ENREN - 遠距離恋愛 - 儚いあの日の夕日

長月春香

プロローグ : 夕日の記憶

ある夏の日の夕暮れ、北海道・石狩。

建材業の工場は今日も慌ただしかった。機械の音や作業員たちの声が飛び交う中、淳一は耳に補聴器を通して、かすかに周囲の音を拾いながらも、どこか遠くを見つめていた。


毎日、残業に追われ、心身は疲弊している。

妻との関係も、外から見れば仲の良い夫婦に見えるが、内側では些細なことで衝突し、精神的に押し潰されそうになることも多い。

中学の長男は反抗期で口答えばかり、次男はまだ幼く甘えん坊で、すぐに「パパ〜!」と駆け寄ってくる。



今日、ようやく久しぶりに定時で仕事を終え、駐車場に戻った。

ふと顔を上げると、空は黄金色に染まっていた。建物の隙間から差し込む夕日が、慌ただしい日常の喧騒を一瞬だけ忘れさせる。



「…梨乃…、何してるんだろう?元気にしてるのかな…」



無意識に口をついて出たその呟きに、自分でも驚いた。名前を呼ぶだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

補聴器を通しても、周囲の音はまだ喧騒だらけだが、夕日の光と記憶が胸に静かに浸透していく。


その瞬間、目の前の夕日が25年前の夏を呼び覚ました——

大阪の熱い夏、大学生だった自分が初めて彼女、梨乃に出会った日のことを。


あの日の笑顔、手のぬくもり、声を聞かなくても伝わった感情——

すべてが、夕日とともに胸の奥に鮮明に蘇る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る