第5話


 翌朝になって、ファブラの案内のもと川辺にやってくる。緩やかに流れる川。途中に桟橋があり、水車が回っている。新緑色の草原が続く土手の上には、平屋建ての家屋が点在していた。対岸には、セシリアの婚約者であるメルセスの、木々に囲まれた伯爵邸が覗いている。


 以前から何度か訪れているはずの邸が別物に見える、そんなことを思いながらファブラに声をかける。


「あの窓からの景色が気に入らないって、彼は言ったのよね?」


 先日聞いた相談では、彼が自分の邸から見える景色が気に入らないと勝手をし始めたということだ。だがセシリアが周囲を見渡した限りでは、そうした騒ぎの気配は感じられない。のどかな風景が広がっているだけ。


 しかし、セシリアの隣に立つファブラは強く頷いた。


「そうだ。色鮮やかな葡萄畑と、それを世話する華やかな女性たちが見たいと騒ぎながら……いつもは、だいたい昼過ぎ頃に現れる気がするが」

「彼、朝が弱いのよね。だから私がいるときは声をかけて……」


 言いながらふと、その言動を煙たげられたことを思い出す。起こしてくれ、と言われたからその通りにすれば、起こし方が気に入らないだの優しくしてくれだの。


 今思えば、大人らしからぬ行動だと思うのだが。ファブラが「そうなのか」と応えた。


「時間が決まってるなら助かるな。午後までに準備すればいい」

「そういえば、彼はいつも一人でくるの? 誰かと一緒なのかしら」

「作業員を引き連れて来るんだよ。だから厄介なんだ」


 吐き出すように言って続ける。


「作業員たちは我々の事情を知らないから始めようとするだろ? それを止めるのにこちらも人手が必要になる。最近はようやく話し合いが出来るようになったんだが」

「メルセスに話が通じない?」


 セシリアが聞けば、ファブラは額に手を当て頷いた。それから溜め息を吐いて続けた。


「始めはテーブルについた時点で解決出来ると思ってたんだ。簡単なことだろう? 我が領では許容しない。何度も送った書状を直接伝えるだけだ。それがまさか、こちらの話は聞き流し、自分の世界に入り込み、挙げ句こちらの返答を……」

「都合の良い方に解釈する」


 セシリアが続けると、ファブラは大きく目を開いた。よくわかったな、と言わんばかりの顔にセシリアが苦笑する。


「私も厄介な話を抱えてるのよ」

「君もか。難儀なことだな」

「ええ、本当に」

「考えるとうんざりするよ」


 ファブラが心底疲れたといった雰囲気で、頭を抱える。セシリアも「そうね」と同意した。


「一度頭を整理したいくらい」

「確かにそうだな。そうだ、気分転換でもするか?」

「気分転換?」

「ああ」


 ファブラが片手を上げて侍従を呼ぶ。何かやり取りをしたかと思うと、侍従が戻っていき、ほどなくして白い毛並みの馬を一頭連れてきた。手綱を受け取りファブラが引いて「遠乗りでもしないか」と誘う。


「午後からなら、準備するものもあるから少しどうだい?」

「あら、私と一緒に乗るつもりかしら?」

「いや。そうか。君は婚約者がいたな」


 わずかに暗い表情をするファブラへ、セシリアがフフッと笑いかけた。


「そうじゃないの。もう一頭、馬を用意してくれるかしら。それと着替えもね」


 その返しに目を瞬かせて、けれどすぐフッと表情を和らげた。


「なるほど。ならすぐに連れてくるよ」


 そういって侍従に声をかける。すぐさま用意される馬と乗馬服。彼女は馬車で着替え、ファブラの前に現れる。


 新緑の綺麗な髪を一つに束ね、高い位置で結び、詰め襟のシャツに合わせた黒いジャケット。彼女は白手に指を通しながらファブラに声をかけた。


「突然のことなのに用意がいいわね」

「従姉妹の服なんだ。たまに来るから準備はしてある」

「サイズも同じだなんて、今度お会いしたいわね」

「ああ、ぜひ。では行こうか」

「ええ」


 それぞれの馬に跨がり、軽く声を掛け合いながら歩いていく。次第に速度を上げ始め、二人は草原を進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る