第一章 : 大阪の夏 あの日の笑顔

大学生の淳一は、北海道江別市の深井学園大学に通っていた。

生まれつき耳に障害があり、会話は手話と口話(読唇術)で行う。平日は大学の講義と、地元のバスケクラブでの練習に明け暮れ、夜はコンビニでアルバイトをしていた。

日々は単調で、特に変化のない毎日が続いていた。


ある日、大学の掲示板に目を留める。



「全国学生懇談会 in 大阪 参加者募集」




夏休みに全国の学生が集まり、四日間を研修や分科会などで交流を深めるという企画だった。

普段の単調な生活に少しの刺激を求めていた淳一は、つぶやいた。


「…少し、自分を変えたいな」


単純な気持ちだった。生活に小さな変化を加えたくて、淳一は応募を決めた。





出発の日、新千歳空港から大阪・伊丹空港へ向かう飛行機に乗り込む。

北海道を離れる瞬間、冷たく澄んだ空気の街並みが見え、これから始まる四日間への期待と少しの不安が胸を満たした。


伊丹空港に降り立つと、湿った空気と夏の熱気が体にまとわりつく。

「はあ…大阪、やっぱり暑いな」

独り言をつぶやきながら、空港を抜ける。心のどこかで、これからの数日が少し楽しみでもあった。


会場は大阪・池田市の「不死桜閣」。広い敷地に分科会や研修室が並び、全国から集まった学生たちで賑わっていた。


懇談会の初日、淳一は人見知りを発揮し、周囲の声に圧倒されながら分科会に参加する。

そんな中、幼馴染の希美が参加していることを事前に知っていた淳一は、少し安心感を覚えていた。

希美もまた聴覚障害を持ち、手話と口話でのコミュニケーションに慣れている。


「希美…久しぶりだな…」

久しぶりの再会だったが、子どもの頃の面影がすぐに目の前に蘇った。


希美の紹介で、梨乃という女性を知る。大分県の分府大学に通う彼女もまた聴覚障害を持ち、手話と口話で会話をしていた。

しかし、初対面のときは軽く会釈を交わす程度。まだ互いの距離は遠かった。





分科会や研修、交流会が続き、学生たちは発表や議論を重ねる。

日中は講義やグループワークに集中し、夜は交流の時間が設けられていた。

北海道とは違う熱気に、淳一の心も少しずつほぐれていく。


そして最終日の夜、お疲れ様会が始まった。宴も終盤に差し掛かり、酒の勢いを借りて淳一は梨乃の物真似を披露した。

そのとき、梨乃が笑った——ふんわりと柔らかい笑顔で。


「ははっ、すごいね、淳一!」

その笑顔を見た瞬間、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じた。


お疲れ様会も終盤、梨乃からガラケーでメールアドレスを交換しようと提案される。

淳一は照れくさいながらも了承した。


心の奥には、淡い好奇心と、ほんの少しのときめきが混ざっていた。

交わした短い言葉の間にも、温かい何かが通い合った気がした。


「ありがとう、梨乃さん」

「うん…こちらこそ」





翌日、学生たちは各々の地元へ戻る。

淳一は北海道へ、梨乃は大分へ。

お疲れ様会の余韻と、梨乃の笑顔を胸に、淳一は飛行機の窓から大阪の街並みを見下ろしていた。


「…梨乃…、本当に可愛かったな」


初めて出会った夏の日、大阪の夕暮れの光景と共に、梨乃の笑顔は鮮やかに心に刻まれたのだった。

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ENREN - 遠距離恋愛 - 儚いあの日の夕日 長月春香 @haruka_nagatsuki

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