九浄鳥羽子の御伽草子
貧乏万斎
序章
卵の腐った臭いが心地よい日差しの中から漂うと、
まるで映画の安っぽいスタジオの様な部屋が鳥羽子の部屋だった。鳥羽子はベッドから起き上がると傍にあったスリッパを履いて制服に着替えた。着慣れたセーラー服もどこか臭い。
着替え終わると鞄を持って一階に向かった。屋敷の二階が鳥羽子たちの部屋になっている。屋敷の作りは玄関の扉を開けると両端に階段が続いていてその真下に診療所がある。その反対側に台所があって営業時間にはそこを閉めて置くのだが、立て付けが悪く今では常に開き放しでお構いなし。問診に来た患者さんに「あら今日の晩御飯はまた焼き魚なの」なんていわれる状態だった。鳥羽子は我が両親ながら随分と図太い神経の持ち主なのだなと内心皮肉っていた。だって一日の大半を人様に見られるなんてましてや思春期まっさかりの女子高生である鳥羽子にとって気持ちの良いものではないのだ。とはいってもその血を受け継いでいるからなのかいつしか鳥羽子も気に留めない様になっていた。
「おはよう」
鳥羽子は朝ごはんを作っている母親の背中にいった。
「あら今日も時間ぴったりね」フライパンを片手に顔を向ける。
「くっさい目覚まし時計のお陰よ。ちゃんと窓を閉めて置かないとお洋服に臭いが染み付いちゃうのよね」
「気になるんだったら洗濯機の前に置いておきなさい。後で柔軟剤に浸けて置いてあげるから」
そういって母親は鳥羽子の前に目玉焼きと焼いたベーコンが乗ったお皿を置いた。鳥羽子の母親の肌は雪の様に白い。対して父親は農家でもないのにほんのり小麦色の肌をしていた。母親のお陰で少しはその色が落ちているものの、鳥羽子は中間色を持った自分の肌が嫌いだった。
「あーあ、お母さんの肌が羨ましい。あたしの体、お父さんのせいで何だか黒いのよ。やだやだ…」
「またそんなこと言って…お父さんが聞いたらショック受けるから言っちゃ駄目よ。ただでさえ落ち込み易いんだから」
「はーい」
などと話をしていると台所にある裏口から父親がやってきた。
「いやあ、臭かった。何度やっても慣れないね」
薬品で汚れた眼鏡を袖で拭きながらはにかむ。鳥羽子の父親は小麦色の肌をしているが中々の男前だった。老けてはいるが中性的な顔立ちで若い頃はとても女性にもてたのだと、酔っ払うと自慢げに話した。
「ちょっと白衣で拭かないで下さいな。誰が洗濯すると思ってるんです?」
「も、申し訳ない…」
机にご飯と味噌汁が人数分並べられると頂きますといって食べ始めた。しかし鳥羽子と父親の碗に盛られた飯の量は母親の倍はあった。九淨家の人間は人一倍飯を食べる遺伝子らしい。それでもそれなりに細い体をキープ出来る血に鳥羽子は感謝していた。
「相変わらず良く食べるわねえ…」
「朝ごはんは一日の元だからね。そりゃ食べるさ」
「あたしは良い迷惑よ。いつ脂肪が膨れ上がるかわかったものじゃないし」
「大丈夫さ、君のコレステロール値はしっかり健康な値だし、脈拍や血中成分も申し分ない。寧ろ少し異常といって良いほど健康なんだ。これはうちのご先祖様からの…」
そういいながらまた父親の説教が始まろうとすると二人は呆れた顔をした。
「ちょっと止めてよ、その話は付き合ってた頃からずっと聞いてきたのよ」
「も、申し訳ない…」
頭をぽりぽりと掻きながら謝るのが鳥羽子の父親の癖だった。
「兎に角、鳥羽子はがつがつ食べても滅多な事じゃ太らないよ」
「だと良いけど…」
鳥羽子は祈る様な気持ちでご飯を掻き込んだ。
食事を済ませると鳥羽子は鞄を持って台所の裏口から外に出た。正門から出ても良いのだがそろそろ患者の一番手がやって来る時間帯。捕まると長話をされて遅刻する破目になってしまうのだった。なので靴はいつも裏口に置いてある。
屋敷は林の中に囲まれ、坂の上に立っていた。九淨診療所。営業時間は朝八時から夜の六時まで。毎週火曜日が定休日。料金について相談アリ。中も外もぼろいが鳥羽子は不思議とこの屋敷を気に入っていた。もしかしたら両親がプライバシーを気にしないのもそれが理由なのかもしれないと鳥羽子は思った。
――風が巡る。木々が揺れ、診療所は静かに息をしていた。
【次回】
失われた歴史が歩み寄る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます