自作曲モチーフの掌編小説まとめ

レッドインク

一曲目:神帰月

(結局、帰ってこなかったな)


 わたしはかけていた眼鏡を取り、より一層深まったはずの目のくまをこすった。その次に、雨は上がり、深夜に代わって朝が来ていることに気づく。雨中の寒い世界をあたたかくしてやる朝日の光が、窓から惜しげもなくわたしに注ぎ込まれた。

 楽器を取りに帰った彼を待つために点在していたカフェを後にするか迷い、とりあえずサンドイッチとカフェオレを頼んだ。大丈夫ですか? と店員に尋ねられる。もしかしたらくまはわたしの顔をよほど疲れているように見せているのかもしれない。


「大丈夫さ。もしよかったら、サンドイッチはレタスが多そうなものを選んでくれるかな」


 店員はかすかにうなずいた。わたしはその店員に微笑みを作って、席に戻って頼んだものが来るのを待った。


(見捨てられてしまったのだろうか)


 そういう考えは突飛だ。だが、彼の作曲においての類まれなる熱量を目の当たりにしてからでは、見捨てられてしまったかもしれないとも思っていいだろう。わたしは彼が時間通りに戻ってこなかったことに傷ついている。

 わたしと彼は、ともに歌曲を作ろうとしていた。彼が作曲、わたしが作詞。歌い手を誰にするかなんて曲ができたあとに考えたらいいという意見が一致したのだ。決まらなければわたしたちが歌えばいいし、今時仮歌など歌声合成に頼めばいいのだから。今となっては歌曲はそういうものだ。

 そんなことを話したなと、思い出していた頼んだサンドイッチとカフェオレが来た。こっそり頼んだ通り、レタスは比較的多かったし、カフェオレはミルクがたっぷり込められていて胃に優しかった。


(彼はわたしとの約束を覚えているのだろうか)


 彼との合作を進めるにあたって、彼が指定したのは二十四時間営業のチェーンカフェだった。ここでコーヒーを飲みながら、夜通し作曲アプリでコードを鳴らすのだと聞いた。ルーティンに欠かせない居場所を、情熱的な彼が忘れ去っているとは考えにくい。

 サンドイッチはすべてわたしの腹に収まり、カフェオレも飲み干した。流石にこれ以上は食べられない。仕方なく常備されている雑誌を読んでみたが、続かなかった。


「戻ってこないかもな」


 嫌味くさく独り言をつぶやいてみる。そんなことをしても彼は戻ってこないし、帰ってこない。こうも独りにされると、寝ていないのもあって変なことを言いたくなる。


「わたしを好きでいるのかね。彼は」


 わたしは彼のことを好いていた。見てくれも悪くなかったし、食事の趣味もいい。要因を挙げればきりがないが、ある種の恍惚が彼との間に生まれていた。まるで神様を相手にしているようだったから、夢見がちなことも彼に言ったんだろうな。



「ごめん」


 わたしは閉じていた目をあける。そこには小さめのボディをしたアコースティックギターを抱えた彼がいた。


「帰り道で大きめの交通事故があって」

「そうか。無事でよかった」

「いや、ぼくはいいんだ。ほんとうにごめん」


 そう言ったあと、彼は椅子に何度も深く座りなおして、わたしに向いた。


「作曲の続き、やろうか」


 わたしは笑った。顔を見る限りそんなに反省していなさそうだ。


「きみは神様じゃないものな」

「何の話?」


 待ち人の彼は人間だった。わたしも甘ったるいことを言わないようにして、彼と歌曲作成に向き合おうか。

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