担うオフィスビルが建っている。
発電部門で働く若手社員、万津博樹は、上司に声をかけられ、部長のデスクの前へ足を運んだ。
「ええ、何でしょうか?」
部長は穏やかな笑みを浮かべた。
「君も入社してから4年だ。そろそろ海外での仕事を1つ、責任者として任せようと思ってね。」
「ありがとうございます!是非とも、やらせていただきたいです!」
海外でのプロジェクト責任者。それは、この部署で"1人前"として認められたという証だ。胸に込み上げる喜びと武者震いにも似た高揚感を覚えながら、博樹は深く頭を下げた。
「そう言ってくれると思っていたよ。君のような優秀な若手がうちに来てくれて、本当に嬉しいんだ。」
「いえ、そんなことは……」
「謙遜は要らないよ。インターンで君が来てくれた時、私は熱心に人事に頼んだんだ。最終面接まで来たら、絶対に雇ってくれ、とね!」
万津博樹の人生は、まさにエリート街道のそれだった。大学、大学院時代を通じてロボットコンテストで何度も優勝を果たした実力者であり、インターンシップでこの部署にやってきた際、当時の部長は彼の才能に一目惚れしていた。
「俺の方こそ、この会社のこの部署で仕事ができて、毎日が幸せです。それで、その仕事というのは?」
「おっと、話が逸れたね。少し遠い島国になるんだがね、ラッシュ共和国という国の発電所建設の仕事だ。発電機の設置工事の指揮に加わってもらう。期間は……お盆明けから一か月ほどになるが、問題ないかな?」
部長は、ラッシュ共和国の文字が踊る資料を手に取った。
「はい、大丈夫です。初めて聞く国ですが、しっかりと仕事をしてきます!」
「おう!よろしく頼んだぞ!」
博樹は部長から資料を受け取り、自分のデスクへ戻った。
「良かったな、これでお前も一人前だ。」
隣の席に座る先輩社員の久保が、軽く博樹の肩を叩いた。
「ありがとうございます。初めての海外出張で少し緊張しますが、頑張ります!」
「おう、頑張れよ!しかし、ラッシュ共和国か……聞いたことないな。」
「俺もです。なるほど、赤道直下の国なんですね……」
長期休暇で海外へ行くことも多い博樹だったが、ラッシュ共和国は完全に初耳だった。受け取った資料とスマホで軽く調べた情報によると、その国はパプアニューギニアとナウル共和国の間に位置する島国で、島の広さは日本の沖縄本島ほどだという。
「うわあ、お盆明けに行くんだろ?めちゃくちゃ暑そうだな。」
「まあ、ここ数年の日本よりは涼しいんじゃないですかね?」
博樹は来るべきラッシュ共和国での仕事に向け、期待と準備を胸に、仕事とプライベートが充実した日々を過ごすのであった。
そして、時は流れて8月下旬。
「疲れた〜」
時刻は午後3時半。ラッシュ共和国唯一の玄関口であるラッシュ空港に降り立った万津博樹は、疲労を滲ませながら入国ゲートへと向かっていた。日本からの直行便はなく、オーストラリアのブリスベンを経由しての約1日の長旅だ。移動時間の大半を睡眠とタブレットに保存したサブスクの動画視聴で過ごしたものの、凝り固まった肩を回しながら、彼は空港のロビーを歩いた。
(そうか、公用語は英語だったな。)
目に飛び込んできた案内板を見て、博樹は事前情報を思い出す。この国はかつてヨーロッパのある国の植民地であり、独立後も英語が公用語として使われるようになった経緯がある。
(にしても、なんか格闘技のポスター多くね……?)
