PONZ! 2 ~ポール・マッカートニー大好きっ子が、組んだバンドでライブハウスの危機を救う話~
文月(あやつき)
第14話 ライブハウスの危機
八月のインディーズフェスから九月にかけて、フレイミングパイは着実に頭角を現していた。ファンも増え、固定客がつき始めている。
ライブハウスでは、全員が十八歳以下ということもあり、平日の夕方とたまの土日の出演に留まっていた。それでも、出演するたびに確実にファンを増やしていく彼女たちの勢いは、誰の目にも明らかだった。
楽曲制作においても、彼女たちは進化を続けていた。
シーとポンズの合作が増え、創作プロセスは有機的な化学反応を起こすようになっていた。シーが曲の冒頭のアイデアを紡ぎ出し、中盤から軽快なロックへ変貌させたい時はポンズのアイデアが炸裂する。
そこへ、特徴的なギターリフをシーとカグラが丁寧に織り込んでいく。曲の雰囲気を掴んだら、レアとポンズのリズム隊が堅固な土台をこしらえていく。その逆も然りで、リズム隊が先陣を切ってアイデアを提供することもあった。
シーのマイナーコード中心の楽曲とポンズのメジャーコード中心の楽曲——その対照的なバリエーションがフレイミングパイの独特な音楽的個性を形成していた。
ポンズとカグラは高校に通いながら、シーとレアは音楽に専念しながら、四人それぞれのペースで夢に向かって突き進んでいた。
*
九月九日、レアは十七歳になった。七月のポンズの時と同様、貸しスタジオでの練習後、ポンズ、シー、カグラはケーキを準備した。ポンズが「1」と「7」のロウソクに火をつけ、「Happy Birthday」を歌いながら運んでくる。シーとカグラは拍手しながら「おめでとー!」と声を上げている。レアは照れ笑いしながらロウソクの火を消そうしたが、ロウソクを見るや否やあることに気がついた。
「
四人は大笑いをしながら、みんなでケーキを分け合い、レアの誕生日を祝った。
*
十月、松山の街も少しずつ秋めいてきた。
道後温泉や夏目漱石「坊っちゃん」で有名な松山のアーケード街、大街道商店街の裏通りにひっそりと佇むライブハウス「ROCK STEADY」。
秋の夕暮れが街を包む土曜日、その看板の下には今日も若者たちの期待に満ちた列ができていた。
夏の蒸し暑さは遠い記憶となり、心地よい風が街を吹き抜けていく。
店内は熱気と興奮に包まれている。
壁一面に貼られた歴代バンドのポスターやサイン色紙が、薄暗い照明の中で静かに歴史を物語っている。
まもなく十五年という歳月が、この空間に独特の重みを与えていた。
ステージ前には五十人ほどの観客がひしめき合い、開演を今か今かと待ちわびていた。
この日はフレイミングパイのワンマンライブ——松山インディーズフェスの成功から二ヶ月、彼女たちはこの「ROCK STEADY」で確実に看板バンドとしての地位を築きつつあった。
*
「フレイミングパイ、いっくでー!」
ポンズの弾けるような掛け声とともに、ステージが眩い光の洪水に包まれる。
スポットライトが四人の少女たちを浮かび上がらせた瞬間、会場に電気が走った。
シーがセミアコSeventy Seven EXRUBATOを抱え、小気味よいカッティングを空間に響かせる。
赤いボディが照明を受けて艶やかに輝く。
ヘフナーのヴァイオリンベースを構えるポンズは、左利きのベーシスト。
大好きなポール・マッカートニーを彷彿とさせる流麗なベースラインで、シーの演奏に絡みつくように合流し始める。
それに呼応してレアがPearlのバスドラで重低音を響かせる。
カグラのエレキギターIbanez AZ2402のアイスブルーメタリックが照明を受けて宝石のように輝きを放ちながら高音を奏で、会場の空気を一変させていく。
相変わらず身をかがめ、うつむき加減の内気な彼女だが、その演奏には揺るぎない自信が宿っている。
インディーズフェスでのギターソロ成功以来、カグラは確実に変わりつつあった。
レアがドラムを乱れ打つと、シャンパンスパークルのドラムセットと、彼女の身に着けた無数のアクセサリーが、照明を反射して星座のようにきらきらと輝いた。
*
「シー!」
「シーちゃーん!」
「ポンズー!」
「カグラ!」
「レア!」
観客から次々と声援が飛び交う。
最前列にはシーの路上ライブ時代からのファンたちが陣取り、その後ろには大学生のグループが身体を揺らしている。
インディーズフェスで魅了された新しいファンたちも、今では常連として足繁く通うようになっていた。
観客たちのボルテージが頂点に達すると、オープニング曲のイントロへと雪崩れ込む。
*
イントロが始まった瞬間、会場の空気が劇的に変化する。
シーの重厚感ある楽曲が後半にはポンズの軽快なロックに変身を遂げるのは、もはやフレイミングパイの代名詞となっていた。
中でも一曲の中で万華鏡のように表情を変える楽曲構成はポール・マッカートニー好きのポンズらしいアレンジ。
バラードから軽快なロック、そして再び心に響く優しいメロディへ展開していく。
観客はそんな曲の予測不可能な展開に身を委ね、四人が織り成す音の魔法に完全に飲み込まれていく。
中盤、シー単独の弾き語りコーナーでは、父の形見のアコースティックギター、Headway HMJ-WXが静かに登場する。
観客席がしんと静まり返る中、シーの心からの歌声が響き渡る。
時にはポンズがEpiphone テキサンとともにコーラスで寄り添い、会場をしっとりとした感動の空間に包み込む。
また、シーの繊細な弾き語りで始まり、後半からメンバー全員が段階的に合流する演出も披露する。
一人から二人へ、二人から四人へ。
音が重なるたびに、会場の熱気も高まっていく。
*
再び全員でのバンド構成に戻ると、カバー曲ポール・マッカートニーの「Flaming Pie」でステージは沸点に達する。
インディーズフェスでアドリブ披露したポンズとシーのアウトロでのステップは、もはやライブでは欠かせない定番となっていた。
サイドステップからボックスステップへ、そしてスネアに合わせた足踏みへ。
二人の息の合った動きに、観客も手拍子で応える。
そして、もう一つの定番——シー作詞ポンズ作曲の四人のテーマソング「フレイミングパイ」では、カグラのギター、シーのハープ、ポンズのベース、レアのドラムがそれぞれソロを披露し、観客を熱狂の渦に巻き込んだ。
そして、圧巻のラストポーズ。
シーとポンズが背中合わせになり、カグラがギターを高々と掲げ、レアがスティックを天に向けて力強く突き上げる。
四人は観客たちの割れんばかりの歓声と拍手の嵐に包まれる。
「ありがとうございました!」
ポンズが心からの感謝を込めて声を張り上げ、四人はステージを後にした。
*
「今日もええ感じやったね~。お客さんの熱気がすごかった」
汗でびっしょりになった顔をタオルで拭きながら、レアが満足そうに息を吐く。
ドラムセットを解体しながらも、まだ興奮冷めやらぬ様子で頬を上気させていた。
カグラも頷きながら、愛用のギターを我が子のように丁寧にケースに収める。
「新曲の反応も良かったな……あ、そういえばサトちゃんは?」
シーがポンズに尋ねかける。
「さっき、オーナーさんに呼ばれてスタッフルームに行きよったけど……」
ポンズはそう返答したが、なんとなくいつもと違う雰囲気を感じ取り、胸の奥に小さな不安の影が差した。
*
スタッフルームでは、古びたソファに向かい合って座るオーナーの岩田恒太郎とフレイミングパイのマネージャーさとう愛未。
壁には九〇年代のロックバンドのポスターが所狭しと貼られ、片隅には岩田が現役時代に愛用していたドラムセットが記憶の番人のように静かに佇んでいる。
岩田は愛未に入れたてのコーヒーを差し出した。
五十代後半、まもなく還暦を迎える岩田は、かつて「ステディ・ビート」というバンドでドラマーとして活躍していた。
引退後にこのライブハウスを立ち上げ、年明けには十五周年を迎える。
その間、数多くのバンドを育て、送り出してきた。
「あいみちゃん、単刀直入に言うわ。このままやったら、うち半年持たん」
岩田の重い言葉が、部屋の空気を凍りつかせた。
「えっ……!?」
愛未の顔から一瞬で血の気が失せ、青白くなる。
重苦しい沈黙が部屋を支配し、時計の秒針だけが無情に時を刻んでいた。
岩田の顔には、十五年近くこの店を守り続けてきた疲労と苦悩の色が深く刻まれていた。
*
