吾輩はペンである

とえ

吾輩はペンである

 やぁ、御機嫌よう。寝起きの目を擦り続ける

のも結構だが、そろそろこちらに顔を向けて

くれるとありがたい。そうだ、こちらだ。


 あぁ、再び枕に頭をつけるのも構わないが、

寝て起きた後にも同じやり取りが繰り返される

だけだと思う。私としては、あまりオススメは

しない。


 まず初めに言っておこう。君は正常だ。

真っ当だ。何も心配することは無い。日々の執筆

に疲れ、多少分離してしまった意識が形を持った

ものが、私だ。繰り返すが、心配しないで

欲しい。イカレない為に、私のようなイカレた者

が生まれたに過ぎないのだ。


 ひとまず、よろしく。私の事は、そうだな。

シュティルツ、とでも呼んでくれ。色々と資料や

辞典をめくって思考の領域を開拓してきた

君なら、意味は何となくわかるだろう。


 そうだ。別に君の名前を自己紹介してもらう

必要は無いよ。なんせ私は君から発露した人格

だ。その内面はある程度把握している。今も筆を

折らず、仕事の傍ら原稿に向かう姿は、賛美

すべき背の丸さだと思っているよ。……おっと、

勘違いしないでくれ。馬鹿にしているわけ

ではない。


 さて。ここは君も知っての通り、君の部屋だ。

まだ足にかかった布団も、寝汗で多少湿気を含む

ベッドも、中央がやや凹んだ枕も、全て君の

物だ。目に見える全ては、君が吟味して、君が

手に入れ、君が使ったり使わなかったり

している、君の所有物達だ。


 私を目で追っているな?声を耳に入れて

いるな?なら結構。私が言いたかったのは、

君の城に勝手に現れた異物である私を、どうか

容認して欲しいという懇願だ。見慣れた景色に

見慣れぬ小鳥サイズのモノが浮いているのは、

さぞ目障りだろう。それは大変申し訳ないと

思っている。……飲み込みが早いな。思い切りの

良さは君の美徳だ。


 今日は本職の休業日であったな。なら君は、

休日のルーティンをこなす筈だ。だが別にそれを

遵守する必要は無い。選択権は君にある。そこか

ら見える机にポツリと座っている小さなラップ

トップを、朝から開いても良いし、開かなく

ても良い。


 なるほど、朝食は大事だ。作業より先に

そちらに気を回すべきだったな。すまない、

私は腹が減るという感覚が無いのだ。君の見た

モノ、聞いたモノ、考えたモノ、感じたモノ、

壊したモノ。それらが私の空腹を満たす。つまり

空腹など本来ありえない。何故だか、君なら

わかるだろう?