違和感はすぐに確信に変わった。日本の空港で格闘技のポスターがこれほど大々的に張り出されるのは、有名ボクサーやRIZINファイターのビッグマッチが迫った時くらいだ。しかし、このラッシュ空港では、企業広告や観光案内よりも、様々な興行のポスターが壁面や柱を埋め尽くしている。
中でも、博樹の目を釘付けにしたのは、4週間後に控えたライトヘビー級タイトルマッチの特大ポスターだった。
王者レックス・タイガー対挑戦者サムソン・ベイル。その2人のファイターが強調されたポスターが、空港の主要なスペースを占有している。一般企業の宣伝ポスターがほとんど見当たらないその状況は、この国が格闘技というフィルターを通して運営されていることを、到着早々、博樹に突きつけてきた。
驚きを胸にロビーを横切り、入国審査のカウンターへ。
『入国の目的は?』
『仕事です。こちら、ビザです。』
応対したのは、日本のプロレスラーでもこれほどはいないだろう、というほどの隆々とした筋肉を持つ警備員だった。博樹は流暢な英語でやり取りを済ませ、ついにラッシュの地に足を踏み入れた。
「えと、あの人かな?あの~すみません、現地コーディネーターの方ですか?」
空港の出口付近に、博樹の会社名と彼の名前が書かれたプラカードを胸元に掲げた、自分より少し若いぐらいの年齢の男性が立っていた。現地での帯同スタッフを用意されていると聞いていた博樹は、彼がその人物だろうと思い、声をかけた。
男性は満面の笑みを浮かべた。
「ようこそ、ヒロキさん。現地コーディネーターのジャイロ・ラウです。」
「よろしくお願いします。ジャイロさん……って、日本語?」
驚きを隠せない博樹に、ジャイロは軽く肩をすくめて見せた。
「ええ、この国の国民の半分は、僕のように日本語を話すことができますよ。」
「部長から親日国だとは聞いてましたけど、まさか日本語を話せる方までいらっしゃるとは。心強いです。」
英語しか使えないと気を張っていた博樹は、一気に肩の力が抜けたのを感じ、口角が自然に上がった。
「この1か月間、僕に任せてください!」
「ええ、よろしくお願いします。」
2人は固く握手を交わした。
「さあ、まずはホテルに案内します。その後は、美味しいご飯でも行きましょう!」
「ええ、そうしましょう。」
ジャイロの運転する車でホテルに到着し、チェックインを済ませる。軽くホテル内を見て回った後、博樹は再びジャイロと合流し、酒場が軒を連ねる繁華街へと向かった。
「なんか、日本のものが結構多いですね。ジャイロさんの車も、ホテルの売店のカップ麺も日本の物でしたし。」
「日本の製品にはいっぱいお世話になっていますからね。インフラ整備なんかは、日本の企業にお願いしています。この国は日本には感謝しかないですよ。」
ODAにより、ラッシュ共和国のインフラ整備が日本の企業によって担われており、今回博樹が関わる発電所建設も、まさにその一環だ。
「なるほどなあ。外国なのに、色んなところで日本の要素を感じられるんですね。」
「それは食もですよ。さあさあ、ちょうど飲み屋に着きました。日本食もあるので楽しみましょう!」
博樹たちが入ったのは、提灯のようなものが幾つもぶら下がった、巨大な木造の建物だった。木でできた机と椅子が並び、店内には所々に漢字の書かれた装飾品がある。キッチンのある一角は瓦屋根の日本家屋風の屋台になっており、和風の雰囲気が濃く漂っていた。
「良い雰囲気ですね……けど、なんで店の奥にリングが?」
日本の温泉地の食事処に演歌歌手のステージがあるように、この店にもステージがあるのだが、その中央には四角形の格闘技用リングが鎮座しており、一際異彩を放っていた。
「アレは後のお楽しみです。」
ジャイロは意味ありげに笑う。
「さあさあ、ここのオススメのコースは予約してありますからね。早速食べましょう!」
「ええ、いただきます。」
既に食事が手配されており、運ばれてきたお通しから手を付けた二人は、食と酒を進めていく。
「ジャイロさん、25歳なんですね。」
「そうなんですよ。ヒロキさんは28歳なので、タメ口で大丈夫です。」
2人は徐々に打ち解け、年齢や仕事、お互いの話をしつつ酒を酌み交わした。
「というか、ジャイロさんは日本酒お好きなんですね。」
「ええ、色んなお酒の中で一番味と喉越しが好きで。日本の飲み会は1杯目はだいたいビールなんで、2杯目からはいつもこれを飲んでるんですよ。」
「なるほど、そんなこだわりがあるとは。」
酒の話に花を咲かせていたその時、突如、酒場の電気が一斉に暗転した。
「なんだ?……お、そろそろ時間みたいですね。」
ジャイロの腕時計の針は、ちょうど夜七時を指している。この時間から始まるイベントに合わせて、既に多くの客が押しかけており、酒場の席は満席になっていた。
『レディース&ジェントルメン!さあ、ショータイムの幕開けだ!』
スポットライトが、店の奥のリングの上でマイクを握るタキシード姿の男の姿を照らした。
「えっと、これは……」
「おっと、博樹さんは今日が初めてでしたね。今から始まるんですよ……ストームが!」
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