「詩音ちゃんがあの子らを引き連れてくるようになって、このハコも若い子らがようけ来てくれるようになった。フレイミングパイは成長の途上やけど、ほんま頑張ってくれとる。でも……」
岩田は重い腰を上げ、窓の外を見つめた。
陽は沈み、松山の街がすっかり暗闇に包まれていた。
商店街の裏通りは人通りもまばらで、街灯の光だけが寂しげに灯っている。
「平日の集客が壊滅的でね。月に数回は土日にフレイミングパイともうひと組のおかげでなんとかなっとったけど、それだけじゃここの賃貸料も厳しくてね。設備も老朽化しとるし、このご時世、なかなか……」
岩田の声は次第に小さくなり、絶望の色を帯びていた。
「でも、このライブハウスは今じゃ松山の音楽シーンの心臓部じゃない! ここがなくなったら、若い子たちの夢を育てる場所が……」
愛未が立ち上がり、必死に訴えかける。
「分かっとるよ。だから最後まで足掻きたい。ボクも音楽は儲けるもんじゃなくて、伝えるもんと言い続けてきた。苦しいからといって、会場費や入場料値上げして、今来てくれている子たちから巻き上げるようなことはしたくないんよ」
岩田の肩が落ち、その背中がひどく小さく、孤独に見えた。
*
「変わらないのね」
愛未が懐かしそうに呟く。
「確か、ここのROCK STEADYって名前、岩田はブレないって意味だったっけ?」
岩田がゆっくりと振り返る。
その目には、かすかに光るものが宿っていた。
「それもある。ステディはボクのおった『ステディ・ビート』からも来てるし、恋人って意味もある。この店の名前の意味、一番は『ロックは恋人』ってこと。ボクにとってロック、音楽は、一生添い遂げる相手。でも恋人も……飯食わせてやらんと死んでしまう。だからなんとしても最後まで足掻きたい。でも正直……」
言葉を詰まらせた岩田の背中は、秋の夕暮れのように寂しげだった。
愛未は駆け出しのシンガーソングライターだった頃、エレクトリック・ピアノ一つでこのステージに立たせてもらった恩がある。
シーと初めて出会ったのも、このライブハウスだった。
「ねえ、オーナー、私にはちょっとした野望もあるの、そのためにはこのライブハウスは絶対不可欠。きっと力になるから、このハコを守りましょ」
愛未の声に、静かな決意が込められていた。
「ありがとう、あいみちゃん」
岩田の声が震え、感謝の念が溢れ出す。
*
重い足取りで控室に戻ってきた愛未は、深く大きくため息をついた。
その表情を、ポンズが敏感に察知する。
「サトちゃん、どしたん? 何かあった? 長いことオーナーと話しよったみたいやけど」
ポンズが心配そうに問いかけると、シーも不安げに覗き込む。
愛未はメンバーを呼び寄せると、震える声で先ほどの岩田との会話を説明した。
「ライブハウスが危ないって、つぶれるってこと……?」
ポンズが信じられないという表情で声を漏らす。
「うちの初めてのステージだったこの場所が……!?」
シーの声が途切れ途切れになる。
彼女は中学からソロでこのライブハウスに出演しているし、レアも助っ人でいろんなバンドを渡り歩いていた時に出演している。
そして四人にとっては、フレイミングパイが産声を上げた聖地でもある。
*
「なんとかならんの!? このままじゃあかん!」
レアが拳を力強く握りしめる。
カラフルなアクセサリーが激しくじゃらじゃらと音を立てた。
「うん! うちらの成長はこのライブハウスのおかげ。中学からソロでここに出演させてもらったし、この場所は守りたい。今度は恩返しせんと!」
シーの瞳に、炎のような決意の光が宿る。
ポンズが勢いよく立ち上がった。
その小さな身体から、意外なほどの力強いオーラが溢れ出す。
「みんな、やろう。フレイミングパイの音楽の力で、このライブハウスを絶対に守ろうや!」
そう力強く宣言すると、シーとレアが決意に満ちた表情で大きくうなずいた。
カグラはただ不安そうな顔をしていたが、やがて小さく、しかし確かにうなずいた。
「みんな……」
愛未の目にじわりと涙が滲む。
まだ十五歳、十六歳、十七歳の少女たちが、自分たちの大切な場所を守ろうと立ち上がる姿に、胸が熱くたぎった。