 君は常に、何を書くか考えている。どう物語を

動かし、何を語らせ、どう着地させるか。読者の

求めるものが何か、今、読まれるものが何か、

楽しませるとは、完成度とは、文学とは……

いや、失礼。違うな。"エンターテインメント

とは何か"。


 常に問い続け、出力の為に入力を繰り返す。

抽斗が空になる事を恐れ、その辺にある物を

手当り次第しまい込み、次に取手を引けば中身が

目減りしている。そんな事を繰り返している

のだ。私の腹が減る道理など、何処にもない。


 朝食を進めながら聞いて欲しい。今、君は少し

疲れているな。たまには少し筆を置いて、外に

目を向けてみるのもいいと思うのだ。なに、心配

する事は無い。折りさえしなければ、筆は

変わらず、そこにある。あるのなら、また手に

取ればいい。ただ、それだけの事なのだ。


 おや?少しイラついたかな。すまない。気を

逆撫でるつもりは無かったのだが、結果的にそう

なってしまったようだな。


 私の、ダラダラと要領を得ず、冗長で無駄で、

何も大きな変革を齎さない割に、長ったらしく、

説教臭い鬱陶しい話を聞く事にも飽き飽きして

きた。そんなところだろう。


 もっと、こう、"あれはエイハブだ"のような、

端的で断定的な、素早い核心の呈示を求めて

いるのだろう?この続きが、ろくでもない事に

なるのは明白だが、ヒトは即効性を好む。即席

快感だ。私もそれは理解している。だが、まぁ、

焦るな。結論は既に出ているのだし、議論を

楽しもう。


 おや、靴を履くか。外に出るのだな。それは

良い。早速、私の駄言に耳を傾けてくれたと

いうわけか。玄関を出て外の空気を吸えば、

この鬱陶しい"何か"、つまり私が消えると思った

のだな。その考えは賢明ながら、残念な事に

不正解だ。私は消えないし、君は逃れる術を

持たない。周囲の人間が私を認知する事も無く、

訴えは白い目を生むのみだ。諦めたまえ。


 S県の南端であるT市、ここはなんとも、形容

し難い土地だな。都会と言うには田舎で、田舎と

言うには都会すぎる。中途半端といえばそれまで

だが、つまらないと言い切るのも、また思考停止

と言えるだろう。いい所はきっとある。例えば、

大きな飛行機が設置された、阿呆ほど広い公園、

とかな。


 信号の増設や土地区画整理の進む歪な道路は、

自分の足で歩く君にはやや不快だろう。かと

言って車を使えば、駅前の渋滞に、煙草の吸殻を

増やす事になってしまう。……失礼、君は、

そもそも車を持っていなかったな。


 見上げたWALTZは、君を見下ろしている。

青地に白文字のロゴを横目に、踏切へと続く道を

歩いているな。君の足が遮断機を避け、左に続く

小道に入っていったのを見て、私は少しだけ安心

したよ。あれは、疲れている時に近寄るものでは

無いからね。


 駅前のロータリーに聳える二本木は、

相変わらず立派だ。何故か群れを成して密集して

いる小鳥の囀りも、これだけ数が揃えば半ば騒音

だ。君の靴音など簡単に飲み込まれてしまう。


 P通りに入るかと思えば、駅の中か。駅ビルは

すっかり綺麗に仕上がったな。飲食店とアパレル

にやや偏り過ぎた店舗群だが、多くの人の出入り

する玄関口としては、やはりそうなるのが定め

と言える。


 エスカレーターで登った先は、少し大きな

本屋になっているな。往来する人々の無関心な

顔すら、君は抽斗にしまおうとしている。人間

観察は執筆の栄養だ。どんどん摂取したまえ。


 本屋の横にはカフェが併設されている。

テラス席まで用意されている所を見ると、君は

ここを本日の城と定めたわけだな。良い選択だ。

屋根のおかげで目を焼かれることも無ければ、

雨を心配する必要も無い。


 スマートフォンは、現代における掌サイズの

黒いモノリスだ。骨を振り回すだけの猿が、

不思議なことに"ヒトであるかのように"進化

する。君はその知恵の石版で、売れ筋の書籍を

探っている。長々としたタイトルは的確に内容を

示し、明るいイラストが笑顔をこちらに向けて

きている。


 ここが、君の到達点だろう?目指している

ゴール。人目に付く棚の上。画面に映し出された

人気作を、改めて本棚から探して、手に取る。

……これをされる事を、望んでいるのだろう?

結構なことではないか。


 人々から知られ、人々から賞賛される。

喉越しの良いストーリーと、舌に溶ける甘い

キャラ造形。読む者に対する、最大限の

サービス。これぞ、素晴らしき

エンターテインメントだ。


 ……どうした?そっちは古い本の陳列棚だ。

既に多くの人達が読んで、"有名人の、有難い

古典"として本棚の奥へ送り込んだ、流行りの

波から外れ、くすみ、色褪せた作品達だ。

何百年も前に書かれ、作者本人すら今なお

残っているなんて夢にも思っていなかった過去

の遺産達だ。


 そうだ。違う。君の目指した物は、誰の目に

触れるか曖昧な、博打のような作品では無い

筈だ。それを選び、志し、歩んだ君の選択を、

私は否定しない。だが、もし。もしも、君の胸に

何かしらの引っ掛かりがあるのなら、その棚の本

を手に取るのも、悪くは無いだろう。今の君は

消費者側だ。作品を選ぶ権利は君の側に在る。

手に取るのも、取らないのも、君の自由なのだ。


 レジの無機質な電子音。店員の無感情な接客。

それらを経て、カフェの飲み物と抱き合わせに、

君はテーブルに着いた。見晴らしは良い。

行き交う人々に目を向けようと、誰もそれを

糾弾しない。


 さあ。何を読破しようか。私はここで見て

いよう。疲弊して枯渇した君の頭を、新たな

インプットが潤すその瞬間を。


 君は元来、文字が好きだった筈だ。文字を

読むのが好きで、文字を書くのが好きで、文字に

魅せられ、文字に泣き、文字に感謝、尊敬し、

文字によって、救われた筈だ。


 己の中にある御しきれない増殖や膨張を、

そのまま文字に込めて排出していた。呼吸は

吸い続けるだけでも、吐き出すだけでも苦しい

ものだ。君の頭は情報の呼吸を求めていた。

違うか?


 思いもよらぬ角度で接続され、鮮烈な印象を

残す独特な比喩。一読では意味のわからない、

回りくどい言い回し。狂おしい程に情緒を

掻き乱されたあと、再読で文中に灯るフェア

プレイの伏線。突き抜ける爽快感、見返す

達成感。甘美な報酬、異世界の壮大に広がる

仮想大陸。君が、君自身が、文字の海の中で

見たモビィ・ディックが、どう君の片足をもぎ

取っていったか、君は覚えているはずだ。


 さぁ、少し息を吸ったな。呼吸を整えた君は、

次にどこに向かう?飛行機の公園か?新しく

できたショッピング・モールか?P通りを超えた

先、F通りの細道にある飲み屋街だって

構わない。出力に疲れ、心の摩擦に疲れた君の

行先を、私は見守ろう。


 おや、顔つきが変わったな。目元は相変わらず

隈に染まっているが、目の奥に僅かな光が灯って

いるように見える。良いじゃないか。息を

吸って、大きく叫ぶ準備ができた者の目だ。


 さぁ、書け叫べ。その手に筆を取れ。

ラップトップの蓋を開けろ。そしてその手で、

見出しを綴るのだ。


 "吾輩は、ペンである"、と。

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