「みんな、ありがとう。今日は遅いから、もう帰って十分休んで。明日ここは休みだけど、オーナーが使っていいって許可してくれてる。私に考えがあるから明日、お昼に集まって」
五人の決意が、薄暗い控室の中で静かに、しかし力強く共鳴し合った。
*
日曜日の昼下がり。
普段から歩く人はまばらな商店街の裏通りに、フレイミングパイのメンバーたちが三々五々集まってきた。
昨夜の熱い決意を具体的な行動に移すため、作戦会議を開くためだ。
穏やかな秋の日差しが、アスファルトを優しく照らしている。
風に舞う落ち葉が、街角に季節の移ろいを告げていた。
「おーい、レア!」
聞き覚えのある声に、全員が一斉に振り返る。
「あ、マキ!?」
*
黒を基調としたクールな出で立ちの少女が、自信に満ちた足取りで歩いてくる。
かつてレアが所属していたバンドのリーダー、マキ。
黒髪のショートカットに、相変わらず気の強そうな目をしている。
その後ろから、同じく黒い衣装で統一された三人のメンバーがスタイリッシュに続く。
一人だけ金髪が目立つ女の子がいる。
それ以外は全員黒髪で、バンドとしての統一感を醸し出していた。
「久しぶりやな。松山インディーズフェス以来か」
マキの声には、以前のような冷たさはなく、むしろ親しみやすい温かさが感じられた。
どうしたのかと、レアもポンズもシーもマキたちを興味深そうに見据えたが、なぜかカグラは後ろで身を小さくしている。
「オタクのマネージャーさんから聞いたで。ROCK STEADYがピンチなんやろ?」
マキの口調は相変わらずクールだが、その奥に熱い思いを秘めているのが感じ取れる。
*
「え? なんでうちのサトちゃんと?」
ポンズが首を可愛らしく傾げると、マキが状況を説明し始める。
「あのフェスの日、連絡先交換してて、うちらがずっと出演してたホームのハコ無くしたとこやってね。佐藤さんにここ紹介してもらってたんよ」
「『ブラックシトラス』もここで演奏してたんやね」
シーが合点がいったように頷く。
「ブラック…? え? バンド名変わったん?」
レアが少し驚いて尋ねた。
「何を今更。あんたがやめてから変えたんや」
マキがぶっきらぼうに言い放つ。
「あ、なんかサーセン」
レアが苦笑いを浮かべながら適当に謝る。
マキは少し頬を赤らめ、視線を逸らしながら続けた。
「うちらも今ここで、ホームのようにライブやらせてもらっとる。オーナーさんには恩があるんよ。その……うちらも協力させてくれへん?」
「マキ……」
と、レアが感動で声を詰まらせていると、ブラックシトラスのボーカル、ユズが颯爽と割り込んできた。
*
金髪がまぶしいユズは、ハスキーボイスが特徴的な、華やかで存在感のある少女だ。
黒い衣装の中で、彼女の金髪だけが鮮やかに映える。
ボーカルとギターを担当し、バンドのフロントマンとして圧倒的な存在感を放っている。
「いや~、レアがやめてから、うちらのファンとフレイミングパイのファンの間で、マキがレアをクビにしたって噂があってね。それで仲良くしとこか~って」
ユズの屈託のない本音に、
「正直で何よりです」
レアとポンズが息ぴったりでツッコミを入れる。
その後ろでは、黒髪のリードギター、ナツと、レアの後任ドラマーのミオが控えめに笑っていた。
シーが心からの笑顔を浮かべて宣言した。
「うちらお互い、いいライバル関係やけど、今は仲間や! 一緒にやろう!」
ポンズの後ろで縮こまっていたカグラも、勇気を振り絞って前に出てきた。
そして、フレイミングパイとブラックシトラス、二つのバンドが向き合い、固い握手を交わす。
秋の優しい風が、八人の少女たちの髪を愛おしそうに揺らした。
*
「ごめ~んお待たせ。あ、もうみんな出会ったんだね。じゃ中で話そう」
愛未が岩田から預かった鍵で、ライブハウスの扉をゆっくりと開ける。
薄暗い店内に差し込む午後の黄金色の光が、ステージを神々しく照らし出す。
歴代バンドのポスターが、まるで彼女たちを見守っているかのようだった。
ここから、ROCK STEADYを守る戦いが始まる。
フレイミングパイの第2部——ライブハウス存続奮闘編が、今、静かに、しかし確実に幕を開けた。
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